【エステル記】ハマンの怒り【5、6章解説】

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5:9こうしてハマンはその日、心に喜び楽しんで出てきたが、ハマンはモルデカイが王の門にいて、自分にむかって立ちあがりもせず、また身動きもしないのを見たので、モルデカイに対し怒りに満たされた。 5:10しかしハマンは耐え忍んで家に帰り、人をやってその友だちおよび妻ゼレシを呼んでこさせ、 5:11そしてハマンはその富の栄華と、そのむすこたちの多いことと、すべて王が自分を重んじられたこと、また王の大臣および侍臣たちにまさって自分を昇進させられたことを彼らに語った。 5:12ハマンはまた言った、「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている。5:13しかしユダヤ人モルデカイが王の門に座しているのを見る間は、これらの事もわたしには楽しくない」。 5:14その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。

6:12こうしてモルデカイは王の門に帰ってきたが、ハマンは憂え悩み、頭をおおって急いで家に帰った。 6:13そしてハマンは自分の身に起った事をことごとくその妻ゼレシと友だちに告げた。するとその知者たちおよび妻ゼレシは彼に言った、「あのモルデカイ、すなわちあなたがその人の前に敗れ始めた者が、もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に敗れるでしょう」。

6:14彼らがなおハマンと話している時、王の侍従たちがきてハマンを促し、エステルが設けた酒宴に臨ませた。エステル記5章9節―14節、6章12―14節(口語訳)

目次

身動きもしない

こうしてハマンはその日、心に喜び楽しんで出てきたが、ハマンはモルデカイが王の門にいて、自分にむかって立ちあがりもせず、また身動きもしないのを見たので、モルデカイに対し怒りに満たされた。エステル5:9(口語訳)

ハマンが「心に喜び楽しんで出てきた」ということは、ハマンは知らず知らずのうちにエステルの権威を認めていることがわかります。

しかし皮肉にも、エステルとモルデカイが繋がっていることを露知らず、ハマンはモルデカイに対して怒るのです。

モルデカイとハマンの溝は、以前にも増して深まっていました。

(「身動き」と訳されている言葉は)力ある目上の存在を前にしたときの反応を表すのに使われます。モルデカイが拒絶しているのは、王の任命に関する敬意です [1]

ここでモルデカイは「礼拝」を拒絶したのではなく、「ハマン自身」を拒絶したのです。

モルデカイが王の門にいたことから、すでに荒布を脱いだということがわかります(エステル4:2)。彼は、王がエステルに好意を示したことを知っていたか、もしくは彼女の計画が必ず成功することを信じていたのです[2]

木を立てて

ハマンの性格が如実にあらわされているのが、エステル記5章10―12節です。彼もまた、見栄を張りたがる性格をしていました。それゆえに、妻と友人たちを招いて、自らの功績を自慢していくのです。

だからこそ、余計にその自分の権威を認めないモルデカイに対して、怒りを覚えます。

その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。エステル5:14(口語訳)

高さ50キュビトはおよそ22メートルで、ハマンの家に建てられました(エステル7:9)。この当時の家には、中庭があり、この木の高さはおそらくモルデカイの処刑を町中に見えるようにするためでした[3]

このときは「すべての友人」たちが積極的にハマンの思いを支持し、彼の思いを汲んで、彼に都合の良いことを話していきます。

しかし、モルデカイが王によって栄誉が与えられてから状況は変化します(エステル6:4―11)。

ハマンの友人たちは彼から身を引き始めます。状況の変化に気づいたのでしょう。首相ハマンの世界は崩壊し始めていました。しかし彼は、まだ事態の深刻さに気づいていませんでした[4]

そしてハマンは自分の身に起った事をことごとくその妻ゼレシと友だちに告げた。するとその知者たちおよび妻ゼレシは彼に言った、「あのモルデカイ、すなわちあなたがその人の前に敗れ始めた者が、もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に敗れるでしょう」。エステル記6:13

ここでは「すべての友人」ではなく、「知者たち」が彼に告げるのです。すべての人間が両手をふって、彼を支持した時は終わり、勇気ある友人たちだけが忠告するのでした。

世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。箴言18:24

状況が良いときに都合の良いことをいう友は多くいるかもしれませんが、悪いときに忠告をする友は少ないものです。ここで聖書はそのような友のことを「知者たち」と表現しています。

また、妻ゼレシもここに加わっていることは注目に値します。このときのペルシャでは、「妻たる者はことごとく、その夫を高下の別なく共に敬うように」という法令が出ていたはずです(エステル1:19,20)。

それにも関わらず、自己中心的で怒りやすいハマンに、ゼレシは果敢に忠告していくのです。ゼレシは心からハマンを愛していたのかもしれません。いずれにせよ、賢い女性であったことは間違いないでしょう。クセルクセス王とワシュティ、ハマンとゼレシなど、エステル記には男性のプライドとそれを諌める女性という構図が見られるのです。

そのような人々の忠告を受けているときに、王からの死者がハマンのもとへ到着します。

東洋では、主人が護衛を送って客を宴会に案内するのが習慣になっていました。ハマンの破滅の宣告を受けているときに、王の護衛が到着します。エステル記6の14は付随的な記事のように思われるかもしれません。しかしながらこれは、王の侍従たちがモルデカイの処刑の用意ができたことを確認するためにハマンの家に来ていたことを暗示するものです[5]

まとめ

このハマンの物語は、サタンの滅亡と重なるところがあります。たとえどんなに悪が栄えたとしても、聖書ははっきりとその最後が滅びであることを示しているのです。

参考文献

[1] カッコは筆者の補足加筆。
Reid, D. (2008). Esther: An Introduction and Commentary (Vol. 13, p. 111). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

[2] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, pp. 479). Review and Herald Publishing Association.

[3] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, pp. 480). Review and Herald Publishing Association.

[4] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』118ページ

[5] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』118ページ

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そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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