【エステル記概要】神が見えないときにも

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著者

エステル記の著者は不明です。ただ確実に言えることは、エステル記の中に記録されている出来事が起こった頃、著者はスサに住んでいたモルデカイやエステルに近い人物であった、ということです。

また、ペルシア語の記述が多く、ペルシアの事情や習慣に精通していることから、ペルシア帝国の辺境ではなく、ペルシア本国の住民であったことが示唆されている。

最近のスサ(シュシャン)の発掘調査によって、この著者が宮殿やペルシアの宮廷の習慣や規則に非常に精通していたことが確認されている。

このような考古学的発見に感銘を受けたさまざまな学者たちは、この本の著者は当時、あるいはその後すぐに、少なくとも下級官吏としてペルシア宮廷に所属していたか、あるいはそのような人物を通じて、直接これらの情報を入手したに違いないと考えるようになったのである[1]

Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, pp. 454–458). Review and Herald Publishing Association.

また、民族として存亡の危機に瀕していたユダヤ人に関心を寄せて、エステル記を記していることから、著者はユダヤ人と考えられるでしょう。また、モルデカイを「ベニヤミンびと」(エステル2:5)とわざわざ読んでいることから、著者自身もベニヤミンである可能性があります。

エステル記の著者の可能性として浮上する名前は、2つあります。ひとつはエズラもしくはネヘミヤで、もうひとつはモルデカイです。

1. エズラもしくはネヘミヤ

アルタクセルクセス1世の7年(紀元前457年)にエルサレム遠征を指揮したエズラは、著者である可能性があります。

エズラは博学なユダヤ法の権威であり(エズラ7:1-14参照)、王室書記官として、おそらく王の法律顧問として仕えた可能性があります(PK607参照)。いかなる状況下でも、アルタクセルクセスは彼に大きな信頼を寄せていたことが明らかです(エズラ7:25-28参照)。ハマンの引き起こした危機は、おそらくエズラのエルサレムへの出発より、16、17年前の紀元前474−473年に起こったと思われます[2]

Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 458). Review and Herald Publishing Association.

若いときのエズラが深い関心を示していたとしても、なんら不思議でもありません。もしくは同じような人物としては、ネヘミヤの名前をあげることもできるでしょう。

2. モルデカイ

また、二つ目の可能性はモルデカイです。彼は宮中の官吏から宰相となった経歴の持ち主で、宮中の習慣や法律に精通しており、さらに聖書の中で唯一、さまざまな勅令の公式文書と記録に触れることができた人物であると考えられています[3]

モルデカイという名前、また著名で裕福なユダヤ人のことが、アルタクセルクセス1世およびダリヨス2世の時代の記録に見られますが、これはユダヤ人モルデカイの実際の成功と史実性を示すものと考えられます[4]

第二次世界大戦中、A. ウングナド教授がベルリン博物館で発見した楔形文字の石板には、モルデカイにあたると確信できるマルドゥカという人物が、クセルクセスの時代にスサの政府高官の一人として記されています。彼の肩書きのシピルは、彼が有力な相談役であったことを示しています。

この文章の発見は、多くの学者が疑っていたモルデカイが歴史上の人物であることを証明するものとして受け入れられているのです。モルデカイが自分の民に慕われ、尊敬されたことは(エステル10:3)、ニップルの「ムラシュ・サンズ」という古い商家の古文書から判明したように、次代のユダヤ人の多くに彼の名がつけられていることからも明らかでしょう[5]

Horn, S. H. (1979). In The Seventh-day Adventist Bible Dictionary (p. 759). Review and Herald Publishing Association.

歴史的背景

フラオルテス王がメディアを支配していたとき、彼はアッシリア帝国に抵抗して、連合軍を形成し、ペルシアの支援を受けて、BC653年にアッシリアを攻撃しますが、敗退。

このメディアの敗退後、ペルシアは独立していくことになりました。

フラオルテス王がアッシリア帝国との戦いで戦死すると、息子のキュアクサレス2世が王位を継承。ネブカドネツァルの父ナボポラッサル王と連合して、アッシリア帝国を攻撃し、BC612年に首都ニネベを征服します。

その後、キュアクサレス2世の王位はアステュアゲス王に継承され、アステュアゲス王の娘とペルシアの王カンビュセス1世との間に、後の「キュロス大王」が誕生したのです。

このキュロス(クロス)にダニエルやエズラなども仕えていきました。

キュロスはペルシアの全部族を配下に加えると、ネブカドネツァルの父ナボポラッサル王と友好関係を築いていきます。その後、キュロスはメディアの王アステュアゲスに対して反旗を翻し、メディアを征服。メディアはペルシア帝国の中に取り込まれていくことになりました[6]

そして、キュロスの手によってバビロン(新バビロニア王国)もまた滅亡へと追いやられていきます。

興味深いことに、ここでキュロスはバビロンのときに要職にあったものをそのまま取り込んでいきます。そのため、ネブカドネツァルの治世からずっと仕えていたダニエルは、キュロスの治世になっても要職に登用されたのでした[7]

また、キュロスはライオンの穴から奇跡的に救われたダニエルの姿を見て(ダニエル6:25-27)、預言者ダニエルが伝えた聖書の預言に耳を傾けていき(エズラ1:1-4)、エルサレム神殿の再建を命じていきました。これはユダヤ人だけに適応されるものではなく、キュロス王はバビロンに敗北し、捕囚となっていた諸民族の宗教の自由をゆるし、故郷に帰ることを許していきました[8]

神はダニエルがししの穴から救い出されたことを、クロス大王の心に好感を抱かせるためにお用いになった。先見の明を備えた政治家として、神の人ダニエルはすぐれた特質を持っていたので、ペルシャの王は彼に非常な敬意を表して、彼の判断を尊んだ。

そして今、エルサレムにある神殿を再建させると神が言われたちょうどその時に、神はご自分の代理者としたクロスに働きかけて、ダニエルがよく知っていたクロス自身に関する預言を彼に認めさせて、ユダヤ民族に自由を与えさせようとなさった[9]

エレン・ホワイト『国と指導者』「第45章 バビロン捕囚から帰る」165ページ

このエルサレム神殿再建計画はダレイオス王へと受け継がれていきます。

ダレイオスは、エクバタナの古代書庫の中を調べさせた。問題の文書が見つかると、ダレイオスは、神殿の再建作業を続け、ユダヤ人の希望どおり必要な措置を講じ、そしてエルサレムにおける祭儀を促進するように命令を発した。これらの文章の信頼性は、疑う余地がない[10]

D.J.ワイズマン『旧約聖書時代の諸民族』日本基督教会教団出版局、437ページ

ダレイオス王もまた、帝国の拡張に力を注ぎ、ギリシア諸都市近くまで拡大していきます。そのために、ペルシアとギリシアの争いはその後200年も続くこととなったのです。

この思想はダレイオス王の息子であり、エステルの夫であるクセルクセス王にも受け継がれていきます。

ペルシア帝国支配下で反乱がおこり、これをアテネが支援したために、ペルシア帝国はギリシャと戦争状態に入っていきます。アテネは、BC490年のマラトンの戦いでペルシアを退け、BC480年にはテミストクレスの指揮下で、ペルシア軍をサラミスの海戦で打ち破り、翌年にはプラタイアイの陸戦で破ったのでした。

このサラミスの海戦とプラタイアイの戦いの直後に、クセルクセス王はエステルを王妃とします[11]

クセルクセスの治世の時には、反乱が相次いで起こり、ギリシア遠征の前でさえ、バビロニアにおける反乱鎮圧に力を削がれていました。だからこそ、ハマンのユダヤ人鎮圧の提案が魅力的に思われ、ハマンの偽りに惑わされてしまったのでしょう(エステル3:8-9)。

また、ユダヤ人に対する敵意を向けたのはハマンだけではありませんでした。サマリア人も敵意を向け、クセルクセス王に告訴状を書いています(エズラ4:6)。

エステルの物語はそのような政治的駆け引きの中、進んでいくことになります。

長引くギリシアとの戦いと騒乱の中で、クセルクセス王は力を失い、ペルシア帝国も傾いていきます。クセルクセス王の死後、その息子アルタクセルクセスが王位につきます。

そして、アルタクセルクセス王はネヘミヤをエルサレムに遣わして、再建をさせていくのでした。この一助に、おそらくは宰相となったモルデカイとエステルの働きもあったことでしょう。

テーマ

1. 神はご自分の目的を遂行される。

エステル記のテーマはいくつかありますが、3つ挙げてそれぞれを見ていきましょう。

エステルも完璧ではありませんでした。彼女は自らの身分を隠していきますが(エステル2:10)、これは律法に反していました[12]

邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。マルコ8:38(口語訳)

「恥じる」は原語では、「ある特定の出来事や活動のために、つらい気持ちや地位の喪失を体験すること、恥をかくこと」という意味があり[13]、まさにエステルとモルデカイの恐れそのものともいえるでしょう。神はそのような彼らを用いて、目的を成し遂げるのです。

興味深いことに、エステル記には「神の名」が出てきません。しかし、神の導きはエステル記全体を通して明らかです。

エステルが王妃に選ばれたこと(エステル2:17)、モルデカイがクセルクセス王の暗殺計画を知り、密告したこと(エステル2:21-22)、クセルクセスが眠れない夜を過ごしていたとき、たまたま記録を見て、モルデカイの功績を知ったことなど(エステル6:1-3)、数えきれない導きの中でユダヤ人たちは救われていくのです。

神の名がないことは、関与がないことを意味してはいません。神は実際に非常に関与し、近くにおられるのです。神から遠く離れていると思っていた人たちが、神の監視と配慮の下にあることに気づき、行動を起こさざるを得なくなるのは、神がその愛情の対象が不誠実であっても、忠実であり続け、主権を握っていることを証明しているのです[14]

Rubin, B. (Ed.). (2016). The Complete Jewish Study Bible: Notes (p. 1228). Peabody, MA: Hendrickson Bibles; Messianic Jewish Publishers & Resources.

また、ルツ記に出てきたボアズがキリストを思い起こさせたように、エステル記ではエステルがキリストを思わせる人物として描かれます。

ルツ記においてもエステル記においても、その行動が真の救い主イエスを思わせる一人の救出者が登場します。ボアズはルツのゴーエール(買い戻しの権利を持つ親戚)であり、エステルは当時の神の民の救出者でした[15]

ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯(ルツ記・エステル記)』安息日学校部

2. 神への服従

ハマンが権力を握ったのは束の間のことでした。この世の権力や繁栄がはかないものであることが痛感されます。ここからも一時のものに従うのではなく、神に従う大切さを学ぶことができますが、それはエステル記全体からもいえるでしょう。

ハマンの危機の前に、すでにエルサレムに帰るために動きは起こっていました。さらにその最初の法令を出したキュロス王によって、エルサレムに上ることが神の御心であることをはっきりと示されるのです。

1:2「ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。 1:3あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。エズラ1:2―3(口語訳)

しかし、多くのユダヤ人は従わず、結果として迫害の危機にさらされることになったのです。

3. プリムの祭りの起源

エステル記はプリムの祭りの起源を明らかにしています。

ユダヤ人虐殺の決行日を、ハマンがプルすなわちくじによって決めたことから、「プリム」という名前がつけられました(エステル9:24-26)。

ハマンの策略からの救出と勝利を記念したこの祭りは、毎年アダルの14日と15日に感謝の祭りで祝われ、これは現在でも続いています[16]

祭では、このエステルの知恵と勇気の活躍を描くエステル記がシナゴグで子供たちと一緒に朗読され、 音の出るオモチャを持った子供たちは、悪大臣ハマンの名前が読まれるとハマンの名前が聞こえないように騒ぎたてます。プリムの祭は、子どもたちが仮装をしたり、街ではパレードをしたりと、大変陽気に楽しみます[17]

シオンとの架け橋 https://www.zion-jpn.or.jp/israel_culture02.html  2022/08/25閲覧

プリムの祭りのメッセージは、神の民との約束を神は忠実に守ってくださるということです。

参考文献

[1] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, pp. 454–458). Review and Herald Publishing Association.

[2] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 458). Review and Herald Publishing Association.

[3] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 458). Review and Herald Publishing Association.

[4] S・H・ホーン『ビブリカル・リサーチ』9(1964年)、14―15ページ

[5] Horn, S. H. (1979). In The Seventh-day Adventist Bible Dictionary (p. 759). Review and Herald Publishing Association.

[6] D.J.ワイズマン『旧約聖書時代の諸民族』日本基督教会教団出版局、426―437ページ

[7] D.J.ワイズマン『旧約聖書時代の諸民族』日本基督教会教団出版局、430ページ

[8] Easton, M. G. (1893). In Illustrated Bible Dictionary and Treasury of Biblical History, Biography, Geography, Doctrine, and Literature (p. 174). New York: Harper & Brothers.

[9] エレン・ホワイト『国と指導者』「第45章 バビロン捕囚から帰る」165ページ

[10] D.J.ワイズマン『旧約聖書時代の諸民族』日本基督教会教団出版局、437ページ

[11] Horn, S. H. (1979). In The Seventh-day Adventist Bible Dictionary (p. 341). Review and Herald Publishing Association.

[12] Reid, D. (2008). Esther: An Introduction and Commentary (Vol. 13, pp. 50–51). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

[13] Arndt, W., Danker, F. W., Bauer, W., & Gingrich, F. W. (2000). A Greek-English lexicon of the New Testament and other early Christian literature (3rd ed., p. 357). Chicago: University of Chicago Press.

[14] Rubin, B. (Ed.). (2016). The Complete Jewish Study Bible: Notes (p. 1228). Peabody, MA: Hendrickson Bibles; Messianic Jewish Publishers & Resources.

[15] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯(ルツ記・エステル記)』安息日学校部

[16] Easton, M. G. (1893). In Illustrated Bible Dictionary and Treasury of Biblical History, Biography, Geography, Doctrine, and Literature (p. 567). New York: Harper & Brothers.

[17] シオンとの架け橋 https://www.zion-jpn.or.jp/israel_culture02.html  2022/08/25閲覧

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