愛し、敬う【ペトロの手紙1―生ける望み】#9

目次

中心思想

家庭において、夫と妻は互いに理解し、思いやることが大切です。ふたりは共に神の恵みを受け継ぐ者であるゆえに、互いに尊敬と愛をもって行動すべきです。

アウトライン

  • 夫に対する妻の態度(Iペテ3:1)
  • 未信者の夫の妻(Iペテ3:1、2)
  • クリスチャンの飾り(Iペテ3:3、4)
  • 聖なる婦人の模範(Iペテ3:5、6)
  • 夫とその妻(Iペテ3:7)

家族を結びつけるやさしいきずな—家族のきずなは、地上における何ものよりも親密で最もやさしく、神聖なものである。それは人類の祝福となるために計画された。賢明に事を運び、神をおそれ、責任を十分に考慮して結婚の誓いがなされるならばそれは祝福である。

どの家庭も愛の宿るところでなければならない。神の使いが止まって、両親や子供の心をやわらげ従順にする力をもって働くところでなければならない」(『アドベンチスト・ホーム』7ページ)。

結婚関係ほどクリスチャンの霊的生活に大きな影響を与えるものはありません。それは神に対する愛と信仰を強めることもあれば、逆に重い十字架となって、霊的活力を失わせることもあります。この意味において、独身者と既婚者の双方に対する使徒パウロとペテロの勧告は重要なことを教えています。今回は、家族全体に関係のある使徒ペテロの勧告について学びます。

夫に対する妻の態度(Iペテ3:1)

質問1

妻は夫に対してどんな態度をとるべきですか。Iペテ3:1

自発的な協力は盲目的な服従ではない

次の三点を心にとめてください。(1)神が人間に与えられた価値(2)神から与えられた人間の

自由意志(3)1ペテロ3:1~7の文脈

ペテロの真の意図

1.ペテロが「自分の夫」(新改訳)という言葉を用いていることから、彼が社会における女性の地位について述べているのではないことがわかります。彼は、女性が男性に服従すべきであるとは言っていません。

2.ペテロは、女性が性的、社会的、知的、感情的、霊的に劣っていると言っているのではありません。

3.ペテロは、妻が夫の気まぐれな性的要求に従うべきであるとは言っていません(Iペテ3:7参照)。また、妻は感情的、肉体的虐待に耐えなければならないとも言っていません。

妻は夫のそばにいて彼を支え、励まし、その役割を尊ぶべきですoペテロ第1.3:1~7の要点は、愛情ゆたかな妻は夫に説教することによってでなく、妻としての責任を忠実に果たすことによって未信者の夫を回心させることができるということです。

質問2

使徒パウロは同じ問題について何と勧告していますか。コロ3:18、エペ5:22~25

「聖書は『妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」といって、夫が家族のかしらであることをはっきり述べている〔コロ3:18〕。……この命令の最後をみると、『それが、主にある者にふさわしいことである』とある。

神は妻が、神の栄えと神に対する恐れの念をいつももっていることを求めておられる。ご自分の命という無限の価によって彼女を自分の子供として買いとられた主イエス・キリストにだけ全的服従をささげるべきである。神は妻に良心をお与えになった。彼女はその良心を犯せば罰を受ける。彼女はキリストに買われたものであるから、自分の個性を夫の個性の中に没入することはできない。何事も夫の命令通りにすればサタンのなわめから買いもどされたからだと精神を傷つけることを知っていながら、盲目的な愛でそうしなければならないと想像することはまちがいである」(『アドベンチスト・ホーム』118ページ)。

未信者の夫の妻(Iペテ3:1、2)

質問3

妻が夫に従うべき理由として、ペテロは何をあげていますか。Iペテ3:1、2

ここで言われているのは、妻が信者で、夫が未信者である場合です(Iコリ7:10~16比較)。

キリスト教がローマ帝国中に広まるにつれて、ユダヤ人や異教徒の中から回心者が出てきました。ある家族は宗教のゆえに分裂していました。こうした分裂は今日と同じくさまざまな問題を引き起こしました。

サイモン・キステメイカーは次のように指摘していますo「1世紀の中頃においては、妻は夫の宗教を信じるように期待されていた。もし夫がキリスト教の信仰を受け入れるなら、妻もそうしなければならなかった。しかし、もし妻がクリスチャンになるならば、彼女は夫と夫の宗教に不忠実な者とみなされたoこれがもとで、家庭に争いが生じた」(「ペテロの手紙、ユダの手紙解説」『新約聖書注解』118ページ)。

質問4

自分の家族をクリスチャンに導いた人物を聖書からあげてください。使徒10:1、2、44~48、使徒16:14、15、使徒16:29~34、Iコリ1:11、16

「あなたのうちに聖霊が働いておられることを夫に見せなさい。注意深く、思慮をもって、忍耐しなさい。彼に真理を強要してはならない。妻のなすべき務めをなし、それで彼の心が動くか否かを見なさい。あなたの愛情を夫から引き離してはならない。あらゆる方法で彼を喜ばせなさい。あなたの信仰があなたがたを引き離すことがないようにしなさい。良心的に神に従い、あらゆる点で夫を満足させなさい」(『アドベンチスト・ホーム』392ページ)。

クリスチャンの飾り(Iペテ3:3、4)

質問5

あなたの配偶者の心をキリスト教の価値に向けさせるうえで最も効果のある飾りは何ですか。Iペテ3:3、4

既婚者であれ独身者であれ、神がクリスチャンに求められる品性は、「御子のかたちに似たもの」となることです(ロマ8:29)。キリストを受け入れる者は今や、「神の性質にあずかる者」です(Ⅱペテ1:4)。聖霊はクリスチャンを少しずつキリストと同じ姿に変えてくださいます(Ⅱコリ3:18)。彼は新しい人となってキリストの愛ときよい品性を反映する者となり、つねに主のように考え、語り、行動したいと願うようになりますoキリストが彼のうちにあって生きておられるので(ガラ2:20)、彼の身につけるもの、行動の様式はキリストのみこころにかなったものとなります。

私たちの身につけるものは上品で、控え目で、良識と自制、敬度さを表すものでなければなりません。

質問6

私たちは装身具を身につけるとき、どんな二つの原則を心にとめるべきですか。Iテモ2:9、10、ガラ2:10(箴言21:13比較)

1.飾りの問題

クリスチャンは自分自身に関心をひくために着るべきではありません。清潔で美しければ、飾りはいりません。装身具は自分自身を飾り、自分自身に関心をひきつけるためのものです。それは罪深い誇りを助長します。したがって、それはキリストの尊ばれる品性の美、「柔和で、しとやかな霊」に反するものです。高価でない宝石類を身につけることでさえ、使徒たちの教えている原則に反することです。

2.費用の問題

宝石類は大体高価なものです。人々が貧困に苦しんでいるときに、クリスチャンは不必要な飾りのためにお金を浪費してもよいものでしょうか。

好みの変化

「この教訓はどの時代の信徒にもあてはまる。『あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである』(マタイ7:20)。柔和でしとやかな内面の飾りは極めて貴重なものである。真のクリスチャン生活において、外面の飾りは常に内面の平和ときよさとに調和している。……好みが変わったことの証拠は、主にあがなわれた者たちのために与えられた道を歩むすべての者の服装に見られるようになる」(『患難から栄光へ』下巻222、223ページ)。

聖なる婦人の模範(1ペテ3:5、6)

いにしえの聖なる女たちは、しとやかな霊によって自らを飾り、後世に模範を示しました。彼女たちは夫の側にいて、夫を家庭の長と認めました。

質問7

ペテロが後世の模範と考えていたかもしれない「聖なる女たち」をあげてください。創世17:15―21、創世24:45、46、58、59、創世29:18、出エ2:1―10、ルツ1:1―4

質問8

 1ペテロ3:5に語られている聖なる婦人たちは、神とどんな関係にありましたか。

信心深いこれらの婦人たちの生活もつねに完全なものであったとは言えません。それでも、彼女たちは一貫して主に仕えました。

これらの婦人たちは「神を仰ぎ望んで」いました。彼女たちはみなメシヤに対する希望を持ち続け、自分が救い主の母となることを望みました。私たちの信仰がすでに来られたキリストに中心をおいているように、彼女たちの信仰は来るべきメシヤに中心をおいていました。

質問9

ペテロがサラだけを特にクリスチャン女性の模範としてあげているのはなぜですか。Iペテ3:6、ヘブ11:11、12

アブラハムがパウロによって信仰者の父と認められているように(ガラ3:29)、サラはペテロによって善行と勇気に満ちたクリスチャン女性の母と認められています。しかし、サラはいつでもアブラハムに従ったわけではありません。あるときは、主はアブラハムよりもサラの意見を受け入れておられます(創世21:9~12参照)。

夫とその妻(Iペテ3:7)

質問10

夫は妻に対してどんな態度をとるべきですか。Iペテ3:7

「知識に従って妻と共に住み」とは、ペテロの言葉の文字通りの意味であって、この知識は結婚生活のあらゆる領域に及ぶものです。それは、夫婦のあいだに生じるすべての問題を理解と気転をもって処理するということです。

質問11

ペテロが妻を「自分よりも弱い器」と言っているのはなぜですか。Iペテ3:7

妻は夫からの肉体的、精神的、霊的助けを必要としています。彼女はこれらの点において夫より弱いかもしれませんが、逆に強いかもしれません。どちらかの弱点が伴侶の長所によって補われるよう助け合うことが、結婚に対する主のみこころなのです。

1ペテロ3:7の夫への勧告は、夫と妻の双方にあてはまります。夫が愛と思いやりに満ちていれば、妻も喜んで夫に従います。

「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」妻を愛することは(エペ5:25)大きな責任です。もし夫が高価な衣服や「おもちゃ」にお金を浪費するのをやめるなら、妻も自分の着る物にお金をかけることはなくなります。もし夫が妻の肉体的、精神的、霊的必要に心をとめるなら、妻も喜んで自分の役割を果たすようになります。

質問12

 1ペテロ3:7の勧告には、どんな救いの原則が述べられていますか。ガラ3:28、29

救いに関して、神は男女の区別をされません。私たちはみな神の恵みを受け継ぐ者であり、キリストと共同の相続人です。このことのゆえに、夫はいっそう妻を尊ぶ必要があります。

質問13

神は自分の妻を愛さない夫の祈りをどうされますか。Iペテロ3:7(エペ5:25~33比較)

まとめ

結婚生活を成功させるのは夫と妻の共同責任です。夫婦間の思いやりと愛の原則は、幸福な人間関係と教会内の一致の基礎となるものです。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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