【士師記】堕落と救い【1章解説】#1

目次

初めにー分離と失敗

ピアノを習っている十代の学生が、シューマンのピアノ協奏曲イ短調の第1 楽章を覚えました。1 回目の演奏は大成功でした。今回も、演奏の前に神の助けを祈りました。神は共におられ、すべてがうまくいっていました。その時、彼は神を忘れ、自分が何とすばらしいピアニストなのだろうと考え始めました。すると、ミスが出始め、それが不安と神経過敏を生み、ついには恐怖に襲われてしまいました。最後のアルペッジオの部分に至っては、終わりまでミスだらけでした。彼はおじぎをする代わりに、グランドピアノの下にもぐりこみ、ペダルの後ろに隠れてしまいたい気持ちでした。

何がいけなかったのでしょうか。神から離れ、成功が神のおかげであることを忘れたのでした。古代イスラエル人にとっては、事態はもっと深刻でした。彼らは、もし神に信頼するなら、神によって勝利が与えられるという約束を知っていました。彼らにとってこのことはきわめて重大で、その結果は悲劇的でした。

神への服従による成功(士師記1章1〜10、16〜18、22〜26節)

士師記は、ヨシュアの死後、イスラエル人が、だれがカナン人に対する戦いを指揮すべきかを尋ねたという記述をもって始まっています(士師1:1)。かつてのモーセと同じく、ヨシュアは、生きている間イスラエル人の指導者でした。しかし、ヨシュアの後継者として、だれひとりあげられていませんでした。

神はヨシュア後のイスラエルの指導者としてだれを計画されましたか。

士師8:23

神は、イスラエル人が約束の地を完全に占領すると約束しておられました(出エ23:31、ヨシ1:2〜4)。そこで今、イスラエル人は神の約束に従って、神の指示を求めました。彼らが以前、神から命令を受けたヨシュアに指示を求めたのと同じです(ヨシ1:1〜9)。これまでは主がイスラエルの真の指導者でしたが、今度は、部族の指導者が直接神の指揮下に入ることになりました。イスラエル人はこのとき、大祭司の胸当てにある宝石、ウリムとトンミムによって主に伺いを立てたようです(出エ28:30、民数27:21、サム上28:6、『人類のあけぼの」上巻413、414ページ参照)。

士師記の終わりで、イスラエル人は再び主に、だれが戦いを指導すべきかを尋ねています。初めと同じく、その答えは「ユダ」でした(士師20:18-同1:2比較)。士師記20:27、28によれば、このときの神への伺いはウリムとトンミムを着けていた大祭司の役割と関係していました(出エ28:30)。ウリムとトンミムはただ「是」か「否」かを答えるだけでしたので、たとえば「ユダ」のような答えは消去法によって得られました(ヨシ7:14〜18、サム上10:20〜22比較)。

ヨシュアの死後もさらに征服する必要があったのはなぜですか(士師1:21、27〜33)。イスラエル人は完全に約束の地を征服していましたか。

ヨシ21:43〜45

神はカナンの地をイスラエル人に与えるという約束を実現されました。イスラエル人はヨシュアの下で、パレスチナへの永住に反対するカナン人を打ち破りました。しかしながら、各部族は自分たちに割り当てられた地域をまだ完全には占領していませんでした。彼らはなおも王なる神の導きに信頼して、勇敢に前進する必要がありました。そうする時に初めて、彼らの努力は実を結ぶのでした。

守られた約束(士師記1章11〜15、20節)

カレブはイスラエルの兵士たちに、キルヤト・セフェル(キリアテ・セペル)を攻め取った者に娘のアクサを妻として与えると約束しました。カレブの身内のオトニエル(オテニエル)がその町を取ったので、カレブは彼に娘を与え、さらにパレスチナ南部の荒れ野、ネゲブの地に加えて、溜池も与えました。

おもに各部族による征服について記されている士師記1章の中に、一家族の私的な問題(12〜15節)が述べられていることには何か特別な意味がありますか。カレブとその家族のことがここに書かれているのはなぜですか。

次の答えの中から最も適当なものを選んでください。

1.この物語が書かれたのは、それが約束の地の征服と分配について説明しているからです。

2.カレブについて書かれているのは、彼がモーセによってカナンの地をさぐるために送られた12人の斥候の1人だった からです(民数13:6)。カレブとヨシュアだけがカナンの地について良い報告をし、民にそれを取るように励ましました(民数13:30〜33、14:6〜9)。士師記1章の物語は、カレブがヨシュアの死後もなおカナンの地を取るために奮闘していたことを示しています。

3.オトニエルが重要なのは、彼が後にイスラエルを救う最初の士師になったからです(士師3:7〜11)。

4.この物語は忠実に約束を守ることを教えています。イスラエルが神に仕え、従うという約束を守った時に、神が彼らに勝利を与えることによってその契約の約束を守られたように、カレブもオトニエルにアクサを与えることによってイスラエル人に対するその約束を守りました。約束を守ることは士師記1:20にも教えられていて、ここではカレブがモーセの言ったようにヘブロンを受け取っています(申命1:36-ヨシ14:9〜14比較)。士師記1:24、25には、イスラエル人がルズの町に入る道を教えてくれた人を親切に扱うことによって約束を守ったことが書かれています。

5.この物語は、士師記の後半とは対照的に、女性が丁重に扱われていることを描写しています(士師11:34〜40、16:1、4、19:22〜30比較)。

6.別の答え

7.上の答えすべて

守られなかった約束(士師記1章9、21、27〜36節)

士師記1: 19はユダ族の征服について述べていますが、同時に妨害があったことも明らかにしています。ユダは神の助けによって山地を獲得しますが、鉄の戦車を持つカナン人の住む平野を取ることができませんでした。21節には、ベニヤミン族について同じことが書かれています。彼らはエブス人を追い出すことができませんでした。北方の諸部族も、ある程度は成功しましたが(22〜26節)、やはり多くの失敗を経験しています。ダン族の場合は特に厳しく(34節)、そのため後には再移住を強いられました(ヨシ19:40〜48、士師18章)。

イスラエル人がカナン人をすべて追い出すことに失敗したのはなぜですか。何が原因でしたか。

士師1:19、21、27〜36

士師記1:19はユダの失敗の理由として鉄の戦車をあげています。しかし、これは見せかけの理由にすぎませんでした。デボラとバラクは後にイスラエル人を率いて、鉄の戦車900両を持つ敵を打ち破っています(士師4章)。このことは、イスラエル人が進んで、真心から神の働きに献身した時(士師5:2、9)、彼らを妨害するものは何もなかったことを示しています。ユダが失敗した真の理由は、彼らが全的に献身しなかったことにあります。彼らが神に信頼して勝利にあずかったのは、敵がそれほど強くなく、しかも自分たちに要求される犠牲がそれほど大きくない時だけでした。

しかし、カレブは例外でした。何年も前にカナンの地を偵察した時と同じです(民数13、14章)。彼は全的に主に従っていたので(民 極坪数32:12)、巨人であったアナクの子孫たちでさえ彼を脅かすことができませんでした。カレブが巨人の土地を求めたのは、むしろ巨人がそこにいたからです。巨人をヘブロンから追い出し(ヨシ14: 11 〜15、士師1:20)、それによって10人の不忠実な斥候たちが巨人を克服できない障害と考えたことの誤りを証明するためでした。

北方の諸部族が失敗したのはカナン人の勢力のためだけではありませんでした。ある場合には、イスラエル人は十分、カナン人を追い出す力を持っていましたが、彼らを強制労働に服させる方が得策であると考えました(士師1:28、30、33、35)。これらのイスラエル人は、土地についての神の約束が実現するように、全的な献身によって神に協力しなかっただけではありません。彼らは事実上、神の約束を無視して、カナン人が自分たちの中に住むのを許したのです。

破られた約束(士師記2章1、2節)

イスラエル人は約束の地全域を占領できませんでした。彼らは全的に献身していなかったので、カナン人の労働力を利用しようとしました。士師記2:1、2で、主の御使いはさらに重大な理由をあげています。神はイスラエル人に土地を与えるという契約の約束を守られましたが、イスラエル人は自分の分を果たさず、カナン人と契約を結び、異教の祭壇を打ち砕きませんでした(出エ23:23〜33)。イスラエル人はすべてのカナン人を容赦なく追い出し、滅ぼすように命じられていました(申命7:16)。

神がこれほどまでに厳しくカナン人を扱うように要求されたのはなぜですか。創世15:16、出エ23:33参照
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。


1.イスラエル人が神と契約を結び、同時にカナン人と契約を結ぶということはありえないことでした。カナン人が他の神々を礼拝するのを認めることは、神の聖所を汚し、神の聖なる御名を辱めることでした(レビ20:3)。これは神に背き、神の契約を破ることでした。

2.カナン人は徐々に、アブラハム、イサク、ヤコブ、メルキゼデクといった人々によって、また神の創造の御業によって啓示されていた神を拒みました。ローマ1:20〜32には、人間が神から離れる時にどんなことが起こるかが描写されています。これはまさにカナン人の姿であって、聖書に(たとえば、レビ18、20章)、また考古学的な証拠によって明らかにされている通りです。彼らはその神々に習い、創造主よりも被造物を拝み、同性愛を含む性的不道徳を行い、他のあらゆる罪を犯しました。ヨシュアの時代には、カナン人の罪は極みに達していました(創世15:16参照)。彼らの恩恵期間は終わり、彼らはソドムの住民や洪水期に生きていた民と同じく必ず滅びる運命にありました(ロマ1:32 参照)。カナン人に対する神の宣告は正当でした(士師1:7参照)。

3.イスラエル人は自分たちの中でなされる偶像礼拝を統制することができませんでした。なぜなら、彼らもそれに引きつけられ、他の神々に仕えるようになっていたからです(出エ23:33)。

4.別の答え

5.上の答えすべて

失われた機会(士師記2章3〜5節)

神の契約を守らなかったことに対してイスラエル人を告発した後で、主の御使いは彼らに刑罰を宣告しました。こうして、彼らの前からカナン人を追い払うという神の約束は実現されなくなります(出エ23:28参照)。カナン人はなおもイスラエル人を悩まし、彼らの神々はイスラエル人にとって誘惑となるのでした(民数33:55参照)。

イスラエル人が偽りの礼拝に陥るのを望まれないのに、神があえてカナン人の神々という誘惑を許すことによってイスラエル人を罰せられたのはなぜですか。

士師2:3

カナン人とその神々が自分たちと共にいるということはイスラエル人にとって刑罰でしたが、それはまた彼らが選択したことの必然的な結果でもありました。神は次のように言っておられたのでした。「わたしはカナン人の永住を許すことの危険についてあなたがたに警告したが、あなたがたはわたしに聞き従うことを拒んだ。それゆえ、あなたがたは苦労して学ぶことになる」。

人生において、時間は貴重なものです。衣料品の大売り出しであれ、特別に低い住宅ローンの金利であれ、結婚にまで発展するかもしれない友情であれ、キリストを受け入れるように求める訴えであれ、あるいは他のどんなことであれ、機会は永遠に続くものではありません。イスラエル人がヨシュアの下でカナンの地に入り、カナン人の拠点を攻略した時、残っているカナン人の孤立地帯は取るに足りないものでした。もしイスラエル人が戦闘を続行していたなら、目的を達成することができたはずです。しかし、イスラエル人はその機会を失いました。時が経過するにつれて、カナン人の勢力は増し、イスラエル人の勢力は弱まっていったからです。

私たちが今、神の与えておられる機会を最大限に活用する必要があるのはなぜですか。

コヘ(伝道)9:10、マタ24:14

私たちが神によって召されているのは、人間に勝つためではなく、キリストとの交わりによってサタンの力に勝つためです(エフェ6:10〜18)。私たちは世にキリストによる救いの福音を伝えなければなりません(マタ28:18〜20)。時間は貴重です。今日の決心は明日の決心を左右します。今日の勝利は明日の勝利を容易にします。罪を大事にすれば、ますます強くなります。キリストを宣べ伝える機会はいつまでもあるわけではありません。今は福音を伝えることができても、そうすることができなくなる時がやって来ます。

まとめ

イスラエル人の成功と幸福は神との契約に従うか否かにかかっていました。神はすべての面でイスラエル人を祝福しようと望まれましたが、イスラエル人は神に従うことを拒み、神の約束を無視しました。神は私たちにも契約を与えておられます。私たちの最終的な成功は、この契約に対する私たちの態度にかかっています。

*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書学科、旧約聖書・古代中近東言語学教授のロイ・E・ゲイン(英Roy E. Gane)著、1996年第1期安息日学校教課『堕落と救いー士師記』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次