ラッパ、血、雲、火【民数記―放浪する民】#4

目次

この記事のテーマ

主が「聖餐式」を制定されたのは、御自分の弟子たちと共に食事をされた最後の過越においてでした。イエスは過越の食事の一部を取り「、取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われました。また、杯を取り、言われました。「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタ26:26~29)。パウロは次のように記しています。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(Iコリ11:26)。

聖餐式はクリスチャンの過越であって、イスラエルのエジプトからの救出に対応する新約聖書の出来事です。今回は、イスラエルの最初の救出記念日に注目します。また、主の臨在がイスラエルの宿営にあって導かれたこと、特定の時間に銀のラッパが吹き鳴らされたこと、さらに古代の神の民が独特の状況にあって経験したいくつかの出来事について学びます。いつものように、たとえ状況が大きく異なっていようとも、現代に生きる私たちが彼らと同じ試練や誘惑に直面するときに自分のものとすることのできる教訓について学びます。

わたしの記念として

問1

民数記9:1~5、出エジプト記12:1~29を読んでください。これらの記録からどんな霊的教訓を学ぶことができますか。たとえば、服従、恵み、贖い、信仰、裁きなどについて考えてください。

それは、エジプトにおけるあの驚くべき夜を祝う最初の記念祭でした。その夜、主の使いはエジプト人の初子を撃つ一方で、犠牲の羊の血が塗られたイスラエルの家を過ぎ越したのでした(過越の由来)。彼らは年ごとの儀式となるこの記念祭において、自分たちがエジプトから特別に救出された夜を、また神によってなされた救いを覚えるのでした。

問2

イエスに従う人たちは今日、過越をどのように記念すべきですか(ルカ22:15、19、20)。この儀式は私たちにどんなことを思い起こさせるものですか。

「キリストは、二つの制度とその二大儀式の転換期に立っておられた。神のきずなき小羊であられるキリストは、罪祭としてご自分をささげようとしておられた。こうしてキリストは、4000年の間キリストの死をさし示してきた型と儀式の制度に終止符をうたれるのであった。弟子たちと過越の食事をされたとき、主は、過越節の代りに、主の大いなる犠牲の記念となる式をお定めになった。ユダヤ人の国民的祭典は永久に過ぎ去るのであった。そしてキリストがお定めになった式が、どの国どの時代においても弟子たちによって守られるのであった。

聖さん式は、キリストの死の結果達成された大いなる救済を記念するために与えられたのであった。……それは、われわれのためのキリストの大いなるみわざがわれわれの心のうちに生きつづけるための手段である」(『希望への光』1018ページ、『各時代の希望』下巻130、131ページ)。

臨在による導き

イスラエルが荒れ野で与えられた最も素晴らしい保証の一つは、昼は雲、夜は火という驚くべき方法で現された神の臨在についての目に見える徴でした。

考えてみてください。おそらく200万はいたと思われる人々が不毛の、危険な荒れ野で生活していて、その宿営はあらゆる方向に何キロも広がっていました。瞬間的、直接的な連絡手段がなかったのですから(ラジオ、テレビ、インターネットはない)、いつ、どこに向かって進むかを民に知らせる何らかの方法が必要でした。

問3

民数記9:15~23を読んでください。神の臨在のこの顕現は、少なくとも民の動きに関して神の御心をどのように啓示しましたか。

主が目に見える雲によってイスラエルを導かれたといっても、いつでも歩きやすい広い道を通ってとは限りませんでした。エレミヤは、主は「わたしたちをエジプトの地から上らせあの荒野、荒涼とした、穴だらけの地乾ききった、暗黒の地だれひとりそこを通らず人の住まない地に導かれた」と記しています(エレ2:6)。

しかし、ここには、単にいつ、どこに行くかという問題よりも重要なことが教えられています。昼は雲、夜は火があるということはまた、神の絶えざる臨在があることを彼らに思い起こしてくれるのでした。「いつもこのようであって、雲は幕屋を覆い、夜は燃える火のように見えた」(民9:16)。彼らがどこにいようとも、どんな試練に直面しようとも、どんな敵に遭遇しようとも、上空には、神の臨在についての目に見えるしるしがありました。

何と素晴らしい経験でしょう。この雲と火は、彼らが神を信じ、神に信頼し、従うに十分な確信を与えてくれたことでしょう。

銀のラッパ

古代イスラエルには2種類の角笛(ラッパ)がありました。一つは一般的な雄羊の角笛(ショファル)、もう一つは2本の銀のラッパです。後者は基本的に聖所に属し、祭司だけが吹き鳴らしました(民10:8)。それらは一本の金属からの打ち出し造りになっていました。銀のラッパは1本の長い管のようで、一方の先が朝顔のように開いていました。

問4

民数記10:1~10を読んでください。これらのラッパはどんな目的のために吹き鳴らされましたか。このことは私たちにどんな霊的教訓を与えてくれますか。

これらの銀のラッパを吹き鳴らすことには、実際的な意味のほかに、もう一つの意味がありました。それは一種の「布告」と見なされるのでした。つまり、戦いにおいて、民が「主の御前に覚えられて」(民10:9)、敵から救われることを確信させてくれるのでした。「あなたたちは、あなたたちの神の御前に覚えられる。わたしはあなたたちの神、主である」(10節)。

御自分の導きと臨在についてのあらゆる顕現に加えて、神がこれらのラッパを用いて御自分の臨在と守りをイスラエルに思い起こさせてくださったということは興味深いことです。このように、雲と火という視覚によって、またラッパという聴覚によって、イスラエルの民は神の導きと臨在を絶えず覚えることができました。現代の私たちは神の導きと臨在を思い起こさせる雲や火、銀のラッパを与えられていません。しかし、神がイエスを通して成し遂げてくださった御業についての新約聖書の啓示が与えられています。それは、古代イスラエルが完全には理解することのできなかった神の愛と守りを私たちに確信させてくれます。イスラエルの民は、今日の私たちが実際に与えられているもの、つまりキリストの十字架によって啓示された神の愛についての知識を、予型や影によってしか知ることができませんでした。

あなたはどちらがよいですか。耳に鳴り響くラッパの音ですか。それともキリストの愛と品性と守りを知ることですか。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリ2:6~8)。

「わたしたちの目となってください」

サラの死後、アブラハムは再婚します。ケトラは何人かの息子を生みますが、その一人がミディアンです(創25:1~6)。モーセがエトロの娘ツィポラをめとったとき、エトロ(別名レウエル、「神の友」)はモーセのしゅうとになりました。エトロは「ミディアンの祭司」(出18:1)となり、まことの神を礼拝しました(12節)。ミディアンのほかの子孫はアブラハムの信仰から離れ、異教の神々に従いました。彼らはしばしばイスラエルの敵となりました。

問5

モーセはエトロの息子ホバブに何と頼みましたか。ホバブは何と答えましたか。民10:29~32

ホバブにイスラエルと同行してくれるように頼む前に、モーセは神に相談しませんでした。昼は雲の柱、夜は火の柱の中に臨在された神も、荒れ野を通って民を導くには十分でなかったのでしょうか。ここに、困難を前にして揺れ動くモーセの人間性を見ます。紅海を開いた神がまた荒れ野に道を開き、食物と水を与えてくださるということを、モーセは信じることができませんでした。

問6

マタイ26:36~43を読んでください。ここから、人間イエスについてどんなことがわかりますか。

私たちの救い主でさえ、人間の同情と支えの必要性をお感じになったときがありました。イエスはすべての弟子を愛されましたが、特にペトロとヤコブ、ヨハネの近くにおられました。ゲッセマネで、イエスは彼らに祈ってくれるように頼んでおられます。「変容」の山では、3人は祈らないで眠っていました。しかし、神はモーセとエリヤを遣わし、キリストが贖いの死に向かって進むのを力づけられました(ルカ9:28~31)。「いま天は、イエスのもとに使者たちをつかわした。それは天使たちではなくて、苦難と悲しみに耐え、地上生涯の試練にあたって救い主に同情することのできる人たちであった。モーセとエリヤは、キリストの共労者であった。彼らは人類の救いを願われるキリストと思いを一つにしていた。……世の望み、人類のひとりびとりの救いが、彼らの会見の主題であった」(『希望への光』892ページ、『各時代の希望』中巻194、195ページ)。

家郷を目指して?

問7

民数記10:11~36には、組織された神の契約の民としてのイスラエルの最初の旅についてどんなことが記されていますか。彼らの移動の方法に関して、特筆すべきことは何ですか。そのことがきわめて重要な意味を持っていたのはなぜですか。

モーセによれば、シナイ山(ホレブ山)から、ユダの南端近くにあった町(地方)のカデシュ・バルネアまではわずか11日の旅程でした。

順序に注目してください。3つの部族の軍隊が雲と契約の箱の後に従いました。次に、レビ人が移動式の聖所の各部品を載せた荷車と共に従いました。次に、3つの部族の軍隊が従いました。次に、聖所の祭具を携えたケハト人が従いました。最後に、しんがりとして6つの軍隊が従いました。すべては秩序立った方法で行われました。もし無計画に進めていたなら、思いがけない悲劇に見舞われていたことでしょう。

エジプトからカナンに向かう最短ルートは海岸沿いに「ペリシテ街道」を進むものでした。しかし、イスラエルが戦争に対して無防備であることを、神は知っておられました(出13:17)。したがって、雲の柱が進軍の合図を出すときに、民を東と北にパランの荒れ野へと導きました(民10:11、12)。それは3日の行程でした(民10:33)。

「前進するに従って、道はますます困難になってきた。彼らの進む道は、石の多い峡谷と不毛の荒れ地であった。彼らの周り一面は、広大な砂漠であった。……岩にかこまれた谷間から谷間を、男や女や子供たちが、動物に車を引かせ、牛、羊などの長い行列を従えて通っていった。その進みぐあいは、どうしても遅々としてはかどらなかった。長い間宿営したあとの群衆は、道中の危険や苦難に耐える準備がなかった」(『希望への光』193ページ『、人類のあけぼの』上巻449ページ)。

まとめ

私たちは毎日、程度の差こそあれ、何らかの決断を迫られています。神の導きに関する次の約束について瞑想してください。詩編31:4(口語訳31:3)、32:8、48:15(口語訳48:14)、78:52、イザヤ書58:10、11

「もしあなたが神のみわざを行うためにみずからを神にささげたなら、明日のことを思いわずらう必要はない。あなたが仕えている神は、初めから終わりを知っておられるお方である。あなたの視界からは隠されている明日のできごとも、全能なる神の御目には明らかなのである。

わたしたちが、自分の関係していることを自分の手で処理し、自分の知恵だけで成功させようとすることは、神から与えられていない重荷を引き受けて、神の助けなしにそれをになおうとしているのである。そうすることは、神の責任を自分でとり、事実上自分自身を神の地位においているのである。……だが神はわたしたちを愛して、恵みを施そうとしておられることをほんとうに信じる時、わたしたちは将来のことを心配しなくなる。わたしたちは、ちょうど子供が愛情深い親を信頼するように、神を信頼する。その時、わたしたちの意志は神の意志に没入して、悩み苦しみは消えてゆくのである」(『希望への光』1165ページ、『祝福の山』124ページ)。

アダムが罪を犯す以前は、人は創造主のお姿を見ることができましたが、失楽園の後、神は輝く栄光の中にあって人にその存在をお示しになりました(創世記3:24)。失楽園以後も神は栄光の中に人に現れておられます。アブラハムと契約を結ばれる神は、「煙の立つかまど、炎の出るたいまつ」(同15:17)の中におられ、裂いた動物の間を通り過ぎられました。出エジプトの時の荒野の火の柱は、神の民全体を守るほど、スケールの大きなものでした(民数記10:34)。紀元前15世紀のこの雲の柱、火の柱のうわさは、遠くメソポタミアにまで伝わったようです。ヌジのサウスシャッタルという人の絵入り印章には柱付きの神の栄光が描かれています(ANEP705)。パレスチナでも翼のある太陽を神の象徴として描きました。エゼキエルも幻の中で竜巻のような光る雲の柱を見ました(エゼキエル1:4)。これは、出エジプトの時に神が隠れておられた雲の柱と似ています。マラキは、やがておいでになる神なる救い主を、翼がありいやす力のある「義の太陽」(マラキ4:2)と言っています。これは多くの人々をいやしたキリストのお働きを予表していました。

よかったらシェアしてね!
目次