神の実物教訓【エレミヤ書、哀歌―神の計画と私たちの役割】#6

目次

中心思想

権威、律法、服従といった言葉がしばしば否定的に受けとられるのはなぜでしょうか。人間の意志を神の権威に従わせることがむずかしいのはなぜでしょうか。

アウトライン

1.戦場にはせ入る馬(エレ8:4~12)

2.レカブ人の忠誠(エレ35:1~19)

3.砕かれたびん(エレ19:1~15)

4.亜麻布の帯(エレ13:1~11)

5.木のくびき(エレ27:1~15)

神は自然界の法則と霊的法則を定められた

毎年、11月頃になると、黒とオレンジ色のまだら模様をした1億羽のオオカバマダラチョウの大群が、カナダ南東部とアメリカ北東部から4000キロも離れたメキシコ南西部の山々に向けて移住を開始します。科学者たちは、熱気流に乗って地上から900メートルのところを飛ぶチョウの群れを追跡しました。このか弱い、一見無力に見えるチョウたちは誤ることなくその冬の繁殖地を見つけます。3、4世代後には、彼らは北に向けて旅をします。私たちが本能と呼ぶ、その「航空術」は遺伝によるものです。このような自然界の法則に対する一致を見るときに、私たちは改めて創造主の知恵と力に驚かされます。神の法則に故意に背いているのは人間だけです。

神はエレミヤに様々な実物教訓を用いるように命令されました。あるものは自然界から、またあるものは人間の日常生活から取られています。その目的は神の民に、彼らの祝福のために定められた律法を守らせることにありました。

戦場にはせ入る馬(エレ8:4~12)

質問1

神はどんな易しいたとえを用いてご自分の民を悔い改めに導こうとされましたか。ユダは自らの道徳的逸脱に対してどんな態度を取りましたか。エレ8:4~6

主はこれらの聖句の中で、ユダの執ような罪の不条理さを生き生きとしたたとえで示すことによって、彼らと論じ合おうとしておられます。

質問2

神は3番目の例話としてどんな現象を用いておられますか。それはどんな勧告を含んでいますか。エレ8:7

ある種の鳥の移住行動を支配する神のおきては人間の行動を支配する神のおきてと比較されます。

自然科学によれば、この宇宙は物理的法則に従って動いています。ある種の鳥たちが驚くべき行動をすることができるのは、その追伝コードに刻まれた移住本能のおかげです。北極から10度以内の所で生まれたキョクアジサシは生後6週間すると、越冬のために1万8000キロも離れた南極に移住し、夏になると、また北極にある元の営巣地に帰ります。

私たち人間は物理的法則と同時に道徳的法則のもとで生きています。頑迷な罪人である私たちは生まれつきの状態では神のみこころに従うことができません(ロマ8:6~8)。イスラエルは契約による神の花嫁であって、エジプトにおける隷属状態から解放され、注意深く神のみこころを教えられてきました。彼らの問題は知識が欠けていたことではなく、信じ難いほどに信仰が欠けていたことでした。

質問3

神の確かなみ言葉を捨てるとき、人間の知恵はどうなりますか。エレ8:8、9(申命4:5~9比較)

「被造物の最高作品である人間だけに、神は律法の聖なる要求を識別する意識と、聖であって、正しく、かつ善なる律法を愛する心とを与えられた。迅速で完全な服従が人間に求められている。しかし、神は人間に服従を強制されない。人間は自由な道徳的行為者である」(『セレクテッド・メッセージズ』英文第1巻216ページ)。

レカブ人の忠誠(エレ35:1~19)

神は遊牧の民、レカブ人を通して服従についての実物教訓を与えようとされました(レカブ人の歴史については、歴代上2:55、士師I:16、民数10:29、列王下10:15~28、エレ35:11参照)。

質問4

エレミヤがレカブ人を宮の一室に招いたのはなぜでしたか(エレ35:1~5)。レカブ人がエレミヤの勧めを拒んだのはなぜですか(エレ35:6~10)。神はこの実例によって何を教えようとされましたか。エレ35:12~17

飲酒がもたらすさまざまな病気や、町に住むことからくる問題を目の当たりにして、ヨナダブは息子たちに酒を断ち、遊牧生活を送るように命じました。レカブ人は200年以上にわたって先祖の命令を忠実に守ってきました。不思議なことですが、人間は時として神の戒めよりも人の戒めにより忠実です。

「もし子孫を不節制の害から守るために、最良かつ最も効果的な手段を取った善良で賢明な父親の命令が厳格に守られねばならないとすれば、人間よりも聖である神の権威はさらに聰ばれるべきである」(『教会へのあかし』第4巻175、176ページ)。

信仰による義の本質は神のみ言葉に真心から信頼することにあります。「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」(ロマ10:17)。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタ4:4)。義人は信仰によって生き(ロマ5:l)、信仰は神のみ言葉によって始まります。したがって、義は神のみ言葉から来ます。

アブラハムは神のみ言葉を信じ、その信仰が彼の義と認められました(創世15:6)。彼は神の約束に従って行動し、「神はその約束されたことを、また成就することができると確信」しました(ロマ4:21)。今日、神は私たちにみ言葉の民となるように求めておられます。ユダが天の父に対する信仰を捨てたのと対照的に、レカブ人はこの世の父〔ヨナダブ〕に忠実に従いました。そのように、私たちも天の父に忠実に従うべきです。なぜなら、私たちは「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける」からです(黙示14:12)。

砕かれたびん(エレ19:1~15)

質問5

ユダの陥落から20年後エレミヤは長老と祭司の前でどんな強力なたとえを実演して見せましたか。エレ19:1~10

このたとえの背景がその意味をさらに強いものにしています。一行は「瀬戸かけの門」と呼ばれる東門を通って外に出ましたが、そこは壊れた陶器を捨てる場所だったようです。ヨシヤ王によって廃止されていたにもかかわらず(列王下23:10)、ユダは明らかにベンヒンノムの谷を人身御供の場所、犯罪人を埋葬する場所としてなおも用いていました。

質問6

このたとえは何を教えるためのものでしたか。エレ19:10~13

3節におけるエレミヤの宣言は、「燃える火に油を注ぐようなものであった。……たぶん、そこに立っていた者たちのうちには、火で焼かれた自分の子供の臨終の叫びを思い出した者もいたであろう。エレミヤが彼らを連れ出したその場所は罪なき子らの血で染まっていた。彼らは現行犯で有罪とされ、自ら犯した罪の現場に引き出された。……
みんなの者に見えるようにびんを高く掲げてから、エレミヤはそれを瀬戸かけの門にぶつけて砕いた。むなしく砕ける音に続いて、彼の声が上がった〔11節引用〕。彼ら〔ユダ〕は犯罪人を埋葬する場所を受け入れるであろう。まさにその通りである。しかし、それは彼らの独善を厳しく責めるものであった」(ジョン・ゲスト「コミュニケーターズ・コメンタリー』第17巻151、152ページ)。

ユダは乾燥して壊れやすい粘土の器のようになっていました。順応性のある粘土と異なり(エレ18:1~6)’偉大な工芸家である神はもはやこの粘土をお用いになることができませんでした(エレ19:10、II)。神は彼らにご自分の義を世界に宣べ伝える器となるように意図しておられました。それなのに、彼らは自らの器を世のあらゆる罪悪で満たしました。

砕かれたびんのたとえは、捕囚後に成就する回復の約束を無効にするものではありませんでした。砕かれて地面に散乱している瀬戸かけはユダの運命の日を「大声でふれて」いました。粘土の器が修復できないように、ユダの霊的生命を回復する機会はもう残っていませんでした。

亜麻布の帯(エレ13:1~11)

質問7

神はエレミヤに何を買って、身に着けるように言われましたか(エレ13:1、2)。それは何を表していましたか(11節)。とくに帯が選ばれたのはなぜですか。エレミヤはそれをどこに隠し、あとで取ってきましたか。エレ13:3~7

モーセは言いました。「われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか」(申命4:7)。雲と火の柱は荒野のイスラエルを導き(出エ13:21、22)、神は幕屋にお住みになりました(25:8)。ユダはこれらを通して神の求めておられる親しい交わりについて学ぶ必要がありました。

ユーフラテス川はシリア・パレスチナとメソポタミヤの境界でした。そこまで行くには、最も近い所でも560キロありました。2往復すれば、2240キロです。ユーフラテスという言葉は、ユダがユーフラテス川のほとりにあるバビロンに連れて行かれることを暗示していました。

質問8

そこなわれた帯は何について教えていましたか。エレ13:8~11

過度の自己愛である高慢は人間の罪の根源であって、これらのたとえはこの高慢という隠された罪について教えていました。鳥はその移住本能に逆らうことがありませんが、人間の高慢は聖霊の導きに逆らおうとします。高慢な心は神の意思よりも自分の欲望を満たそうとします。明らかな滅びに直面しても、かたくなに自分の意思を貫き通そうとします。神との関係を受け入れますが、それは神の賜物を受けるためであって、神の権威に従うためではありません。商慢な心は神の負わせられるくびきを受け入れません。

「たいてい、ほとんど絶望的で、いやしがたい罪は、自分の見解に対する誇り、自負心である。これは、すべての成長のじゃまになる。人が品性に欠陥を持っていて、しかもこれを認めることができない場合、自己満足が心にしみ込んでいて、自分の短所が見えない場合に、どうして清められることができるだろう」(『教会への勧告』上巻187ページ)。

木のくびき(エレ27:1~15)

この実物教訓が実演された時には、1万人のユダヤ人がすでに捕囚となっていました。真の神の名においてネブカデネザルに忠誠を誓ったゼデキヤが、ユダを統治していました(歴代下36:13)。

質問9

エレミヤ書27:2にはどんなたとえが演じられていますか。それはイスラエルの隣国に何を伝えることを目的としていましたか。エレ27:3~11

エレミヤは自分のために一つのくびきを作り、また主君に贈るためのくびきを各使者に一つずつ作りました。しかし、エレミヤ自身は使者たちの前でしか自分のくびきを負わなかったかもしれません。外国の使者たちは一致してバビロンに反逆することについて討議しました。

これらの聖句には神のあわれみとためらいが示されています。エレミヤはユダの捕囚を予告しました。従う国民は自分の母国にそのまま残ることができるというのが、その約束でした。

質問10

バビロンの主権に従い、国を完全な滅びから救うように、エレミヤはだれに嘆願しましたか。エレ27:12~15

「あわれみ深い神が、反逆する民に課せられる最も軽い罰は、バビロンの支配に服することであった。そしてもし彼らが、この服役の命令に逆らうならば、彼らは神の厳しい懲罰をあますところなく受けなければならないのであった。エレミヤが降伏のくびきを彼の首にかけて神のみこころを知らせたときに、諸国から会議に集まった人々の驚きは、たいへんなものであった。エレミヤは、断固とした反対に遭っても、降伏についての彼の所信をまげなかった」(『国と指導者』下巻61ページ)。

服従することは神のみこころであり、また健全な政策でした。エルサレムと神殿は言うに及ばず、数千人の生命が危険にさらされていました。神のみこころと国民の安全を忘れたゼデキヤとつかさたちの頑迷な高慢は、偽りの愛国いから出たものでした。彼らはその頑迷さのゆえに不安定なユダヤ国家の崩壊を招いたのでした。

まとめ

抽象的な論理は理解を困難にしますが、例話や具体的な事物を用いるなら、その意図を正しく伝えることができます。イエスがよくたとえによって御国の原則を教えられたのはそのためです。神がエレミヤに命じて視覚教材によってご自分のメッセージをユダに伝えようとされたのもそのためです。この視覚教材の中には、移住する鳥、レカブ人、粘土のびん、亜麻布の帯、木のくびきがありました。そのどれもが特定のことを強調していましたが、同時に何らかの点で人間に共通の問題、つまり高慢について教えていました。もし私たちが喜んでキリストの主権に従うなら、神は私たちのうちに謙虚で率直な心を植えつけてくださいます。それによって、私たちは喜んで神のみこころを行うようになります。

*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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