ネブカドネツァルの分別【ダニエル—ダニエルに学ぶゆるぎない祈り、忍耐、愛】#4

目次

この記事のテーマ

ハリー・トルーマンは米国ワシントン州スピリット・レークにある保養施設の管理人でした。そこから南約8キロのところには、煙で覆われたセントへレンズ山がそびえていました。ハリーは森林監視員や隣人たちから、火山はもうすぐ爆発すると警告されていました。警告はパトロールカーやヘリコプター、また主な交差点の電光板によって流されていました。ラジオやテレビも視聴者に避難を呼びかけていました。ハリー・トルーマンはすべてを無視しました。彼は国営テレビに出演し、大胆にも言いました。「ハリー以上にこの山を知っている者はいない。それは決して爆発しない」。しかし、1980年5月18日午前8時31分、セントへレンズ山は大爆発を起こし、ハリーとその施設、彼の飼い猫を含めて、240キロ四方のすべての物を焼き尽くしてしまいました。

ハリーは警告を受けていましたが、避難するように強制されてはいませんでした。ある意味で、それは私たちと神との関係に似ています。私たちは警告されていますが、強制されていません。それがいかに強い警告であっても、です。

今回は、神がある人物の関心を引きつけるためにどのように働かれたかを学びます。

王のあかし(ダニエル3:31―4:6(口語訳4:1―9))

ダニエル書4章には、世界を支配する王、ネブカドネツァルの驚くべきあかしが含まれています。今や彼は宇宙の王の前にへりくだり、自分が主、「いと高き神」、「人間の王国を支配し、その御旨のままにそれをだれにでも与えられる」お方に依存していることを認めました(ダニ4:22)。彼はその長い治世(前605~562)の間に、ヘブライの神が秘密を明かすお方であること(ダニ2:28)、また神が燃え盛る炉の中から御自分に忠実な者たちをお救いになることを学んでいました(3:27、29)。しかし、彼の心はなお高慢で、独立心に満ちていました。それゆえ、神は彼を王座から除き、平伏させられます。病気をいやされてからは、彼は心から神に従いました。「かつての高慢な王は、謙遜な神の子となった(」『国と指導者』下巻128ページ)。

問1

ダニエル書3:33(口語訳4:3)にある王の言葉を注意深く読んでください。彼はここで、「永遠の御国」である神の国について語っています。これらの言葉をダニエル書3章の出来事、および2章(44節)におけるダニエルの夢の解釈と比較してください。王は最終的に、神から離れて永遠の命を得ようとする人間の無益な試みに関してどんなことを学んだと思われますか。

サタンが初めに神になろうとした大争闘の開始期から(イザ14:12~14)、不法の者が出現するとき(Ⅱテサ2:3、4)、そして礼拝をめぐる最後の危機のとき(黙14:9~11)まで、人類は何らかのかたちで神になろうと望んでいます。ネブカドネツァルもその一人でした。

問2

ネブカドネツァルについて学んだことを復習してください。彼はどのような方法で神になる、あるいは神の役割を演じようとしてきましたか。

ネブカドネツァルの第二の夢(ダニ4:7~15――口語訳4:10~18)

問3

ネブカドネツァルの第二の夢は、木に関するものでした。この木は天に達するほど高いもので、地上のどこからでも見ることができました。木の大きさと枝ぶりはその大いなる影響力を示していました。夢の目的について何と説明されていますか。ダニ4:7~14(口語訳4:10~17)

「ネブカドネツァルにとって、木の象徴は珍しいことではなかった。〔ギリシアの歴史家〕ヘロドトスの記録によると、ネブカドネツァルの義兄弟アストヤゲスも、自分が世界の一部を支配することの象徴である木の夢を見ている。ネブカドネツァル自身、ある碑文の中で、バビロンを世界の諸国家を覆う大きな木にたとえている」(J・ドゥーカン『ダニエルの秘密』63ページ)。

ダニエル書4章で、ネブカドネツァルの支配は地の中央(重要性を強調)に立つ木によって象徴されています(17節、口語訳22節)。バビロンは当時知られていた世界のほぼ中央に位置していました。

王はそれから、「聖なる見張りの天使が天から降って来る」のを見ます(10節)。歴史を通じて、神は御自分の民を見守られる聖なる「見張り」です。先見者ハナニはユダの王アサに、「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」と言っています(歴代下16:9)。ネブカドネツァルは、その聖なる見張りが「燃え盛る炉の中で3人のヘブライ人と共に歩いていたお方と容貌が似ている」ことに気づきました

(エレン・G・ホワイト『レビュー・アンド・ヘラルド』1881年2月1日)。

「切り株」と「鎖」(4:12)は、ネブカドネツァルが失墜はしますが守られることを示しています。彼は神を知った後で、再び王に復帰することになっていました。正気を失っていた間、彼もまた行動を制限するために青銅の鎖で縛られていたのかもしれません。メソポタミヤ地方には、木が裂けるのを防ぐために、あるいはほかの何らかの理由で、木に金属製の鎖を巻きつける習わしがあったようです。青銅の輪や鎖を巻きつけられた木の残骸が、コルサバの〔太陽神〕シャマシュの神殿入口から発掘されています(J・J・コリンズ『ダニエル書』226ページ、1993年)。

ダニエルの勧告(ダニエル4:16―24(口語訳4:19―27))

問4

ダニエル書2章を同3:31~4:6(口語訳4:1~9)と比較してください。これら二つの出来事の間には、どんな共通点が見られますか。

大筋においては同じですが、二つの物語の間には重要な違いがいくつか見られます。たとえば、ダニエル書3:31~4:6では、王はだれひとり死刑にすると脅していません。霊的に見れば、彼はまだまだ不完全な人間でしたが、それでもここに彼に対する神の清めの働きを見ることができます。自分の意に添わない者を殺す王の姿はもはや見られません。

問5

王の夢について聞いたとき、ダニエルはどうしましたか。彼が語ることをためらったのはなぜですか。ダニ4:16(口語訳4:19)

ダニエルは事の重大さに戸惑っていました。どうしたら、王が7年間正気を失うなどと言えるでしょうか。しかし、結果がどうなろうとも、ダニエルは王に真実を語らなければなりませんでした。ダニエルの勧告を見ると、王にはまだ裁きを回避する余地があったことがわかります。神は王にこの夢から教訓を学ぶように意図しておられました。夢から学ばないのであれば、あとは経験を通して学ぶしかありませんでした。王が教訓を学ぶなら、彼の王国は回復されるのでした。

問6

神は王にどんなことを理解させようと望まれましたか(ダニ4:22―口語訳4:25)。その理由は何でしたか。

神が初めから王に教えようとされたのは、神の支配ということでした。30年ほど前に、ダニエルは王に、「天の神はあなたに、国と権威と威力と威光を授け」(ダニ2:37)と語っていましたが、ネブカドネツァルは至高者からの独立を宣言するために金の像を建てました。つまり、彼は神の主権を受け入れることを拒んだのでした。彼は改めてこの教訓を学ぶ機会を与えられたのに、再び失敗します。

王の屈辱(ダニ4:25~30――口語訳4:28~33)

夢から1年後、ネブカドネツァルは宮殿の屋上を歩きながら、バビロンの景色と賑わいを楽しんでいました。眼下には、壮麗な神殿や庭園、有名な行列道路や美しく彩色されたイシュタール門が広がっていました。大部分が自分の建設になるこの美しい都を見て、彼の心はうぬぼれに満たされました。

バビロンは約9平方キロの広さでした。内壁と外壁を合わせた長さは約20キロで、都を守る二重の壁の幅は30メートル以上もありました(『SDA聖書注解』英文第4巻795ページ参照)。それは並ぶもののない宗教の中心地でした。「ネブカドネツァルの時代に楔形文字で書かれた粘土板には、主要な神々に献げられた53の神殿、955の小規模の聖所、384の大通りの祭壇が列挙されている。これらはすべて都の中にあった」(同797ページ)。バビロンの栄光の中心は、マルドゥク神に献げられた有名な神殿塔エテメナンキでした。基礎部分が90メートル四方、高さが90メートル以上ありました。古代世界において、これをしのぐものはエジプトのギザにあった二つのピラミッドだけでした。建築家としてのネブカドネツァルの評判は、バビロニアの祭司ベロッサスの記録にも記されています(ヨセフス『アピオン反駁論』1.19参照)。

問7

ネブカドネツァルに裁きが下ったのは、なぜでしたか。彼は正気を失いました。彼のかかった病気はどのようなものだったと思われますか。

ネブカドネツァルがかかった病気は、自分を動物だと信じる精神病の一つだったと思われます。自分を狼だと信じるのは狼化妄想、自分を牛だと信じるのは牛化妄想です。1975年に出版されたバビロニアの楔形文字写本にも、ネブカドネツァルの狂気のことが記されています。この写本によれば、王は矛盾した命令を出し、勧告を拒否し、息子にも娘にも愛情を示さず、家族を無視し、もはや首長としての義務を果たしませんでした(ジークフリート・H・ホーン『ミニストリー』40ページ、1978年4月)。

ネブカドネツァルの回心(ダニエル4:31―34(口語訳4:34―37))

王族の回心は珍しいことですが、全くなかったわけではありません。メソポタミア・エデッサの王、アグバルは福音を受け入れてクリスチャンになったと伝えられています。

問8

王位に復帰した後のネブカドネツァルの「説教」には、どんな重要な真理が強調されていますか。ダニ4:31、32、34(口語訳4:34、35、37)

まことの神を認めたとき、王に理性が戻りました。「かつての高慢な王は、謙遜な神の子となった。暴君的で専制的な王が、賢明で恵み深い王になった。天の神に反抗して神をののしった王が、今はいと高き神の力を認めた。そして熱心に主を恐れて、国民の幸福を追求するようになったのである。ネブカデネザルは、王の王、主の主であられる神の譴責を受けて、

ついにすべての王が学ばなければならない教訓を学んだ。それは、真に偉大であるということは、真にいつくしみ深くあるということである。……世界最大の王国が神をほめたたえるようになるという神のみこころは達成されたのである。ネブカデネザルが、神のあわれみといつくしみ深さと権力とを認めたこの公の布告は、聖書の歴史に記されている彼の生涯の最後の行為となった」(『国と指導者』下巻128、129ページ)。

王の回心が本物であったことは次のことから明らかです。

  1. 王は屈辱を味わったにもかかわらず、公に神の栄光をほめたたえています。このことからも、かつての高慢な王がもはや自分を地上で最も偉大な王とは考えていなかったことがわかります。
  2. ダニエル書3章で、王はユダヤ人の神を侮辱していました。しかし、今は、神が彼の運命を御手のうちに握る、まことの天の神であることを認めています。
  3. 彼は利己心とうぬぼれを捨てて、神の栄光をほめたたえています。人が心から罪を悔い改め、悲しむとき、そのしるしとして、内面的には心、愛情、信念が変わり、外面的には罪の生活が神への奉仕の生活に変わります。

まとめ

「ダニエルは何度もネブカドネツァル王の前で神の御名をたたえたが、その王がついに心から回心し、『天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する』ことを学んだのであった」(『SDA聖書注解』第4巻1170ページ、エレン・G・ホワイト注)。

「人間に対する神の裁きは悔い改めと回心によって回避することができる(イザ38:1、2、5、エレ18:7~10、ヨナ3:1~10参照)。それゆえに、神はネブカドネツァルに切迫した裁きを通告しながら、彼が悔い改め、予告された災いを回避するために丸一年を与えられたのである(ダニ4:26――口語訳4:29参照)。しかしながら、王は生き方を改めず、その結果、彼に裁きが執行された。……神は国民と国家に切迫した滅びを予告される。神は今日の世界にメッセージを送り、差し迫った終局について警告される。そのような警告に耳を傾ける者は少ないかもしれない。しかし、正当な警告が与えられているのであるから、人々は災いの日に弁解する余地がない」(『SDA聖書注解』第4巻792ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2004年1期『ダニエル書 ダニエルに学ぶゆるぎない祈り、忍耐、愛』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次