選ばれた寄留者と旅人【ペトロの手紙1―生ける望み】#2

目次

中心思想

ペテロの手紙は福音の招きに接し、それを受け入れたすべての人たち、すなわち小アジアの選ばれた人たち、また各時代のすべてのクリスチャンのために書かれたものです。

アウトライン

  • バビロンからの手紙(Iペテ1:1、5:13)
  • ローマにおけるペテロ(Iペテ5:12)
  • 選ばれた寄留者(Iペテ1:1)
  • 異邦人のための使命(1ペテ4:3、4)
  • 三位一体の神による選び(Iペテ1:2)

『ペテロの第1の手紙』はイエスの命(めい)によって書かれた

イエスはペテロに、サタンがあなたを麦のようにふるいにかけようとしていると言われたあとで、「あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」と命じられました(ルカ22:32)。ペテロはイエスの仲間に復帰したとき、小羊を養うように教えられています(ヨハ21:15~17)。『ペテロの第1の手紙」は主の命令の部分的な成就でした。それは弱り果てた巡礼者に対して信仰と不動の忍耐を持つように励ます「教書」です。それはまた神の民の将来について確信をもって語っています。この手紙の言葉づかいは著者の経験をよく表しています。それは、「キリストの苦難と慰めを十分に受けてきた者、また、その全存在が恵みによって変えられ、永遠のいのちという確かでゆるぎない望みを持っている者によって書かれたという印象を与える」(『患難から栄光へ』下巻216ページ)。

バビロンからの手紙(1ペテ1:1、5:13)

質問1

ペテロはどんな責任のある地位に召されていましたか。1ペテ1:1

使徒とは、「使命をもって送り出された代表者、使者」のことです(ジョゼフ・ヘンリー・セイヤー『セイヤー新約聖書希英辞典』68ページ)。使徒パウロは神から直接、啓示を受けたことを強調することによって、自らの使徒職を弁護しました(Ⅱコリ12:1~12参照)。彼は、「使徒たるの実(じつ)を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、……あなたがたの間であらわしてきた」と述べています(12節)。

一方、ペテロは直接、イエスと交わり、神からの啓示を受けました。使徒行伝は、彼がイエスの昇天後、聖霊の力によって行った数々の奇跡や力あるわざについて記しています。

ペテロは、自分が使徒であることの理由として、次のことがらをあげています。(1)直接、イエスと働きを共にしたこと(2)多くの弟子の中からイエスによって使徒の一人に選ばれたこと(ルカ6:12~16)(3)イエスによって牧会という特別な働きに任じられたこと(ルカ22:32、ヨハ21:15~17)。

ペテロの使徒職がパウロのそれのように問題とされている記録はどこにもありません。パウロは何回か、自分の召しを弁護することによって手紙を書き始めています(ガラ1:1、11、12参照)。しかし、ペテロにはそのような弁護は見られません。ペテロはただ自分自身を、イエスによって与えられた特別な使命を宣べ伝えるために選ばれた者と述べているにすぎません。

質問2

ペテロはどこからこの手紙を書きましたか。Iペテ5:13

ペテロがこの手紙を書いたのは、実際のバビロンにおいてでもなければ、かつてこの誇り高いカルデヤ帝国の首都のあった場所においてでもありません。「バビロン」という名はローマの都を意味する象徴でした。なぜなら、ローマは「新しい……イスラエルの抑圧者となりつつあった」からです(J・H.A・ハート「ペテロの第1の手紙」『エクスポジターズ・ギリシア語聖書』第5巻80ページ)。

質問3

使徒たちによって書かれた書物はクリスチャンにとってどんな権威を持ちますか(エペ2:20、3:5参照)。これらの書と、聖書には含まれていないが、霊感によって書かれた書とのあいだにはどんな関係がありますか(ヨエ2:28、29参照)。

ローマにおけるペテロ(Iペテ5:12)

質問4

ペテロの第1の手紙には、クリスチャンの直面していた状況に関してどんなことが暗示されていますか。Iペテ2:12、4:12~16

ペテロはローマで何をしていたか

ペテロがこの手紙を書いたのは晩年近くになってのことです。それはネロによる迫害の時期だったと思われます。次のことがわかっています。(1)ペテロが逮捕されたのは、パウロが2回目に逮捕された頃(紀元66年)だった。(2)ぺテロは逮捕されたとき、ローマにいた。(3)彼は魔術師シモンの偽りをあばき、その陰謀をくじこうとしていた。(4)魔術を信じ、シモンを後援していたネロがペテロの逮捕を命令した(『生き残る人びと』357ページ参照)。

質問5

ペテロと魔術師シモンとのあいだには以前どんなことがありましたか。使徒8:4~24

魔術師シモンは以前には、自分自身を神の力であると言いふらしていました(使徒8:9、10)。しかし、ピリポの説教を聞いてからは、シモンのうちに宿っていたサタンの力も一時的に抑えられていました。その悪の力がふたたび勢力を回復したのでした。

対立する二大勢力を代表する二人の人物がふたたびローマで出会いました。ペテロは、シモンが神の力の代表者をよそおう詐欺師であることを立証しました。しかし、新たなサタンの代表者がシモンの側につきます。ネロによって逮捕されたのち、ペテロは福音のための殉教者としていのちをささげることになります。

質問6

ペテロがこの手紙を書いたにしては、使われているギリシア語が上手すぎる、と言う人たちがいます。何と説明したらよいでしょうか。Iペテ5:12

「手によって」という表現から、書記のシルワノが自分のギリシア語の技術を用いて、ペテロの語ることを紙(羊皮紙)に書き取ったと考えることもできます。しかしながら、五旬節の日の異言の賜物によって生じた変化に注目する必要があります。「この時から弟子たちの言葉は、母国語で語ろうと、外国語で語ろうと、純粋で単純で正確であった」(『患難から栄光へ』上巻35ページ)。

質問7

ペテロがこの手紙を書いていたとき、有名な聖書記者のだれが彼につきそっていましたか。Iペテ5:13(使徒12:12、25、13:13、15:37~40、Ⅱテモ4:11比較)

選ばれた寄留者(1ペテ1:1)

質問8

ペテロの手紙の受取人はだれでしたか。Iペテ1:1

ギリシア語では、「離散している選ばれた寄留者たちへ」となっています〔新改訳参照〕。ここには、選ばれた、寄留者、離散という三つの重要な思想が述べられています。

選ばれた

この「選ばれた」という言葉に関して、ごく一般的に二つの解釈がなされています。その一つは、神の独断的な決定による予定説であり、もう一つはいわゆる勝利主義(自分の信念に過度の確信を抱くこと)です。ほかの新約聖書もそうですが、ペテロの手紙はこれらの誤った思想について教えているわけではありません。ペテロがカヤパの法廷におけるにがい経験から学んだことは、クリスチャンの経験には勝利主義やうぬぼれの余地がないということでした。使徒パウロの言う予定とは、神がご自分の恵みに応答する人をあらかじめ知っておられるということです。

質問9

次の聖句は神の予定によって選ばれている人々についてどんなことを教えていますか。ロマ8:29、エペ1:5、11、12

神の予定は、人間の選択についての神の予知にもとづいています(ロマ8:29)。

エレン・ホワイトは「選び」について次のように述べています。「おそれおののいて自分の救いを達成しようとする者はみな選ばれている。武具をまとって、信仰のよき戦いをする者は選ばれている。目をさまして祈り、み言葉を研究し、誘惑からのがれる者は選ばれている。常に信仰を持ち、神のみ口から出るすべてのことばに従おうとする者は選ばれている。贖罪に必要なことがらはすべての者に無代で与えられている。贖罪の成果は、条件に応じる者に与えられる」(『人類のあけぼの』上巻227ページ)。

選ばれた寄留者

ペテロは特別の寄留者たち、つまり選ばれた寄留者たちに対して書いています。天国は彼らの真の家郷です。

離散している選ばれた寄留者たち

「離散し寄留している人たち」(Iペテ1:1)とは、ローマ世界およびその他の地域に散らばっていたユダヤ人のことでした。しかし、ペテロはこの一般的な言葉を新しい意味に用いることによって、罪の異境にいる寄留者・旅人である新しいイスラエルに呼びかけているのです。ペテロが同じクリスチャン(異邦人)を念頭においていたことは、3節と4節を見れば明らかです。

異邦人のための使命(Iペテ4:3、4)

質問10

これらの「離散している選ばれた寄留者たち」が、キリスト教に改宗したユダヤ人ではなく、異邦人の改宗者をさすことはどこからわかりますか。Iペテ1:14、2:10、4:3、4

私たちはふつう、小アジヤの諸教会がパウロの働きの結果であると考えます。しかしながら、この地域には無名の宣教師によって建てられた教会がいくつもあります。その一例が黙示録に出てくる七つの教会です。パウロはそれらの教会のいくつかのために働き、そのうちの一つ(エペソ)に手紙を書きましたが、これらの教会はほかの人々によって建てられたものです。

ペテロがローマ帝国のこの地域で働いたという明白な証拠はありませんが、彼は多くの地方にあかしを立てたと、一般的に考えられています(「患難から栄光へ」下巻216ページ)。この地図を見てみると、ペテロの手紙が小アジヤのおもだった教会にあてられた回状であったことがわかります。パウロによって建てられたガラテヤの教会および黙示録に出てくる七つの教会は、ペテロによって「離散している選ばれた寄留者たち」の中に含められています。

三位一体の神による選び(Iペテ1:2)

質問11

二節を読んで、選びについて説明している三つの節(箇所)をさがし出してください。三位一体の神のどのおかたがそれにかかわっておられるでしょうか。

父なる神の予知されたところによって選ばれ

神は全知のおかたであって、将来のことを現在・過去のことのようにすべて知っておられます。しかし、神の予知は人の運命を決定するものではありません。神の予知は、神が地上の子らに与えられた選択の自由を奪うものではありません。「神のみことばの中には、無条件の選びというものはない」(「SDA聖書注解』第6巻1114ページ、エレン。G・ホワイト注)。

「幼子のように自らを低くし、子どものような素直さをもって神のみことばを受け入れ、従う者はだれでも神の選民となるのである」(「SDA聖書注解』第6巻1114ページ、エレン・G・ホワイト注)。

御霊の力によるきよめによって選ばれ

「御霊のきよめ」という句の中で、御霊は働きかけられるおかたであり、きよめは受動的になされる行為です。きよめ(聖潔)は聖霊の賜物であって、人間の努力によって得られる特性ではありません(Iコリ6:11、Ⅱテサ2:13比較)。自分の生活の中で聖霊に働いていただくことによって、人は選民にふさわしい者となるのです。

イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために選ばれ

選民の存在は神に対するサタンの攻撃を無効にします。

1.彼らは神のみこころを行うことだけを考え、聖霊の力によって神に従おうとします(ヨハ14:15、1ヨハ5:2~5参照)。

2.信じる者をイエスの血によってきよめ、イエスの死によって義とすることによって、神は人類に対する愛を示されました。神は一つの民を永遠の御国のために備えておられます。

まとめ

三位一体の神は直接、選民のあがないにかかわっておられます。全知の父なる神は御霊と御子と協議することによって、人類家族をあがなう計画を立てられました。聖霊は御子の死にもとづいて、信じる者たちにご自身を与えられます。彼らはこのようにしてきよめられます(Iペテ1:2)。御子はご自分の血を流すことによって、すべての人が神の前に義とされる道を開かれました。この神の全体的な計画によって、神の選民は神との永遠の交わりに入るのです。彼らが神の律法に従う力を受けるからです。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。

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そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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