【テサロニケの信徒への手紙1・2】キリスト再臨のしるし【解説】#8

目次

不法の者

パウロはテサロニケ人への第2の手紙2章において、不法の者がどのような方法によって不法の秘密の力を働かせるかを明らかにしています。この働きはパウロの時代にすでに始まっており、現在もなお進行中です。あらゆるしるしが示しているように、私たちの世代に欺臘の最後の業、つまりキリスト再臨の最大の前兆が成就するときとなるでしょう。

アウトライン

1. 不法の者の登場(Ⅱテサ2 : 3 ) 

2. 不法の者の描写(Ⅱテサ2:4、7)

3. 不法の者の啓示(ダニ7:24、25)

4. 偽物の出現(Ⅱテサ2:9、10)

5. クリスチャンの防壁(Ⅱテサ2: 10〜12) 

サタンの傑作

サタンが神の民に対して行っている大争闘は、彼が天において始めた反逆の延長にすぎません(黙示12:7〜9参照)。迫害、妥協、物的繁栄、また社会的賞賛や承認といったさまざまな方法を通して、彼は何とかして救いの計画を失敗させようとしています。彼は、自分の運命がカルバリーにおいて決定したこと、まだ自分の悪の王国が滅びに定められたことを知っています。彼は今、できるだけ多くの人を滅ぼそうとしています。キリストへの憎しみとキリストの王国を枯渇させることがサタンの最大の動機です。サタンの偽りの働きの中で最大の傑作、ほかの何にもまして多くのいのちを奪ってきたものは、不法の秘密の力、つまり「不法の者」の働きです。今週は、この巧妙な偽りの性質と結果について学びます。

不法の者の登場(Ⅱテサ2:3)

質問1 
「背教する」個人または権力を、パウロは何と呼んでいますか。Ⅱテサ2:3 

聖書は四つの領域においてしるしを与えている再臨のしるしは自然界に(マタ24:7)、社会に(ルカ17:26〜28)、政界に(マタ2 4 : 6 、 1 テサ5 : 3 ) 、 そして宗教界に見られます。テサロニケ人への第2の手紙2:3に描かれている「背教」(ギリシャ語でアポスタシア=背信)は、最も重要な宗教的しるしです。「背教」は熱意を失うこと、キリストへの献身を失うこと、神の戒めから離れること、信仰を失うこと、クリスチャンの生活様式を捨てることです。宗教界におけるしるしはマタイ24:5、6、14、24、黙示録14:6〜12にも記されています。

質問2
キリスト教会に対するヨハネのメッセージはパウロの教えとどのように一致していますか。

黙示2:4 、黙示2:9 、黙示2:13、15 、黙示2:20 、黙示3:1 、黙示3:9 、黙示3:16 

黙示録2、3章の七つの教会は、キリストの昇天から再臨までの教会歴史における連続した七つの期間を表しています。小アジヤにある七つの教会にあてられたキリストのメッセージは、教会歴史の七つの期間を通して教会に与えられたメッセージです。これらのメッセージには、中世の法王権(「あのイゼベルという女」―黙示2:20)、宗教改革後の活気のない教会(サルデス)、それからラオデキヤの熱意を失った教会へという段階的な霊的衰退が予告されています。

ヨハネは聖霊による霊感のもとで、中世の法王権および宗教改革後の活気のないプロテスタント教会が最後には一致して、サタンの終末における最大の偽りを演出することを予告しています(黙示13、 17章参照)。これらヨハネの予告およびパウロの言葉(Ⅱテサ2章参照)は、同じ中世における背教と終末における反キリスト教的宗教連合について述べています。

不法の者の描写(Ⅱテサ2: 4、7)

質問3 
この「不法の者」には非キリスト的などんな態度が見られますか。Ⅱテサ2:4 

「すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり」とは、神だけに帰せられるべき権力、わざ、知恵、特権を人間に帰することです。「自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」とは、創造主にだけささげられるべき礼拝、賛美、服従を同じ人間に要求することです。

質問4
この権力はほかに何と呼ばれていますか。それはどんな意味を持ちますか。Ⅱテサ2:7 

ここで言われている秘密の力とは、隠されたもの、隠された知識、授けられた者にしかわからない情報をさします。不法とは律法を犯すことを意味します。以上のことから、この権力は神の権威に挑戦し、自らがそれを持つと主張し、不当に神の律法を犯すものであることが明らかです。神の律法は神の品性を表すものなので、サタンはその価値を失わせ、それが順守不可能なものであるように見せようとします。

質問5
不法の者の態度と働きにはだれの精神がはっきりと表されていますか。イザ14:12〜14 

「結局のところ、この描写〔Ⅱテサ2:7〕は不法の創始者であるサタンにあてはまる。……しかし、悪魔は一般的に代理人を通して働くことによって自分の人格を隠す。……このようなわけで、「不法の者』も「不法の秘密の力」も同じ背信的な法王権を表すものと考えられる。……不法に関するあらゆる人間的な現れの背後には、サタン自身が存在する。彼は最後には、全世界をとりこにするために個人的な役割を果たす」( 「SDA聖書注解』第7巻272ページ)。

不法の者の啓示(ダニ7:24、25)

質問6
法王権ローマの制度と歴史は、テサロニケ人への第2の手紙2:4に述べられたこの背信的権力についての預言をどのように成就していますか。

法王権ローマは大胆にも、司祭が罪をゆるす権限を持ち、その最高統治者が神の権限を行使すると述べています。このことからも、法王権ローマはパウロがここで語っている権力であることはまず間違いありません。

質問7
ダニエルはさらに、この背信的権力について何を明らかにしていますか。ダニ7:23〜25 

次の預言を見れば、それがローマ教会の歴史において成就していることがわかります。(1)「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し」、(2)「かつ、いと高き者の聖徒を悩ます」。(3)「彼はまた時と律法とを変えようと望む」。ローマ教会の歴史がダニエル書7:23〜25の描写と一致することに注目してください。

1.それは第4の獣、つまりローマ帝国から分かれた10のものから台頭してきました(ダニ7:1〜8、23参照)。

2. それはいと高き者に敵して、法王が地上において神の権力を行使すると宣言しました。

3. それは最盛期において、いと高き者の聖徒を迫害し、藤穎しようとしました(538〜1798年)。

4.それは神の聖なる安息日である第7日の礼拝を日曜日の礼拝に変えることによって、神の時と律法とを変えました。スミルナ期(使徒時代直後の期間)になされたこの変更は、預言された権力を特定するうえで重要な要素です。安息日を週の7日目から1日目に変えたのは自らの宗教的、霊的優位性を示すためであると明言することによって、法王権ローマはその責任をはっきりと認めています。この点についてのローマ教会の歴史的立場は次の言葉によく表されています。

「もし聖書がクリスチャンにとっての唯一の指針であるなら、ユダヤ教徒と共に安息日を守っているセブンスデー・アドベンチストは正しいことになる。しかし、カトリック教徒は何を信じ何を行うかを、イエス・キリストによって確立された神の、誤りのない権威であるカトリック教会〔法王権ローマ〕から学ぶ。それが使徒時代に日曜日を安息の日としたのである。……聖書をただひとりの教師とする者たちがこの点においてカトリック教会の伝統に無定見に従っていることは不思議ではないだろうか」(バートランド.L・コンウェイ「質問に答えて』1903年版、 254ページ)。

偽物の出現(Ⅱテサ2:9,10)

質問8
サタンは世界をあざむくために、最後にどんな必死の努力をしますか。Ⅱテサ2:9、10 

最大の偽り

「不法の者」によってなされる終末の偽りは、サタンがキリストの姿をとることにおいて最高潮に達します。

「欺臘の一大ドラマの最後を飾る一幕として、サタンはキリストを装うであろう。教会は、救い主の来臨を教会の望みの完成として期待していると長い間公言してきた。今や大欺臘者は、キリストがおいでになったように見せかける。地上のあちらこちらで、サタンは、黙示録の中でヨハネが述べている神のみ子についての描写に似た、まばゆく輝く威厳ある者として人々の中に現われる(黙示録1:13〜15参照)。彼をとりまいている栄光は、これまで人間の目が見たどんなものも及ばない。『キリストがこられた、キリストがこられた』という勝利の叫びが、空中に鳴り響く」(「各時代の大争闘』下巻398、399ページ)。

質問9 
偽りの再臨と真の再臨は共に、どんな出来事のあとで起こると考えられますか。Ⅱテサ2:3をダニ7:25と比較

期待すべきとき

「使徒パウロは、彼の時代にキリストが来られると期待しないようにと、教会に警告した。『まず背教のことが起り、不法の者……が現れるにちがいない』と彼は言っている(テサロニケ第Ⅱ・2:3)。大背教が起こり、『不法の者』の長い支配期間の終わったあとで、初めてわれわれは、主の再臨を期待することができる。『不法の秘密の力』『滅びの子』とも言われている『不法の者』とは、1260年の間、至上権をふるうと預言された法王権のことである。この期間は、1798年に終結した。キリストの再臨は、この時より前には起こり得ないのであった。パウロは、1798年までに及ぶキリスト教時代全体を、彼の警告の中に含ませている。キリスト再臨のメッセージが宣布されるのは、その時以後になるのである」(『各時代の大争闘』下巻50ページ)。

質問10 
キリストの再臨は1798年以前には起こりえませんでした。再臨はそれ以降、どうなっているのでしょうか。

再臨が遅れている理由について、『伝道』694ページに次のように書かれています。

1868年に書かれた一文
「暗く長い夜はつらいものである。しかし、朝はあわれみのうちに延ばされている。というのは、主が来られても、多くの者たちに用意ができていないからである。神はご自分の民が滅びるのをお喜びにならない。それが、これほど遅くなっている理由である」。

1900年に書かれた一文
「神の民があわれみのメッセージを世に伝えることによって神の目的を遂行していたなら、キリストはすでに地上に来られて、聖徒たちは神の都に迎えられていたであろう」。

1909年に書かれた一文
「働きは何年も遅れている。人々が眠っているあいだに、サタンは私たちの先を越してしまった」。

質問11
1798年からすでに2世紀近くたっていますが、私たちはなお再臨の日時を定めることに関してどんな注意を守るべきですか。

「テサロニケ人への使徒の勧告は、終末時代に生きている者たちに対しての、重大な教訓を含んでいる。主の再臨の正確な時日の上に信仰を置くことができないなら、熱心に準備にいそしむことができないと感じている再臨信徒が多い。しかし、彼らの希望が、何度も何度も燃え上がっては崩れ去るうちに、彼らの信仰は打撃を受けて、預言の大真理をほとんど感じることができなくなってしまうのである。……
再臨の明確な時が、何度も定められれば定められるほど、そしてそれが広く伝えられれば伝えられるほど、それだけいっそうサタンの目的にかなうのである。時が過ぎ去ると、サタンはその支持者たちをあざけり軽べつして、1843年と1844年の大再臨連動をも非難するのである」(『各時代の大争闘」下巻181ページ)。

クリスチャンの防壁(Ⅱテサ2:10〜12)

「数百年にわたって、聖書の配布が禁止された。人々は聖書を読むことも、それを家に持つことも禁じられた。そして節操のない司祭たちや司教たちが、自分たちの主張を支持するためにその教えを解釈した。こうして法王は、地上における神の代表者、教会と国家に対する権威を与えられた者として、広く認められるようになった。誤りを指摘するものが除かれたので、サタンは、思う存分に活躍した」(『各時代の大争闘」上巻46ページ)。

質問12 
義人はキリスト再臨についてのあらゆる偽りからどのようにして守られますか。Ⅱテサ2 :10〜12 

最高の守り

「聖書を熱心に研究し、真理の愛を受けたものだけが、世界をとりこにする強力な惑わしから守られる。聖書のあかしによって、これらの者は欺臓者サタンの変装を見破る。すべての人に試みの時がやってくる。試みのふるいによって、ほんもののキリスト者が明らかにされる。神の民は、自分の感覚的証拠に屈しないほど、今神のみ言葉に固く立っているだろうか。こうした危機においても、彼らは聖書に、しかも聖書だけにすがりつくだろうか」(「各時代の大争闘』下巻400ページ)。

質問13 
霊的災いにおちいらないために、イエスは私たちにどんな霊的活動をすすめておられますか。マタ17:21、4:2 

より深い経験

「われわれは祈りと断食をもって主の前にへりくだり、主のみ言葉について、特にさばきの光景について瞑想する必要がある。われわれは今、神のことについて、深い、生きた経験を求めなければならない。一刻もむだにはできない。われわれの周囲には重大な事件が起こっており、われわれはサタンの魔法の働いている場にいるのである。神の見張り人たちよ、眠ってはいけない。敵は近くに忍び込んでいて、あなたが気をゆるめて眠気を催すならば、いつでも飛びかかってえじきにしようと待ち構えている」(「各時代の大争闘』下巻369ページ)。

まとめ

不法の者の働きは悲しみの人イエスのそれと全く対照的です。イエスは人々を啓発されますが、サタンは人々を束縛します。イエスは私たちを律法に導かれますが、サタンは律法によって私たちを有罪とします。イエスの目的は神のみこころに従って人類を救うことですが、サタンの目的は神を自分のように見せかけ、自分を神のように見せかけることです。サタンはそれによって神の計画を失敗させ、人類を滅ぼそうとしています。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年3期『再臨に備えて生きる』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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