平和の預言者たち【エレミヤ書、哀歌―神の計画と私たちの役割】#10

目次

中心思想

すべての人は神の法廷で申し開きをしなければなりません。神がご自分の民の指導者の責任を問われるのはなぜですか。

アウトライン

  • 忘れられた過去(エレ2:5~8)
  • 偽りの治療者(エレ6:13、14)
  • 神の委任によらず(エレ14:13~16)
  • 反逆を説く(エレ28:1~17)
  • 真の羊飼い(エレ23:5、6、33:15、16)

神はご自分の忠実な民の絶減をお許しにならない

アメリカ南部に住むハクトウワシは絶滅の危機に直面しています。1988年における公式の調査によれば、509組が確認されています。ワシは毎年、l回に2個しか卵を産まず、ひながかえる率も平均すると年に1個です。

ハクトウワシの繁殖を人工的に助けるために、科学者たちはフロリダの巣から卵を移し、それをふ化・成長させ、ほかの地域の荒野に返します。産卵期の初期に卵を移せば、親鳥はもう2個の卵を産みます。

南部ハクトウワシと同じく、頑迷なユダも「絶滅」の危機に直面していました。バビロン捕囚の時期に、神はパレスチナに帰り、メシヤヘの道を備えさせる新しいイスラエルを育てようとされました。しかし、偽りの祭司と預言者が神の救いの計画を妨害しました。彼らは絶えずエレミヤに逆らい、神の民のための長期計画に反対するようにユダを教えました。

忘れられた過去(エレ2:5~8)

エレミヤは長い間、背信した指導者たちによって悩まされました。祭司、預言者、それに王や裁判官といった民の指導者たちは、ほとんど神のみこころを無視していました。これらの階層は堕落していて、自分の利益だけを追求していました。

質問1

ユダの指導者たちはいつから主に背き始めましたか。エレ2:5~8

神はユダの健忘性を責められました。彼らは自分たちの祖先がエジプトの奴隷と荒野の放浪から神によって奇跡的に救われたことを忘れていました。また、神が彼らの国家的、個人的幸福のために与えておられた賢明で正しい律法に従うことを忘れていました。その結果、公の制度は崩壊し、宗教的礼拝は堕落して無意味な形式となりました。なぜなら、祭司たちがもはや主を「知る」ことがなくなっていたからです。民の指導者たちも神の正義と導きを忘れ、預言者の言葉もバアルの宗教によって感化されていました。このように、指導者自身が民にとってつまずきの石となっていたのです(イザ3:12比較)。

「私たちの過去の歴史を回顧し、現在の状態に至るまでのあらゆる歩みを振り返るときに、私は、神をほめたたえよ、と言うことができる。主のなされたわざを見るときに、私は指導者としてのキリストに対する驚きと確信に満たされる。私たちの過去の歴史における主の導きの方法とその教えを忘れないかぎり、私たちは将来に対して恐れることは何もない」(『ライフ・スケッチ』196ページ)。

質問2

ユダヤ人指導者たちの犯した大きな罪は何でしたか。エレ8:9、10(エペ5:5比較)

「殺人、姦淫、盗み、中傷であれ、これらの罪の根源にあるいかなる罪であれ、道徳律の違反はすべてその原因をたどれば、貪欲を中心とする何らかの罪によって誘発・喚起されたものであることがわかる」(ジョン・バー『十戒の研究』163ページ)。

偽りの治療者(エレ6:13、14)

祭司とレビ人は宗教的な指示を与え、国民の礼拝を指導する役割を与えられていましたが、預言者は指導者と信徒に悔い改めを促し、神のさばきについて警告しました。

質問3

背信したユダが減亡に向かおうとしていたとき、偽りの預言者たちはどんな言葉を伝えましたか。エレ6:13、14、8:11

預言者であると主張する者がみな真の預言者であるわけではありません。当然ながら、ユダの民が望んだものはバビロンとの平和であって、戦争や捕囚ではありませんでした。偽りの預言者たちは民の歓心を買うことによって事態を悪化させました。しかし、主は言われました。「彼らはわたしの民の傷を、あたかも重傷ではないかのように手当てしている」(エレ8:11·新国際訳)。偶像崇拝、物質主義、利己心がユダを悪性の背信に導いていました。悔い改めと改革によってのみ、ユダはもとの状態に回復されるのでした。

質問4

エゼキエルは偽りの預言者たちが説いていた平安と繁栄のメッセージを何にたとえていますか(エゼ13:10~16)。こうした偽りの約束は民の心にどんな影響を与えましたか。エゼ13:22

「塀」は民の平和に対する願望を象徴していました。偽りの預言者たちは偽りの平和という「水しっくい」をこの塀に塗りました。頑迷な民は次のように言ったことでしょう。「もし戦いの終わりが近いのなら、私たちの生活はエレミヤが言うほど悪くはないはずである。これらの預言者たちは陰気な警告をもう150年も語っているのだ」。偽りの預言者たちの「平和」の説教はなおも彼らに罪を犯し続けさせました。

神の計画は、罪人を喜ばせたり、へつらったりするために使者を送りになることではない。神は清められていない人々に現世的安心感を抱かせる平和の言葉をお語りにならない。神はそのかわりに、悪を行う者の良心に重荷を負わせ、認罪の鋭い矢で彼の魂をつきさされるのである。奉仕の天使たちは、彼に恐るべき神の刑罰をし、必要感を深め、『わたしは救われるために、何をすべきでしょうか』という苦悶の叫びをあげさせるのである」(『国と指導者』下巻54、55ページ)。

神の委任によらず(エレ14:13~16)

「平和の預言者」たちは神からの委任を受けていませんでした。彼らは当時の政治情勢を誤って解釈しました。

質問5

にせ預言者たちが自分の警告を無視しているというエレミヤの報告に、主はどのように答えられましたか。彼らの預言はどこから出たものでしたか。エレ14:13~16

「主の啓示されたみこころとみ言葉に対する絶対的な忠誠と服従は、真の預言者と偽りの預言者とを区別する最終的な基準である。偽りの預言者たちは霊性が不足していたためにご自分の民に対する神の扱いを正しく理解することができなかった。それゆえに、彼らの宣言は間違っていた。イスラエル人の契約的伝統が条件的性格のものであることを理解しなかったためである。したがって、彼らは当時の政治的状況を完全に読み誤った」(R・K・ハリソン『エレミヤ書と哀歌』122、123ページ)。

質問6

にせ預言者たちはほかにどんな理由から平安を宣言い悪人の罪を是認しましたか(エレ23:14~17)。神はこれら偽りの指導者たちをどれほど知っておられましたか。エゼ23:21~26

イエスと使徒ペテロも終末時代のにせ預言者について警告しています(マタ24:24、IIペテ2:I~3)。これらにせ牧者の働きはいつでも同じ結果をもたらします。すなわち、彼らは罪人を真にいやすどころか、神の民の一致を妨げ、主のみ言葉を曲げるのです(エレ23:36)。は、世界に近づいている全体的な破減に、神の残りの民巻き込もうと望んでいる。キリストの再臨が近づくにつれて、彼らを敗北させようとするサタンの努力は、更に強力に、決定的になる。古い目標に対する信仰をぐらつかせる傾向をもった、何か新しい光、新しい啓示を持っていると公言する男性や女性が現れる。彼らの教義は神のみ言葉のテストには耐えられないが、それでも人々は欺かれるのである」(『教会への勧告』下巻427ページ)。

反逆を説く(エレ28:1~17)

エレミヤは4人のにせ預言者の名をあげています。それらは、ハナニヤ、アハブ、ゼデキヤ、シマヤでした。ハナニヤはエルサレムに住んでいましたが、ほかの3人はエゼキエルと共に捕囚になっていました。彼らは平和に対する偽りの希望を語りましたが、それ以上に重大だったのは、エレミヤとエゼキエルに与えられた神のメッセージを拒むことによって民に悪い影響を与えたことでした。

質問7

ハナニヤは主の宮の祭司と民の前でどのようにエレミヤに挑戦しましたか(エレ28:1~4)。エレミヤは何と答えましたか(5~9節)。ハナニヤは自分の預言をどのように強調しましたか(10、11節)。神はどんな方法によってエレミヤの預言の真実性を証明されましたか。これほど厳しい方法をとられたのはなぜですか。エレ28:16、17(1節比較)

先の預言者たちも自分の預言と同じくユダとその周辺諸国に臨む破滅を宣言したと、エレミヤは答えました。エレミヤとハナニヤのどちらが神からつかわされた預言者であるかを知るためには、どちらの預言が成就するかを見定める必要がありました。

ハナニヤの驚くべき預言と行為は混乱をひき起こしました。彼はエレミヤを疑い、悔い改めを求める神の訴えを退けました。しかし、速やかなハナニヤの死は指導者と民に反逆の重大さについて考えさせる結果となりました。

質問8

バビロンで捕囚となっていたにせ預言者シマヤは、祭司あての手紙の中でエレミヤを激しく非難しました。彼は祭司たちにエレミヤをどうするように望みましたか(エレ29:24~29)。シマヤはどのように罰せられましたか。エレ29:30~32

神を代表する指導者たちが神に背くように民を教えることによってその信頼を裏切ることは重大な罪です。ユダの状況はひどいものでした。バビロンにいた二人のにせ預言者、アハブとゼデキヤは主の名によって捕囚民の不満をかきたてようとしたので、ネブカデネザルによって焼き殺されます。自らは公然と罪を犯していながら、彼らは主の名によって偽りを語りました(エレ29:20~23)。

真の羊飼い(エレ23:5、6、33:15、16)

質問9

エレミヤは真の牧者として、にせ預言者たちが神からつかわされたものではないということをどのように指導者と民に悟らせようとしましたか。エレ27:12~22

もし王が主の命令に従っていたなら、祭司、預言者、民も主に従っていたことでしょう。しかし、王が積極的に従ったとは書かれていません。

もし祭司たちがバビロンのくびきを負うようにという、ユダに対する神の命令を受け入れていたなら、彼らは王を自分たちの側に引きつけるだけの力を持っていたことでしょう。神殿と都は破壊を免れていたことでしょう。しかし、ここでもエレミヤの勧告は受け入れられませんでした。

「偽りの信仰は人の生活や品性にきよい影響力を及ぼすことはない。虚偽は真理ではないし、それを反復あるいは信じることによって真理になることもない。どんな誠実さも虚偽を信じることによりもたらされる影響力からその人を守ることはない。誠実さがなければ真の宗教もないが、偽りの宗教における誠実さも決して人を救うことはない。私は誤った道に従うことにおいて完全に誠実であることができるが、それによって誤った道が正しい道になることはないし、私を目指す地点に導くこともない」(『セレクテッド・メッセージズ』第2巻56ページ)。

質問10

神はどんな霊的牧者によって残りの者たちを導かれますか(エレ23:3、4)。神の牧者は偽りの牧者・預言者の慟きに対抗して何をされますか。エレ23:5、6

ユダの民に与えられたこれらの預言の成就は、彼らが悔い改めるか否かにかかっていました。しかし、捕囚後の彼らは主の義と知恵に信頼しませんでした。「正しい枝」とは、「エッサイの株から一つの芽が出」(イザ11:I)と言われている主イエス・キリストのことです。ユダがもとの木の株だけの状態になっていたとき、キリストが人類の罪のために死に、彼らを罪から義に導くために来られました(Iペテ2:21~25参照)。キリストが聖霊によって信者の心を満たされるとき、彼の義が信者の心を支配し、彼らは世にキリストの品性のすばらしさをあらわします(エペ3:14~19、IコリI:30参照)。

まとめ

指導者の背信は、たとえ1、2度であってもつねに教会を荒廃させるものです。ユダが滅亡した原因の大部分は指導者の道徳的墜落にありました。現在と将来の惑わしについての警告はキリストに従う者たちに対して、キリストとの密接な一致を保つように教えています。キリストの義と知恵は私たちを過ちと背信から守ってくれます。

*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。

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