最後の勧め【ペトロの手紙1―生ける望み】#13

目次

中心思想

ペテロは長年の信仰の戦いを通して、すべての思いわずらいをイエスにゆだねることを学びました。1ペテロ5:6,7はペテロの楽観主義と確信をよく表しています。彼は私たち一人ひとりに対して、自分のように神の前に自らを低くし、すべての思いわずらいをイエスにゆだねるように勧めています。

アウトライン

  • 長老の責任(Iペテ5:1)
  • 霊的指導者への勧告(Iペテ5:2~4)
  • 謙遜と警戒(Iペテ5:5~8)
  • 信仰にかたく立つ(Iペテ5:9~11)
  • あいさつ(Iペテ5:12~14)

牧者への言葉

使徒ペテロは、教会の指導者の民を導く必要があることを強調しています。信者が犠牲を払って神のために働いているのに、指導者が利己的な動機をもって信者を利用し、自分だけが利益を得ていることがあります。アダム・クラークは1ペテロ5:3に関する注解の中で、利己心から民の上に君臨している教会指導者を叱責しています。彼は、神の民を犠牲にして私腹を肥やす牧者に対して神の怒りが下ると警告しています。それから、牧師に対して次のように勧めています。「牧師であってもなくても、この言葉を読む者はみなそれを、国の定めた人であれ、教会の定めた人であれ、あるいは自分で定めた人であれ、あなたの隣人にあてはめてはならない。それはすべてあなた自身にあてはまるものである。……あなた自身の心、考え、行動を神と調和させなさい」(『われらの主イエス.キリストの新約聖書』868ページ)。

長老の責任(Iペテ51:)

「わたしの羊を飼いなさい」

ペテロはその手紙を結ぶにあたって、大牧者イエスの、「わたしの羊を飼いなさい」という命令を思い出しています(ヨハネ21:16)。彼は神によって牧者に召されたものたちのために大牧者イエスの命令を繰り返しています。

質問1

ペテロは自分自身と初代教会の「長老たち」との関係について何と言っていますか。Iペテ5:1

「長老」をさすギリシア語(プレスブテロス)は、また経験からくる知恵のゆえに名誉と尊敬に値すています。この言葉はまた信頼の地位にある人、またその地位のゆえに尊敬に値する人をさします。1ペテロ5:1の言葉は教会指導者に対して言われています(テト1:5比較)。

ペテロがイエスの十二弟子の中で指導的な立場にあったこと自体、彼にとって大きな名誉と尊敬に値することでした。しかしながら、彼は自分自身を「同じく長老のひとり」と呼んでいます(新改訳)。彼は自分自身をより高位の指導者とは考えていませんでした。

質問2

 長老のひとりと呼んでいるほかに、ペテロは自分について何と言っていますか。Iペテ5:1

ペテロは、イエスが敵の手によって受けられた肉体的な虐待を見ていました。「その人のことは何も知らない」と言ってイエスを拒んだときに(マタ26:74)、自分のほうを振り向かれたときの、主の打ちたたかれて血に染まったお顔を、彼は決して忘れてはいませんでした。このとき以来、ペテロは悔い改めた罪人にゆるしを与えるために忍ばれたイエスの苦難をエルサレムからローマにまであかししたのでした。

ペテロは、再臨の主の栄光にあずかる希望を与えられ、しかも前もってその経験にあずかる特権を与えられた三人の弟子の一人でした。ペテロ、ヤコブ、ヨハネはイエスの変ぼうを目撃し、たとえほんの一瞬であったにせよ、イエスが各時代のご自分の民を集めるために来られるときの栄光にあずかることをゆるされたのです(マタ17:1~8参照)。

霊的指導者への勧告(Iペテ5:2~4)

質問3

ペテロは未来のすべての牧者に何と勧告していますか(Iペテ5:2)。あなたはこれをどのように理解しますか。

「牧する」ことは「世話をする」ことでもあります。ペテロは牧者に神の羊の群れの世話をするように命じています。これはもちろん、責任をもって群れを養うことも含みます。しかし、それは群れを養う以上のことです。

質問4

ペテロはさらに未来の牧者に対して何と勧告していますか(1ペテ5:2、3)

2節で「恥ずべき利得」と訳されている言葉は、利己的な動機から奉仕する「卑しい」人をさしています。

「しなければならないという理由で、あるいは個人的な利益や名誉のためにする働きと、熱心に自発的にする働きとの間にどんな相違があるか考えてみなさい。それは、母親に言われてゴミを運び出しているときの少年と、やりたい野球に興じているときの少年との違いである。

私たちは金銭的な利得のためではなく、むしろ心からの熱心さをもって神の羊の群れに仕える必要がある」(ポール・A・シーダー『コミュニケーターズ・コメンタリー』ヤコブ、ペテロI、Ⅱ、ユダ、191ページ)。

ペテロはまた、神からゆだねられた者たちの上に権力をふるってはならないと警告しています。

「神が人々に同じ仲間を支配する権限を与えておられると考えて捉ならない。神はキリストからゆだねられている者た運剃望させる者の奉仕をお受け入れにならない」(『SDA聖書注解』3巻1149ページ、エレン.G・ホワイト注)。

質問5

忠実な牧者は大牧者イエスから何を受けますか。Iペテ5:4(Iコリ9:25、Ⅱテモ4:7、8、黙示4:10比較)

謙遜と警戒(Iペテ5:5~8)

質問6

若い人々に従順が求められているのはなぜですか。Iペテ5:5

「長老たち」という言葉は1節では教会の指導者をさし、5節では目上の人々をさしています。

質問7

若い人々のほかにもだれに対して従順が求められていますか。イエスに従う者たちは何を身につけるべきですか。Iペテ5:5~7

幸福な教会

ペテロは繰り返し従順について教えています。神の要求に背かないかぎり、私たちは人間の制度に従うべきです(1ペテロ2:13)。しもべは主人に従うべきです(2:18)。妻は夫に仕えきです(3:1~5)。天使、もろもろの権威、権力はイエスうべきです(3:22)。若い人々は目上の人々に従うべきです(5:5)。すべての人は互いに相手を敬うべきです。もしすべてのペテロの勧告に従うなら、私たちの教会は平和で幸福なものとなります。

謙遜を身につける

「身につける」と訳された言葉は、たとえば、前掛けのように、ひもでしっかり結ばれた衣服を連想させます。身を低くして弟子たちの足を洗われたときのイエスは前掛けをしておられました。このギリシア語はまた、「名誉と地位を象徴する長くゆるい上着」をさします。謙遜の前掛けはキリストのしもべにとっては名誉の着物です。ポール.A・シーダーは言っています。「謙遜を身につけるなら、多くの者はうす着になる」(『コミュニケーターズ.コメンタリー』ヤコブ、ペテロⅠ、Ⅱ、ユダ、194ページ)。

質問8

クリスチャンはなぜ用心深くあるべきですか。Iペテ5:8(黙示12:12、17比較)

「サタンは最も激烈で狡滑な誘惑をもってキリストを攻撃したが、そのたびに撃退された。それらの戦いは、われわれのための戦いであった。そしてそれらの勝利は、われわれにも勝利を得させるのである。キリストは、求めるすべての者に力をお与えになる。だれでも、自分が同意せずにサタンに敗北することはない。誘惑者サタンは、人の意志を支配したり、強制して罪を犯させたりすることはきない。彼は、われわれを悩ますことはできるが、汚すことはできない」(『各時代の大争闘』下巻250ページ)。

信仰にかたく立つ(Iペテロ5:9~11)

質問9

クリスチャンはどうしたら悪魔を撃退することができますか。Iペテ5:9、ヤコ4:7、黙示12:11

私たちはキリストに信頼し、誘惑に抵抗するときに、サタンに勝利することができます。私たちは「信仰にかたく立つ」べきです。ペテロが言っているのはキリストに対する信仰のことだけではなく、信仰、つまり聖書の教えにかたく立つということです。彼は健全な教理の重要性を強調しています。しっかりとしたキリスト教の教理に従うことは、「ほえたけるしし」の攻撃に対する防壁となります。

質問10

信仰にかたく立つ動機の一つとして、ペテロはどんなことをあげていますか。Iペテ5:9

罪に対する内的な闘いはすべてのクリスチャンに共通したものです。私たちの信仰に対するさまざまな外からの反対も、つねにあります。失望してこの闘いから身をひくことは、イエスとほかの国々の仲間たちを悲しませることです。

質問11

神はご自分の目的のために苦しむ者たちをどのように助けてくださいますか。Iペテ5:10

ペテロはここで四つの約束を提示している。神はあなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。……最初の言葉(いやし)はいくつかの文脈において用いられている。マタイ4:21で、それは網を繕う意味で用いられている。1コリント1:10では、分裂に直面している教会員に一致を促す意味で用いられている……それは奉仕に引き戻すために修復することを意味する。苦しみは犠牲をともなうが、神は回復してくださる。神は『損害』を修復し、私たちを働きにふさわしい者としてくださる。第二の言葉は、確立し、堅固にするという意味である。第三の言葉は力で満たすということ、第四のそれは堅固な土台の上にすえるということである。これら積極的な四つの言葉は、要するに、神がご自分のために苦しんでいる者たちを回復し、かたく立たせてくださることを意味している」(ロバート.H・マウンス『生ける望み』89ページ)。

あいさつ(Iペテ5:12~14)

質問12

だれが使徒ペテロに代わってこの手紙を筆記しましたか。Iペテ5:12

ペテロには、自分が仲間のクリスチャンに伝えたいと思っていることを代筆してくれる助手がいました。しかし、彼はパウロの模範に従って、結びのあいさつだけは自分で書いたようです。12節のシルワノという人物は一般的に、使徒行伝とパウロの手紙に出てくるシラスであると考えられています。

質問13

聖書はシラスについて何と記していますか。使徒15:37~40、使徒16:19、25、、使徒17:13、14、Ⅱコリ1:19

質問14

ペテロの第1の手紙はどこで書かれましたか。Iペテ5:13

バビロンからのメッセージ

「バビロン」はローマの都をさす秘密の名前です。この手紙の書かれた頃のメソポタミア地方には、大きなユダヤ人の町がありましたが、ペテロがバビロンを訪問したという証拠は何もありません。反対に、ペテロがローマにいたことは知られています。事実、言い伝えによれば、彼はローマの外で逆さに十字架にかけられました。

まとめ

神は教会の指導者に対してご自分の民をさまざまな人生経験や大争闘の終わりの諸事件を通って永遠の御国に導き入れるという聖なる責任をゆだねておられます。ペテロはこれらの牧者とキリストの教会のすべての信者に対して、心からその召しを受け入れ、羊の群れに仕えるように勧めています。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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