この記事のテーマ
これまでに、捕囚の民の二つのグループがユダに戻っており、それは少なくともヘブライ民族に対する神の約束の部分的な成就でした。
しかし、神が用意しておられるもう一つの捕囚の民の一団がいました。この最後のグループは、問題を解決するように命令を受けます。先の二つのグループは、エルサレムを再建し、神殿を完成させることによってこのプロジェクトの一環を終わらせるために帰還しましたが、周辺国から生じた反対のために、建設の残りの部分は放棄されていたのです。周辺地域の人たちは、イスラエルの人々が町とその城壁を建設することを望んでいませんでした。というのも、彼らは、イスラエルがかつてのような強力な民族になることを恐れていたからです(エズ4:6~24)。それゆえ、イスラエルの人々の帰還は一つの脅威に、つまり彼らが必ず阻止すべき脅威に思えたのです。しかし神がイスラエルの人々を召されたのは、召して行わせようとしたことの途中で彼らを見捨てるためではありませんでした。
そこで神は、御旨を実行し、目的を果たすために、もう1人の人を用意しておられました。彼の名前はネヘミヤといい、私たちは次に、彼と、主のための彼の働きに目を向けます。
悪い知らせを受けるネヘミヤ
ネヘミヤ記は、幾分ダニエル書に似た形で(ダニ1:1、2参照)、つまり悪い知らせで始まっています。確かに、多くの人が先祖の地に帰還していましたが、そこでの状況は、彼らにとって好ましいものではありませんでした。
問1
ネヘミヤ1:1~4を読んでください。なぜネヘミヤは心を痛めたのですか。受け取った悪い知らせに対して、彼はどのように反応しましたか。
何年も前に捕囚とされたユダヤ人の中には、ペルシア帝国の四大行政都市の一つ、スサに連れて来られた者たちがいましたが、ネヘミヤはその町で、宮殿の献酌官として働いていました。「兄弟の一人ハナニ」という句に用いられている言葉は、血のつながった兄弟を指している可能性が高いと言えます。なぜなら、同様の、しかしもっと家族らしい言及が、ネヘミヤ7:2でハナニになされているからです。しかし、それは単なる仲間のイスラエル人を指していることもありえます。ハナニとの会話は、(エズラがエルサレムに帰還して13年ほど過ぎた)紀元前445年の11月半ばから12月半ばの間になされた可能性が最も大です。ハナニは、エルサレムの状況が悲惨であると伝えます。人々はエルサレムを再建できておらず、敵は町の城壁を壊し、町は無防備で荒れ果てたままでした。
ユーフラテス西方の人々が抗議したあと、アルタクセルクセス王が工事の進行を中止させることで、帰還民の希望を打ち砕いたということは特筆に値します(エズラ4章)。ネヘミヤは、サマリア人が町の城壁を壊したという噂を聞いてはいたでしょうが、この時まではっきりした答えを持っていませんでした。
神殿は再建されましたが、完全には機能していませんでした。神殿の務めに必要な人たちがエルサレムに住めなかったからです。この状況はネヘミヤを悲しませました。知らせの裏に潜む意味が、彼の心に刺さりました。ユダの人々は神に栄光を帰すために帰還したにもかかわらず、それができていないということです。それどころか、彼らは、敵と迫害を恐れて神の家と聖なる都を放置していました。
このような中、ネヘミヤは変わらず神に頼りました。彼は、ユダの人々が信仰に欠けているとけなしたり、臆病者だと見下したりもしなければ、現状のまま状況をただ受け入れるだけでもありませんでした。ネヘミヤはひざまずいて、祈ることと断食を始めたのです。
ネヘミヤの祈り
問2
ネヘミヤ1:5~11にあるネヘミヤの祈りを読んでください。この祈りには、どのような異なる要素が含まれていますか。彼は、なぜ罪ある者として自分自身を祈りの中に含めているのですか。
1.神よ、あなたは偉大にして、慈しみを注いでくださる(5節)。
2.私に耳を傾けてください(6節)。
3.罪を告白します(6、7節)。
4.あなたの約束を思い起こしてください(8、9節)。
3.あなたは我々を贖われました(10節)。
2.私に耳を傾けてください(11節)。
1.神よ、繁栄と憐れみを与えてください(11節)。
ネヘミヤの祈りは美しい構造をしており、神の偉大さ、彼ら自身の罪深さを列挙し、助けを求める叫びで締めくくられています。この祈りはダニエル9章のダニエルの祈りと似ており、ネヘミヤはその祈りに慣れ親しんでいた可能性があります。注目すべきことに、彼は助けを求める叫びで始めておらず、むしろ神についての真理、神が偉大にして畏るべき方であるという真理を最初に述べています。彼はまた、神が契約を守り、神を愛する者たちに慈しみを注いでくださることも指摘しています。あたかも、神は常に忠実であられたのだから、今そうでなくなることなどありえないと、神に思い出させるためであるかのようです。
ネヘミヤの祈りは(上述のように)特殊な構造を持っており、彼が神の約束を明確に述べている8節が中心になっています。彼は「思い起こしてください」と言っています。つまり、「神よ、思い出してください。私たちが不忠実なとき、あなたは私たちを散らすであろうと約束されましたが、あなたはまた、私たちを連れ戻し、すべてを回復するとも約束されました。散らされることはすでに起きました。今や回復することを実現する時です。なぜなら、私たちはあなたのもとに帰りつつあるのですから」ということです。ネヘミヤは神の約束を自分たちのものとして主張することも、約束を神に思い出していただくことも恐れませんでした。それは、神が御自分の約束を知らないとか、覚えていないとかいうことではありません。それどころか、神は、私たちが神の約束を自分のものとして主張することを喜ばれます。神は、私たちがその約束を信じ、神にはっきり主張してほしいと願っておられます。神が私たちに約束してくださったことを言葉で表現することによって、それらの約束を信じようとする決意が(とりわけ、すべてが絶望的に思えるときに)強められるのです。
率直に話すネヘミヤ
ネヘミヤ1:11には、ネヘミヤが王の献酌官であったと記されています。私たちには、これが重要な仕事に思えないかもしれませんが、献酌官は強い影響力を持つ者になりえました。なぜなら、彼らは頻繁に、かつ近しく王に接したからです。献酌官は、王が病気になったり、死んだりしないように、王のための飲み物の試飲をしました。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、ペルシア人が献酌官を大いに尊敬していたと指摘しています。彼らが高官とみなされていたからです。例えば、アッシリア王エサルハドンの献酌官は、王国の総理大臣でもありました。それゆえ、ネヘミヤは王国で高い地位に就いており、王に接近できたがゆえに、自分を用いてユダの状況を王に話せるようしてください、と神に嘆願したのです。
問3
ネヘミヤ2:1~8を読んでください。ネヘミヤの祈りと断食の結果、どのようなことが起きましたか。
祈りはニサンの月に答えられました。それは紀元前444年の4月頃のことです。ハナニとユダの人々がエルサレムに関する気がかりな知らせをもたらしてから、4か月が過ぎていました。4か月間もネヘミヤは祈り、断食したのですから、毎日、神が答えてくださらないかのように、彼には思えたかもしれません。しかし、神のタイミングは常に完璧です。神は王を備えさせ、彼がネヘミヤの言葉を聞き、好意的に応じるようになさいました。
献酌官の任をしばらくの間解いて、ほかの土地の長官にするというのは、日常的なことではありませんでした。神がネヘミヤを通してペルシア王アルタクセルクセスⅠ世に語り、ネヘミヤをユダの領地を治める長官とするように心を動かされたのです。王妃に関する言及は〔ネヘ2:6参照〕、それが私的な機会であった可能性を示唆しています。なぜなら、女王が祝宴に常に同席することは習慣でなかったからです。ネヘミヤは、王に先入観を持たせないよう、エルサレムのことをすぐには言いださず、私的なことについて王の感情に訴えます。具体的な場所が述べられる前に、王は助けようという気になっていました。
派遣されるネヘミヤ
王はネヘミヤに、ユーフラテス西方の長官ホロニ人サンバラトとアンモン人トビヤに宛てた手紙を持たせました。ネヘミヤがやり遂げねばならないことのお膳立てをするためです。それに加えて、王の森林管理者アサフに、町や城壁や城門を再建するのに必要な木材をネヘミヤに与えるよう、王は命令しました。
問4
ネヘミヤ2:9、10を読んでください。これらの聖句は、ネヘミヤや一般のユダの人々が直面するであろう反対について、何を教えていますか。
ネヘミヤは紀元前444年の後半頃、エルサレムに到着しました。反対は、ネヘミヤが何か行動を起こそうとする前に生じたようです。長官たちに伝えられた要求が問題を引き起こしたからです。トビヤというのはユダヤ人の名前で、「主は恵み深い」という意味ですが(彼の息子ヨハナン〔ネヘ6:18参照〕もユダヤ人の名前で、「主は憐れみ深い」という意味)、彼はアンモンの長官でした。つまり、エルサレムは敵に囲まれていました―北にはサマリアの長官サンバラト、東にはアンモンの長官トビヤ、南にはエドムとモアブを掌握するアラブ人ゲシェム(同2:18、19)。残念なことに、その地域の指導者たちはネヘミヤを遠ざけました。虐げられた人たちの「ためになること」を彼が気遣っていたからです。いじめる側というのは、自分が脅している相手の幸運を喜んだりしません。
「彼〔ネヘミヤ〕が、軍隊の護衛を受けてエルサレムに到着し、何か重大な任務を帯びて来たことを示したことは、町の近くに住んでいた異邦の種族のねたみを引き起こした。彼らはこれまで度々、ユダヤ人に対する敵意をいだき、危害と侮辱を加えたのである。この邪悪な行為の最前線にいたのが、ホロニ人サンバラテ、アンモン人奴隷トビヤおよび、アラビヤ人ガシムであった。これらの主謀者たちは、最初からネヘミヤの運動を批判的な目で眺め、彼らのなし得る限りのことをして彼の計画を阻害し、彼の事業を妨害しようとした」(『希望への光』622ページ、『国と指導者』下巻237ページ)。
任務に備えるネヘミヤ
間違いなく、主はネヘミヤをこの任務に召し、彼が必要とするものをすべてお与えになりました。ネヘミヤは、神の約束と神による召しの確かさとで身を固めて事を進めました。しかし、彼は慎重に祈りつつ前へ進みました。言い換えれば、彼は、神がともにおられることを知りつつも、自分がなすべきことをじっくり考えることをやめませんでした。
問5
ネヘミヤ2:11~20を読んでください。ネヘミヤは城壁再建計画の準備のために、どのようなことをしますか。
指導者としての教訓その1:ネヘミヤは、「エルサレムで何をすべきかについて、神がわたしの心に示された」(ネヘ2:12)計画をだれにも知らせません。彼は敵にも話さないだけでなく、ユダの指導者たちにも秘密にします。そして、なすべきことを見いだすために、斥候活動に出ます。教訓その2:何かを伝える前に、ネヘミヤは下調べをし、必要とされるすべての働きの計画を練ります。教訓その3:ネヘミヤは任務について話すときに、まずこの遠征を導くために神がこれまでにしてくださったことを概説し、それから王の言葉を付け加えています。彼は献身を求める前に励まします。抵抗に遭うにもかかわらず、ユダの人々が建設に快く応じ、決心したのは、奇跡以外の何物でもありません。神は、ネヘミヤの祈りと断食を通して王の心を備えるだけでなく、ユダの人々の心をも備え、彼らが大胆かつ勇敢に応じるようにしてくださっていたのです。
問6
ネヘミヤ2:19、20を読んでください。これらの聖句は、ネヘミヤの信仰について何を物語っていますか。申命記7:9、詩編23:1~6、民数記23:19などの聖句は、ネヘミヤをいかに助けた可能性がありますか。
私たちの会話は、私たちが何者であり、私たちが心から何を信じているかを明らかにします。ネヘミヤは常に人を鼓舞する言葉を語ります。たとえ人々が彼をからかい、あざ笑うときでさえ、彼は恐れることなく、自分が語るあらゆることに神を含め、神に栄光を帰すのです。ネヘミヤは、敵が自分たちを軽蔑していると知っていますが、遠回しな言い方をしたり、会話から神を除いたりしません。昔のエジプトにおけるヨセフのように、ネヘミヤは恐れることなく、神を信じない人たちの中で自分の神を奨励するのです。
さらなる研究
参考資料として、『国と指導者』第52章「総督ネヘミヤの活躍」を読んでください。
ネヘミヤは祈りの人でした。
「ネヘミヤは彼の民のために、しばしば心を注ぎ出したのであった。しかし今、彼が祈った時に、彼の心には聖なる決意が起こった。もし王の許可が与えられ、器具と材料を手に入れるのに必要な援助が与えられるならば、ネヘミヤ自身がエルサレムの城壁の再建事業に着手し、イスラエルの国家的勢力を回復しようと決心した。そして彼は、王の前で彼に恵みが与えられて、この計画が実施されるように主に願い求めた。『どうぞ、きょう、しもべを恵み、この人の目の前であわれみを得させてください』と彼は嘆願した(ネヘミヤ1:11)。ネヘミヤは4ヶ月間、王に願いを申し出る絶好の機会を待った」(『希望への光』620ページ、『国と指導者』下巻231ページ)。
*本記事は、安息日学校ガイド2019年4期『エズラ記とネヘミヤ記─忠実な指導者を通して神がなしうること』からの抜粋です。