中心思想
地上の罪深い国民の中から、キリストは一つの民を選び、それを忠実な祭司、新しい聖なる国民とされました。聖なる国民の一人、神ご自身の民の一人となる機会を無にするのはだれでしょうか。
アウトライン
- 罪を捨てる方法(Iペテ2:1)
- 言葉の力(Iペテ2:1~3)
- 霊の家(Iペテ2:4、5)
- 隅のかしら石(Iペテ2:6、8)
- 聖なる国民(Iペテ2:8~10)
神の宝石
ロンドン塔の壁のうしろにある古い建物の地下に、一つの金庫室があります。旅行者が2列で入ることのできる大きさのその金庫室に、一つの大きな円形のガラスケースが納められています。そのケースには、イギリスの王冠の宝石が展示されています。旅行者はみな驚いた顔をして陳列ケースを二重に取り囲み、重々しく飾られた載冠式用の王冠や宝飾された儀式用の剣、そのほか何世紀にもわたってイギリス王室の権力と威厳の象徴であった数々の宝物に見入るのです。
神もまた全世界の驚嘆の的となるような陳列棚を持っておられます。それはあらゆる種類の宝石からなる霊的な家です。この宝石は生ける石であって、神の驚くべき力とわざを反映する民のことです。
罪を捨てる方法(Iペテ2:1)
ペテロはここで生ける石について述べています。それらは霊の家を建てるという神の目的にかなうものとなるためには、大いなる隅のかしら石に合わされなければなりません。1節には神の嫌われる罪があげられています。
質問1
生活の中からこれらの罪を取り除くのはだれの責任ですか。Iペテ2:1、2
罪に打ち勝つ力は神から来ます。この力をいただく意思は各人のものです。ペテロによれば、罪深い行為をやめることは各人の責任です。パウロもまた、罪に勝利する個人の責任について次のように教えています。「しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう」(ロマ8:13)。
「罪を追い出すことは、その魂自身の行為である。なるほどわれわれは、サタンの支配からわが身を解放する力はない。だが罪から解放されたいと望み、非常な必要を感じて、われわれ以外の、そしてわれわれ以上の力を求めて叫ぶとき、魂の能力には聖霊の天来の力が吹きこまれ、その能力は神のみこころを成就することにおいて意思の命令に従うのである」(『各時代の希望』中巻255、256ページ)。
質問2
イエスに従う者たちにとって、罪に勝利することは可能であるばかりでなく、絶対に必要であることはどこからわかりますか。ロマ6:14、Ⅱコリ7:1、黙示3:2、5
魂から罪を取り除く三つの方法
(1)ロマ8:9、10……魂の力が聖霊によって強められます。「神に服従しなければ、魂が聖化されることはできないのであります」(『キリストへの道』54ページ)。
(2)ピリ4:13……魂の力は人間の意志の命令に従います。「ただ必要なのはほんとうの意志の力とはなんであるかを知る事であります。意志とは人間の性質を支配している力……であります。すべてはただ意志の正しい行動にかかっているのであります」(『キリストへの道』60ページ)。
(3)ロマ8:13、14……人間の意志は神のみこころの延長となるので、神のみこころをなすことができます。「人が自分自身の心をキリストにささげるとき……意志はキリストの意志に没入し」(『キリストの実物教訓』292ページ)
言葉の力(Iペテ2:1~3)
質問3
1ペテロ2:1にあげられている罪が特に神の嫌われるものであるのはなぜですか。
悪意……人を傷つけようとする意図
偽り……ギリシア語の原意は「魚のえさ」。有害な意図をもったもの(釣り針)を魅力的に見えるもの(えさ)によって隠すこと。
偽善……人をだます意図をもって感情や行動をおおい隠すこと。
そねみ……自分にないものを持っている人に対する悪意に満ちた感情。
悪口……他人の面前で言葉によって人を故意に傷つけること。これらの罪は聖霊を締め出すような雰囲気をつくり出します。終わりの時代の神の印を受けた民はこれらの罪から遠ざかります(黙示14:5参照)。
質問4
クリスチャンは何を霊的成長の糧とすべきですか。Iペテ2:2―51
乳と堅い食物
パウロは幼いクリスチャンに必要な霊の乳と成人したクリスチャンに必要な霊の食物とを区別しています(ヘブ5:12~14参照)。ペテロが言おうとしていることは、クリスチャンは霊的成長のあらゆる段階で、幼児が食物を求めるように神のみことばを求めるべきであるということです。
質問5
神のみことばは罪との戦いにおいてどれほど強力な武器となりますか。エペ6:17、ヘブ4:12
聖書を信じると告白している人々の多くは、聖霊の導きを心の印象と取り換えています。心の印象は神から出たものと考えられていますが、実は別のところから来るものです(ウイル・バロン『新時代運動の偽り』参照)。聖霊はみことばによって私たちを罪に勝利させてくださいます。私たちの唯一の守りは日ごとにみことばを学ぶことにあります。聖霊によるみことばの解き明しを受けて強められた心は、サタンの攻撃に対して難攻不落です。
霊の家(Iペテ2:4、5)
ペテロはよく知られた旧約聖書の題材(隅のかしら石)を用いて、読者がイエスの模範に習う者となるとき、神の霊の家の一部になることができるということを教えています。聖書は守りの岩、あるいは要塞によって、神に信頼する者たちに対する神の力、救いの力を象徴しています(出エ17:6、1コリ10:4参照)。
ペテロの用いているギリシア語は、職人が家を建てるために刻んだ石をさします(Iペテ2:4)。
質問6
キリストを信じる者たちは生ける石として、どのようにして霊の家に築き上げられますか。Iペテ2:4、5
どのようにして生ける石となるか
キリストと交わる者はキリストに似た者となります。「人を霊の家の『生ける石』とするのは形式的な信心でもなければ、教会の記録に名前を記されることでもない。魂を神に結びつけるのは、知識と真の聖潔において新たにされること、世に対して死に、キリストにあって生きることである」(「教会へのあかし』第2巻168ページ)。
石切場から取られた石
私たちは罪の石切場から取られた粗野な石です。神はご自分の真理と私たちの人生経験によって、私たちをご自分の霊の家にふさわしいものとしてくださいます。それぞれの石は神の美しさに似るために、大いなる隅のかしら石に合わせられる必要があります。
一つの石はほかの石よりも価値があるか
「高い地位は心をきよめる力を持たない。神が彼らを高い地位につかせられたのは、彼らが神の品性をあらわすか、それとも弱い、人間の品性をあらわすかを明らかにするためである。人間の品性は決して神の規律に服することがない。しかし、地位は人間の品性を発達させる力を持たない。人が自分で働く、つまりサタンの働きに従うか、聖霊の働きに従うかは全くその人自身にかかっている」(『牧師へのあかし』288ページ)。
聖なる祭司
霊の家に築き上げられた生ける石は、霊のいけにえをささげる聖なる祭司となります。
質問7
次の聖句は霊のいけにえをどのように説明していますか。詩51:17、ロマ12:1、ヘブ13:15、16
隅のかしら石(Iペテ2:6、8)
質問8
次にあげる旧約聖書の預言はどんな意味においてイエスにあてはまりますか。イザ28:16(Iペテ26)、詩118:22(Iペテ27)、イザ8:14(Iペテ28)
イエスにおける成就
「ところがここに〔ソロモンの神殿の〕土台として用いるために、異常に大きく特殊な形をした一つの石がはこばれてきた。しかし職人たちはその石の場所をみつけることができないので、これを受けいれようとしなかった。……しかし最後に、長い間捨てられていたあの石に注意が向けられた。それは空気と太陽と嵐にさらされながら、すこしの割れ目もみせていなかった。建築家たちはこの石を検査した。それはあらゆるテストに合格し、ただ一つのテストが残った。もしこの石が激しい圧力のテストに耐えることができたら隅のおや石として受け入れようと、彼らはきめた。テストが行なわれた。石は受け入れられ、指定された場所へはこばれ、ぴったりと合った。預言のまぼろしの中で、イザヤは、この石がキリストの象徴であることを示された」(『各時代の希望』下巻42ページ)。
質問9
イエスはこの預言をどのようにご自身に適用されましたか。マタ21:42、43
ペテロによれば、イスラエルの霊的指導者たちは神の選ばれた隅のかしら石、イエスを拒みました(使徒4:6~12参照)。
昔の建築に使われた隅のかしら石は二つの役目を果たしていました。それらはイエスの働きを象徴しています。
(1).建築に使われたほかの石はすべて、かしら石に合うように整えられました。かしら石は建物全体のかたちを決定しました。同じように、神によって建てられている霊の家に用いられる石はすべて、隅のかしら石なるイエスのかたちと姿を反映しなければなりません。
(2).イエスは霊の家の土台となるおかたです(Iコリ3:10、11)。使徒たちも預言者たちも神の聖なる宮の土台であると言われています(エペ2:19~22)。なぜなら、彼らはイエスを信仰と救いのみなもととして罪人に紹介するからです。
聖なる国民(1ペテ2:8―10)
質問10
私たちはかしら石なるイエスに対してどんな態度をとるべきですか。Iペテ2:8、ルカ20:17、18
「岩なるキリストの上に落ちて砕けることは、自らを義とする思いを捨てて、子供のようなへりくだりをもってキリストのみもとに行き、罪とがを悔い改め、キリストのゆるしの愛を信じることである」(『各時代の希望』下巻44ページ)。イエスを拒む者たちにとって、イエスはつまずきの石です。悔い改めと献身をもってイエスに従う者たちはイエスと共に永遠に生きます。
質問11
昔、イスラエルに与えられていた特徴を1ペテロ2:9のそれと比較してください。出エ19:6、申命7:6
新しいイスラエル
新約聖書によれば、選民がメシヤを拒んだときにも、神の計画は変わることがありませんでした。使徒およびその回心者たちは、かつて古代イスラエルに与えられたのと同じ名称で呼ばれています(ガラ3:7~9、26~29比較)。
キリストを信じる者たちの特徴
「昔のイスラエルのように、教会は選ばれた民である(イザ43:20参照)。……教会はまた祭司の国である(出エジプト19:6)。すべての信者は、直接、神に近づくことができるので、祭司である。……イスラエルは、神への奉仕のために分かたれ、献げられているので、聖なる民である(出エジプト19:6)。……新しく生まれることによって、すべての信者は一つの民となる彼らを区別する特徴はその聖なることにある。つまり、罪から離れ神と神の目的のために分かたれているということである。したがって、彼らは神に属する民である(イザ43:21)。欽定訳の『特異な民』は多くの人々に疑いを抱かせる。というのは、クリスチャンがよく悪い意味で『特異』であるからである。新英語聖書はこれを、『神がご自分のものとされる民』と訳している。……フィラデルフィア博物館には、トーマス・エジソンの所有していたメガネが展示されている。その価値は所有者からきている。私たちは神に属する民である」(ロバート・H・マウンス『生ける望み—ペテロI、Ⅱ注解』28、29ページ)
質問12
ぺテロは契約の民についてのどんな旧約の預言をクリスチャンにあてはめていますか。Iペテ2:10、ホセ2:23
まとめ
ペテロはすべてのクリスチャンに罪を捨てるように教えています。彼らは神の生ける宮の石となって、かしら石なるイエスの栄光をあらわすべきです。イエスに従う者たちは新しいイスラエル、新しい契約の民であって、古代イスラエルが持っていたあらゆる霊的特徴をあらわすのです。
*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。