【ヨエル書】主の日【1章、2章解説】

目次

中心思想

ヨエル書および聖書全体で用いられている主の日という言葉は、過去における神のさばきばかりでなく、世の終わりにおける最後のさばきと神の民の救いをもさしています。今回の研究は、恩恵期間の終了とキリストの再臨が切迫していることを私たちに教えてくれます。それはまた、私たちの心と生活において主の働きが完成される必要のあることを教えてくれます。

アウトライン

  • いなごによる災害(ヨエ1:1~20)
  • 主の日(ヨエ2:1、2)
  • ラッパの吹奏と行進する軍隊(ヨエ2:1~15)
  • 最終的な主の日
  • 新約聖書の声

主の日は近い

ヨエル書はヘブル語預言文学の傑作です。彼は当時、シオンにおいて忠実にラッパを吹き鳴らし、神から命じられた警告をはっきりと知らせています。

神のみことばは今でも、はっきりと警告の知らせを鳴り響かせています。ヨエルの忠実な預言は、主の日が近いことを私たちに意識させてくれます。

一方、サタンは終わりの近いことを知っていて、私たちが改革とリバイバルの訴えに応答するのをあらゆる手を尽くして妨害しようとします。しかし、今はサタンの偽りをばくろしてくださるように神に嘆願すべき時です。ヨエル害を通して最後のさばきの警告が鳴り響いている今のうちに、私たちは悔い改めを求める勧告に従い、真心から献心し、私たちの生活に、またこの世界に神の働きを完成させなければなりません。

イナゴによる災害(ヨエル1:1―20)

「主の言葉」最初に出てくるこの言葉は、ヨエルが自分の身分にではなく、自分の経験の上に権威を置こうとしたことを示しています。

質問1

ヨエルはどんな言葉を用いていなごによる災害を描写していますか。ヨエ1:2~4、10~12

質問2

いなごの災害によって生じた荒廃はどれほど深刻で広範囲に及ぶものでしたか。ヨエ1:4、6、7

「いなごはその組織力のゆえに、一つの国民と呼ばれている。……いなごの群れはその数の多さと植物を滅ぼす力のゆえに、強いと言われている。……ししの歯と呼ばれているいなごの歯は、のこぎりのように鋭く、木の皮さえ砕くことができる」(『インタープリターズ・バイブル」第6巻738ページ)。

いなごによる災害はパレスチナでは一般的である

H・シネラーは次のように記しています。「大戦の2年目(1915年)に、50年間に一度も経験したことのないような飢きんがあった。空は全土をおおういなごの大群で暗くなり、太陽も月も見えなかった。パレスチナ全域は数日のうちに砂漠と化してしまった。すべての木がこずえから根元まで、そして皮さえも、きれいに食いつくされていた。苦労して耕作した野菜畑も、まるで魔法にでもかかったかのように消えていた。翌年の春になると、無数の卵から新たな群れが発生し、わずかに残っていたものを食いつくした。その結果、恐ろしい飢きんが来た」(「SDA聖書辞典』「いなご」の項)。

質問3

この災害は酔っぱらい(ヨエ1:5、10)、農夫(11)、祭司(9、13)、動物(18、20)にどんな影響を与えましたか。

主の日(ヨエル2:1,2)

旧約聖書の預言書には、20回ほど「主の日」という言葉が出てきます。そのうちの5回がヨエル書に出てきます。

質問4

いなごは何を象徴していますか。ヨエ1:15、2:1、2

旧約聖書に出てくる「主の日」という言葉は、神が不信心な者たちを罰せられる時をさしています。しかし同時に、それは神が忠実な者たちを守り、擁護される時でもありました。イスラエルの歴史における主の日は、歴史の終わる最終的な主の日をさしていました。

質問5

次の聖句から主の日をどのように理解しますか。イザ13:6~10、エゼ30:1~5、アモ5:18~20、ゼパ1:2~7、14~18

イスラエルの歴史には何度も主の日があった

イザヤはバビロンの滅亡を預言しました。それは神の要求を無視したからです。アシシリヤ人が紀元前722年に北の王国を滅ぼしたとき、アモスの預言は成就しました。ゼパニヤにとっての主の日は、ネブカデネザルがユダを侵略することでした。エゼキエルにとっての主の日は、イスラエルの周辺諸国に対する報復がなされるときのことでした。

質問6

ヨエルによれば、「主の日」にはどういうことが含まれていましたか。ヨエ1:15、2:1、11、31、3:14

ヨエルはイスラエルにくだる災害を全世界的な災害の象徴と考えました。主の日は、神が地上の諸国民をさばき、ご自分の民に永遠の平和と繁栄を与えられる時を象徴していました。ヨエルは世界の終わりを預言しました。「主の使者たちは霊感によって、大いなる審判の日の幻を与えられ、心安らかに主を迎える準備をしなかった人々の驚く光景を示された。……〔ヨエ1:15~18、12引用〕神の敵にとっての怒りの日は、神の教会にとっては最後の救いの日である」(「国と指導者」下巻327、328ページ)。

ラッパの吹奏(すいそう)と行進する軍隊(ヨエ2:1~15)

ヨエルは二つの動きによって主の日を描写しています。(1)ラッパの吹奏、(2)軍隊の行進。

質問7

ヨエルは第2章で、「シオンでラッパを吹け」という表現を2回用いています(1、15)。この表現はあなたにとってどんな意味がありますか。

「イスラエルにおいて、ラッパの吹奏は民を『集会の天幕』の入口に召集するとき、旅において民を出発させるとき、途中において警告を発するとき、また祭りにおいて民を聖会に召集するとき(民数10:1~10)に用いられた」(ホーマー・ヘイリー『小預言書注解』47ページ)。

ヨエルの時代のラッパの警告は今日も繰り返されている

「神の日に立ち得る民を準備するには、改革の大いなる働きが成し遂げられねばならなかった。神は、神の民と称する人々の多くが、永遠のために築いていないのを見られ、あわれみのうちに彼らに警告の使命を与えて、彼らを昏睡から目ざめさせ、主の再臨の準備をさせようとされた」(『各時代の大争闘」上巻400ページ)。

質問8

神がいなごによる侵略よりもずっと重大なことを意図しておられたことに関して、ヨエル書2:6、10はどういうことを教えていますか。

ヨエル書2:6には、「すべての顔は色を失う」と書かれています。これをエレミヤ書30:6およびナホム書2:10と比較してください。「イエスを前にして、「どの人の顔色も青く変っている』。神の恵みを拒んだ者に、永遠の絶望の恐怖がおそってくる。……義人たちの顔は輝き、どの人の心も喜びに満たされる。そして、天使たちは、前よりも調子を高めて歌い始め、ますます地上へと近づいてくる」(『各時代の大争闘』下巻419、420ページ)。

最終的な主の日

質問9

どのような軍勢が最終的な主の日をもたらすことになりますか。黙示17:14、19:11~14

「各時代の大争闘」には、キリスト再臨にともなう諸事件が次のように描写されています(ヨエ1:15、2:1、11、31、32、3:14~16復習)。

「神の民には、「上を見なさい』というはっきりした音楽のような声が聞こえてくる。彼らが目を天に向けると、約束のにじが見える。大空をおおっていた黒い、怒ったような雲が裂けて、彼らは、ステパノのようにじっと天を見つめて、神の栄光と、人の子がそのみ座にすわっておられるのを見る。……この怒ったような天の真ん中に、一か所言うに言われぬ栄光に満ちた澄んだ空間があって、そこから神のみ声が、多くの水の音のように聞こえてきて、「事はすでに成った』と告げるのである(黙示録16:17)。

その声が天と地とを震動させる。大地震が起こる。「それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった』(同16:18)。……山々は、風にゆらぐ葦のように揺れ、ゴツゴツした岩があたり一面に飛び散る。……全地は海の波のように隆起し揺れ動く。地の表面は砕け散る。……おごり高ぶっていた地上の諸都市が低くされる。世の偉大な人たちが、自分たちに栄光を帰するために巨額の富を費やして建てた堂々たる宮殿が、彼らの目の前で崩れ去る。……雲の切れ目から、暗黒とは対照的に、四倍も輝きを増した一つの星が光る。この星は、忠実な者には、望みと喜びとを語るが、神の律法を犯した者たちには、きびしさと怒りとを語る。キリストのためにすべてを犠牲にした者たちは、主の仮屋の奥に隠されているかのように、今は安全である。すでに彼らは試みられ、世界と真理を軽べつする人々との前で、自分たちのために死なれたおかたに対する忠誠心を証明したのである。……彼らの声は、勝利の歌となってあがる。「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない」(詩篇46:1~3)」(「各時代の大争闘」下巻413~416ページ)。

新約聖書の声

質問10

まもなく主の日を迎えようとしている人たちに対して、新約聖書の預言者たちは何と勧告していますか。Iコリ1:8、1テサ5:2~8、Ⅱペテ3:10~12

私たちが主の大いなる日にキリストの忠実な残りの民に加わるためには、どんなことが要求されるでしょうか。パウロとペテロは私たちに「責められるところのない者」、「光の子」、つまりその生き方のきよい者となるように勧めています。しかし、私たちはどうしたらきよい者となることができるのでしょうか。聖書にある最もすばらしい真理に、信仰によって聖霊を心に受けるとき、イエスの潔白さ、光、きよさが私たちのものとなるということがあります。イエスを信じる人たちは、「イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たち」です(Iペテ1:2)。私たちの尊い信仰は、「わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義」によって授かったものです(Ⅱペテ1:1)。

イエスが聖霊によって私たちの心に住んでくださるゆえに(ヨハ14:15~18)、私たちは彼の義の賜物にあずかることができます(ロマ8:9、10)。

質問11

聖霊の変革ときよめの働きについて、イエスはニコデモにどのように説明されましたか。ヨハ3:1~18

「神のみたまが心を占領されるとき、それは生活を生れ変らせる。罪の思いはしりぞけられ、悪い行為は放棄され、愛と謙遜と平安が怒りとねたみと争いに入れ代る。よろこびが悲しみに入れ代り、顔には天の光が反映する。だれも重荷を持ちあげる手を見たり、天の宮からくだる光を目に見たりする者はない。祝福は、信仰によって魂が神に屈服するときに与えられる。その時、人間の目で見ることのできない力が、神のかたちにかたどって新しい人間を創造する」(「各時代の希望』上巻203ページ)。

使徒たちもイエスの教えを繰り返しています。パウロは言っています。「希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」(ロマ5:5)。その結果、御霊に満たされた者たちは

「義の僕」となります(ロマ6:18)。彼らは今や神の息子・娘となり、この世界の歴史の最後の諸事件を確信をもって迎えることができます(ロマ8:12~17参照)。

まとめ

ヨエル書に記されている主の日は、歴史上の出来事をさすと同時に、神の民に救いをもたらす世の終わりにおける主の再臨をさします。激しいいなごの災害についての象徴は、キリストと天の軍勢がこの世界を滅ぼす者たちを滅ぼすために来られる時を示しています。今もラッパがシオンにおいて吹かれ、恩恵期間の終わりが近いこと、また今はキリストの再臨に備えるべきときであることを私たちに警告しています。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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