尊い約束【エレミヤ書、哀歌―神の計画と私たちの役割】#11

目次

中心思想

ある人が次のように勧告しています。「神が約束を実現してくださるまで、その約束にすがりなさい。神は必ずご自分の約束を成就してくださいます」。神の約束に絶対的に信頼することがクリスチャンの生活の重要な一部分であるのはなぜでしょうか。

アウトライン

  • 第2の出エジプト(エレ31:1~14)
  • ヤコブとラケル(エレ31:15~17)
  • 神にはできないことがない(エレ32:26、27)
  • 一つの国家(エレ31:8、9)
  • 予告されたメシヤの出現(エレ33:15)

幸せな帰宅

「フランシス!」。ジャックは笑いながら弟フランシスを抱きしめました。それから、ジャックはかばんを開き、家族に贈り物を配り始めました。彼は20年前、家を飛び出し、海軍に入っていました。フランシスは兄の居場所を知りませんでした。その兄が今、帰ってきたのです。二人は和解しました。すばらしい約束に満ちた新しい生活が始まったのです。何と幸せな帰宅でしょう。

主もまたご自分の民のために帰国を計画しておられました。捕囚となっていたイスラエルとユダの子孫たちは一つの民としてパレスチナに戻ってくるはずでした。待ち望まれていたメシヤが来られ、神はイスラエルと契約を更新されるはずでした。それは不可能な夢のように思われましたが、神にはできないことがありません。これらの尊い約束は避けられないバビロン捕囚という暗い影の中にあって慰めに満ちた希望の光でした。

第2の出エジプト(エレ31:1~14)

質問1

主は出エジプトを何と比較しておられますか。エレ23:7、8

イスラエルはかつてヨセフの保護のもとで自由な民としてエジプトに下って行きました。彼らは不当にも奴隷とされますが、奇跡的に解放されます。しかし、紀元前8、7、6世紀にアッシリアとバビロンに征服されると、イスラエルとユダの王国は滅び、国民は祖国を追放されて捕囚となります。政治的に、ユダヤ人国家は消滅してしまったのです。ペルシヤの偉大な三人の王(クロス大王、ダリヨス1世、アルタシヤスタl世)が神の摂理によってユダヤ人を捕囚から解放し、さらにはその国家としての地位、神殿、都までも回復してくれると、いったいだれが想像することができたでしょうか。

質問2

これらの解放運動のうちに神のどんな特性が示されていますか。神は何と約束しておられますか。エレ31:1~4

エジプトからの出国、バビロンからの出国において、神はご自分の民に愛と恵みをあらわされました。罪人であり背信者である私たちは、神に対する第1歩が全く私たちにゆだねられていると考えるかもしれません。しかし、実際には、聖霊が私たちを神に向かわしめてくださるのです(ヨハ6:44参照)。「魂のうちに目覚めた、神に帰ろうとする願望はすべて、さまよう者を父なる神の愛のふところに誘い、導き、引きつけられる聖霊の優しい訴えにほかならない」(『教会へのあかし』第5巻632、633ページ)。

質問3

約束されたバビロンからの出国において、人々はどんな態度をとると主は予告されましたか。神は彼らのために何をすると約束されましたか。エレ31:7~14

ある意味で、神の恵みを受け入れる罪人はみな、二重の解放を経験するのです。第一に、彼らは罪によって支配される奴隷状態から解放されます(ロマ6:l7、18)。第二に、彼らは栄光に満ちたキリストの再臨においてこの世から永遠の王国へ入ります。これらの経験は大いなる喜びを与えてくれます(ルカ15:7、10、黙示7:9、10)。

ヤコブとラケル

エレミヤ書30、31章は「慰めの小書」と呼ばれることがあります。それらが将来における回復について記しているからです(30:1~3)。これらの章において、ヤコブとその妻ラケルがユダの滅亡と回復の象徴として言及されています。

質問4

減亡が何によって象徴されていますか。この征服と捕囚の期間は何と呼ばれていますか。どんな約束が与えられていますか。エレ30:4~9

エレミヤは先に、外国の軍隊によるイスラエルの突然の滅びを妊婦の産みの苦しみにたとえています(エレ4:31、6:24、13:21)。ここに出産の経験における二つの要素、つまりその突発性と耐えがたい激痛が強調されています(Iテサ5:3比較)。ユダの経験する恐るべき苦悩を強調するために、主は妊婦の苦痛を「男」、つまりユダの擬人化された「ヤコブ」に転移させておられます。直接的な意味において、「ヤコブの悩みの時」とは紀元前6世紀におけるユダの滅びと捕囚をさしています。しかし、「彼はそれから救い出される」と約束されています(エレ30:7)。この歴史的時点におけるヤコブの産みの苦しみと苦悩は新しい国家、つまりバビロン捕囚から解放されて神の計画と目的を遂行する新しいイスラエルの誕生を暗示していました。

質問5

ラケルはどんな意味でバビロン捕囚の苦しみの擬人化と言えますか。主は悲しんでいるご自分の民にどんな慰めに満ちた約束を与えておられますか。エレ31:15~17

捕囚民はエルサレムの北、約8キロのところにあるベニヤミンの地、ラマに集められ、そこからバビロンに引かれて行きました(エレ40:1)。彼らの嘆きはベニヤミンを産んで死んだラケルの苦しみにたとえられています(創世35:16~20参照)。彼女は鎖につながれて引かれて行く「子ら」のために嘆くユダの擬人化になっています。しかしここでも、彼らが再び帰って来るという約束が与えられています(エレ31:17)。

神にはできないことがない(エレ32:26、27)

戦場におけるバビロン軍の勝利について聞かされるにつけ、捕囚民の心はかたくなな抵抗からみじめな失望へと大きく揺れ動いたことでしょう。

質問6

ユダヤ人が国家として消減することがないということを、神はどのように約束されましたか。神が彼らを征服されるままにされたのはなぜですか(エレ30:10、11、46:28)。このような矯正が必要だったのはなぜですか。エレ32:28~35

神はユダからご自分の祝福と保護を取り除き、バビロンの戦いによって彼らを訓練されましたが、バビロン自身もその悪行の責任をとることになるのでした。神はこの異教国にご自分の真理を知らせようとされましたが(エレ51:9)、バビロンがこれを拒み、最終的なさばきを受けることを予見されました(エレ50、51章)。ユダは悪の升目を満たしていなかったので、なお望みがありました。神はあわれみのうちに罪深いユダを完全に滅ぼすようなことはされませんでした。残りの民が捕囚という訓練に耐え、再び神によって植えられるのでした(エレ32:41)。

質問7

エレミヤが迷いのうちに主に尋ねたとき、主はどんなすばらしい約束を繰り返されましたか。エレ32:26、27、37~44

エレミヤは先に、「あなた〔主〕のできないことは、ひとつもありません」と祈っています(エレ32:17)。主もその応答の中でこの基本的な真理を預言者に次のように繰り返しておられます。「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか」(27節)。布陣した兵士たちが叫び、異国の軍隊が城壁を攻撃しているとき、監視の庭では簡単な商取引が成立していました(6~15節)。地所が買い取られ、買収証書が保存されました。これは、いつの日にかユダが再定住するようになるという涸出された約束でした。悔い改めたユダの前には、捕囚をこえて輝かしい将来が約束されていました。神はご自分の目的を成就する力に欠けることがありません。「信ずる者には、どんな事でもできる」(マル9:23)。

—つの国家(エレ31:8、9)

レハベアムが王位についてしばらくすると、10部族が分離してヤラベアム1世のもとで別の王国を建設します。2部族だけがダビデ王朝のもとにとどまり、ユダ王国となります。これら「兄弟」国家(イスラエルとユダ)は200年以上にわたり、時には互いに戦いながら存続します。紀元前722年に、アッシリアがイスラエルを征服し、その国民を追放します。バビロンがユダを征服し、その民を追放する前に、神は二つの国を一つの国に統一すると約束されました。

質問8

神はユダとイスラエルに対してどんな計画を持っておられましたか(エレ30:1~3)。神はどんな具体的な言葉をもって再定住の過程を描写しておられますか。エレ31:27、28

エレミヤの初期の託宣の一つが北メソポタミヤにいるイスラエル人の捕囚民にあてられています(エレ3:12~14)。悔い改めを求める一方で、神は彼らの回復を約束しておられます。ユダとイスラエルの家は「北の地から出て」、彼らの故郷に「共に来る」のでした(18節)。

ある意味で、キリスト教会もまたイスラエルとユダのように「バビロン」捕囚の中にあります(黙示l4:8参照)。この世は私たちの故郷ではありません。私たちはイエスの再臨と「万物更新の時」を待っています(使徒3:21)。多くの国民に分裂しているとはいえ(黙示14:6)、私たちは今、キリスト・イエスにあって「一つ」となることを学ぶことができます(ヨハ17:20~23)。

質問9

主はどのような「傷」をいやしてくださいますか(エレ31:8、9、30:17)。神は廃虚となったエルサレムの都に関してどんな約束を与えておられますか。エレ30:18

どちらの王国も極度の偶像崇拝と背信によって深く傷ついていました。バビロンでは、聖霊の導きに応答し、涙をもって悔い改める者たちがいます。シオンは自らを忌み嫌うようになります(エゼ20:43)。神のゆるしの恵みは悔い改めた者にいやしを与え、神の力は国を回復します(ゼカ3:1―4参照)。そして、分裂していた部族は真の和解を経験します。

予告されたメシヤの出現(エレ33:15)

アブラハムの子孫はアブラハムに対する約束(創世22:18)の成就であるメシヤの来臨を長く待望してきました。エレミヤ、エゼキエル、ダニエルは、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放に関連してメシヤの来臨を明らかにしています。ダニエルはその正確な年代を特定しています(ダニ9:24、25)。

質問10

エレミヤはメシヤのダビデ王朝との関連について何と述べていますか(エレ23:5、33:15―ルカ1:30~33比較)。メシヤの名にはどんな深い意味がありますか。エレ23:6

神は預言者エゼキエルを通して、メシヤがその王国を確立するまではダビデの王位につく者がいないと言われました(エゼ21:26、27)。どちらの預言者も聖霊に動かされて、メシヤの来臨がユダヤ人のアッシリア、バビロン捕囚からの帰還後のある時点で実現すると宣言しています。

質問11

メシヤはだれにたとえられて、ご自分の民の牧者として描かれていますか。エゼ34:23、24、エレ30:8、9(ヨハ10:11、14比較)

羊飼いダビデは、大いなるダビデの子、また民の牧者であるメシヤを予示していました(イザ40:10、11)。

メシヤの来臨は永遠の契約を更新するものとなるのでした(第4課参照)。キリストの犠牲は神がご自分の民に与えられたすべての約束を保証するものです(エレ31:31~34、ロマ]s:8参照)。

質問12

神はエレミヤを通してユダヤ人に与えられた回復についての尊い約束をどのように保証されましたか(エレ31:35~37、33:19~22)。このことは、たとえ神の民が神を拒んだとしても神の約束が不変であることを意味しますか。エレ18:7~10

私たちは当時の多くのユダヤ人たちのように神の約束を誤解してはなりません。神の約束はすべてその民の服従を条件としています。条件は契約に明示されています—神の律法は心に記されるのです。この変革の恵みを進んで体験する者たちは創造主のみこころに従うようになります。そのような人々にとって、神の約束は確実です(『各時代の希望』上巻107、108ページ参照)。

まとめ

クリスチャンとしての私たちの信仰は神の約束にもとづいたものでなければなりません。神の約束の成就を見ることによって、神がほかの約束も成就してくださるという私たちの信仰は強められます。ユダに与えられた回復と明るい将来についての約束は、長い捕囚生活の中にあってユダヤ人につねに新しい希望を与え続けました。同じように、再臨についてのキリストの約束は現代のイスラエルに希望を与えてくれます。福音を世に伝えることによって、私たちの希望は燃え続けます。キリストは私たちの確かな望みです。キリストだけが世の希望です。

*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次