【士師記】安全の印【6章解説】#5

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中心思想

神は人々にご自分のために働くように求められる時、ご自身が共におられるという保証をお与えになります。時には、奇跡や摂理の印をもってこの保証を強化されます。

父親の手

1 頭のトラが2 歳の女の子に向かってゆっくりと歩いてきます。彼女は茂みの中から、その猛獣が近づいてくるのをじっと見つめています。彼女はトラの目の前に飛び出して、「ウオー」と言います。小さなサラが怖がることなくトラに向かってほえるのは、トラの首に太い鎖が巻かれていて、それを「マリンワールド・アフリカ」の調教師がしっかりと握っているのを知っているからではありません。むしろ、彼女が自分の父親の手をしっかりと握っているからなのです。彼女にとって、父親はどんな時にも頼りになる力強い存在です。

大人にも安全を保証してくれるものが必要です。先週の研究では、バラクには危険な所にもついて来て安全を保証してくれる女預言者デボラが必要であったことを学びました。神によってイスラエルを解放するために召された時のギデオンは、そのことに全く確信が持てませんでした。その上、自分を助けてくれるデボラのような人はだれもいませんでした。彼は直接神に信頼し、天の父なる神が共にいてくださることを確信するしかありませんでした。

Ⅰ.再度の圧迫と衰退(士師記6章1節~10節)

ヤビンとシセラから解放された後、「国は40年にわたって平穏であった」(士師5:31)。しかし、しばらくすると、民は再び主と主の勝利を忘れ、偶像礼拝に陥ります。その結果は感情的にも、経済的にも落ち込みました。かつてイスラエル人はヤビンとシセラの下で、20年間も虐待を耐え忍びましたが、今度はミデイアン人(ミデアン人)によるわずか7年の略奪によって自暴自棄に陥りました(士師6:1)。

 ミディアン人はどんなひどいことをしましたか。

士師6:2〜6

「ミデイアン人は遊牧民族だったので、土地を奪って、そこに定住することがなかった。……彼らは定住民に種蒔きの仕事をさせた。それから一連の襲撃によって土地に侵入し、作物を没収し、手当たり次第に家畜を追い払うのであった。彼らは決まって家を破壊することがなかったが、それは農夫たちが再び戻って畑に種を蒔く気を起こさせるためであった」( 「SDA聖書注解』第2巻339、341ページ)。

ミデイアン人はアマレク人や「東方の諸民族」と同様、その数と土地に対する影響において、いなごのような存在でした(士師6:3〜5-ヨエ2:4〜10比較)。続けて7年、作物を失ったので、イスラエル人は飢えていました。「甚だし〈衰えた」時に(士師6:6)、彼らは再び主を求める用意ができました。しかし、主は助けを

求める彼らの叫びに対して、直ちに救うとは約束されませんでした。主は彼らの叫びに耳を傾けられる一方で、無名の一預言者をつかわして、彼らの苦悩の原因を説明されました(士師6:7〜10)。彼らが将来、もっと賢明になるためでした。

 この預言者の言葉(士師6 :8 〜1 0 )を、主の御使いが先にボキムにおいて語った言葉(2:1〜3)と比較してください。

預言者は士師記の全体的テーマを繰り返しています。―神が忠実であられたにもかかわらず、イスラエル人はまたしても信仰を捨てて不従順に陥った。彼らは神の契約を破ったので、契約の約束の完全な実現を見ることがなかった。

Ⅱ.ギデオンの召し(士師記6章11節〜16節)

「士師」は様々な方法で神によって召されました。エフドは主によって立てられ(士師3:15)、オトニエルは自分に臨んだ主の霊によってイスラエルの救助者に定められ(10節)、バラクは女預言者デボラを通して召されました(4:6、7)。ギデオンの召しは特別でした。主の御使いが個人的に彼に現れました。

 士師記6 :1 1 〜1 6 を、( 1 ) ギデオンと御使いとの会話がなされた状況、(2)会話に表された思想に注意しながら読んでください。

小麦はふつう脱穀場で打たれますが、ギデオンは小麦をミデイアン人に気づかれない酒ぶれの中で打っていました。ギデオンがこの苦しい時期、ミデイアン人を恐れて食物を隠していた時に、主の御使いが彼に現れました。

御使いは初めにこう言いました。「勇者よ、主はあなたと共におられます」(士師6:12)。ギデオンにはこの言葉の意味がわかりませんでした。彼は昔、イスラエル人のためになされた主の勝利について聞いていましたが、この時期に主が共におられるということは理解できないことでした。「主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか」(士師6:14)。御使いとは主ご自身で、ギデオンは救助者となるのでした。

御使いは二度、ギデオンの力に言及しています。ギデオンの兄弟たち、そしてギデオン自身もたぶんミデイアン人との戦闘に参加していましたが(士師8:18、19)、ギデオンは自分自身をイスラエルの指導者にふさわしいとは考えていませんでした。彼はマナセ族のだれよりも力がないと言っています。「主は彼に言われた。『わたしがあなたと共にいる」」(士師6:16)。主ご自身がギデオンと共におられるというのです。それが彼の必要としていた力の全てであったのですが。

ギデオンの召しをモーセ(出エ3 :1 〜4 :1 7 )およびエレミヤ(エレ1:4〜10)の召しと比較してください。

神がモーセ、ギデオン、エレミヤといった人々を用いられたのは、彼らが自分自身の弱さを認めて、神の力に頼ったからでした。

Ⅲ.主の御使い(士師記6章11節~16節)

士師記6:11〜16には、「主の御使い」の本性がどのように啓示されていますか。

ギデオンに語った者が初めは「主の御使い」と呼ばれていますが(士師6:11、12)、後には「主」と呼ばれています(14、16節)。したがって、初めの「主なる神がわたしたちと共においでになる」(12節)という表現は、後の「わたしがあなたと共にいる」(16節)という表現と同じ内容を述べていることになります。これらの聖句における「主」という言葉は「エホバ」を意味するヘブライ語のヤーウェから来ています。

ギデオンの物語をサムソンの両親に現れた「主の御使い」(士師13章)と比較してください。御使いは人間の姿をして現れましたが(士師13:6)、後に主であることが明らかになります(21〜23節)。

ギデオンとサムソンの物語(士師6 、1 3 章)において、主が「主の御使い」と呼ばれているのはなぜですか。

旧・新約聖書において「御使い」と訳されているヘブライ語とギリシア語は共に「使者」を意味します。ふつう、これは神からつかわされた被造者をさします(ヘブ1:6、7、13、14、ダニ9:21、ルカ1:26参照)。しかし、時々、主ご自身がメッセージを伝えるためにお現れになりました(創世18章)。

神は出エジプト記23:20、21で、イスラエル人を約束の地に導くためにつかわされた「使い」について語っておられます。「あなたは彼に心を留め……彼はわたしの名を帯びているからである」(21節)。エレン・ホワイトは次のように解説しています。「キリストは、荒野におけるへブル人の指導者であられた。彼は、主とも呼ばれた天使なる神であって、雲の柱に包まれて、軍勢の前に進まれた。ただそれだけでなく、イスラエルに律法を与えられたのも彼であった。キリストは、シナイの壮厳な栄光の中から、すべての人に父なる神の十誠を宣言された」(『人類のあけぼの』上巻434、435ページ)。

ここに述べられているキリストは、「彼の出生は古く」(ミカ5:1、口語訳5:2)と言われている、ベツレヘムでお生まれになったメシアと同じお方です。キリストの誕生は、人間の姿をした主、すなわち「神は我々と共におられる」(マタ1:23)と呼ばれるイエス・キリストについての究極の啓示でした。イエスはヨハネ1:1〜5、9〜14において、私たちと交わるために人間となられた創造主と呼ばれています。そればかりでなく、彼はメッセージの内容そのものである「言」と呼ばれています。

Ⅳ.神からの印(士師記6章17節~24節、36節~40節)

ギデオンは自分と語っている方が神であることの印を求めました(士師6:17)。この出会いはきわめて異例であり、また重要な意味を持っていたので、このように要求することは十分、理にかなったことでした。ギデオンには、この訪問者が「主」(11、12、14、16 節)であることを示す聖書の言葉は与えられていませんでした。ギデオンが見、聞いたのはテレビン(かし)の木の下に座っている、おそらく人間の姿をした人物でした(11節)。

ギデオンが供え物によって印を求めたのはなぜですか。

士師6:18、19

ギデオンは、もしこの訪問者が主の御使いであるなら、人間のように食物を食べることはないだろうと考えたのかもしれません。イスラエルの聖所の供え物は主のための「食物」(民数28:2)と呼ばれていますが、主は人間のようにはそれを食べられませんでした。主が人間の食物を全く必要とされないからです(詩50:12、13)。

「主の御使い」は食物を食べることによってではなく、奇跡によってそれを焼き尽くすことによって、ご自分の身分を明らかにされました。その後で、姿を消します(士師6:20、21-13: 15〜20比較)。ギデオンがこのような出来事を予期していたかどうかはわかりませんが、実際にそうなってみると、彼は驚き、恐れました。「顔と顔を合わせて主の御使いを見てしま」ったからです(22節-13:21、22比較)。主によって確証を与えられたギデオンは、主がお現れになったことを記念するためにそこに祭壇を築きました(士師6:23、24-創世28:17、18、22比較)。

不安になったギデオンは後に、主が約束の通りイスラエルを解放されることについての奇跡による確証を求めています(士師6:36、37)。

ギデオンが羊の毛によって二度目の証拠を求めたのはなぜですか。

士師6:38〜40

「ギデオンが求めた最初の印は与えられた。羊の毛は水を吸い、周囲の土は乾いていた。ギデオンは考えた。羊の毛が水を吸うのは自然なことだから、これは当たり前のことではないのか。とすれば、これは全く印にはならない。彼は前のように不安になったかもしれない。……主はギデオンの不十分な信仰を認めて、彼の求める印を与えるためにわざわざ奇跡を行われた」( ISDA聖書注解』第2巻345ページ)。

5.第1のものを第1に(士師6:25~35)

主はギデオンを用いるに先立って、彼に家族の中から偶像礼拝を除去するように要求されました(士師6:25、26)。「ギデオンは、イスラエルの民の敵と戦う前に、偶像礼拝との宣戦を布告しなければならなかった」(『人類のあけぼの」下巻194ページ)。

バアルの祭壇を壊し、木の柱や幹で出来ていたと思われるアシェラ(アシラ)像を倒し、主の祭壇を造り、犠牲をささげるということは大変な仕事でしたが、ギデオンはこれを一晩でやってのけた(士師6:27)。翌朝、偶像を崇拝するイスラエル人たちは、バアルを汚したことでギデオンを殺そうとしますが(28〜30節)、ギデオンの父は、もしバアルが本当に神であるなら、自分自身でギデオンを罰するはずであると言って、ギデオンを弁護しました(31節—列王上18:20〜29比較)。父の説得は成功しました。彼は息子にお現れになったイスラエルの神を信じるようになっていたと思われます。

神による救いに先立って改革がなされた例をほかにあげてください。

創世35:1〜5
出エ4:21〜26
士師10:16
列王下18:1〜7
歴代下17:3〜6

神は心に悪を抱いている人々の祈りをお受け入れになりません(詩66:18)。心に罪を隠している人には真の確信がなく、あるのは敗北だけです(ヨシ7:1)。神の民を滅ぼす最も手っ取り早い方法は、彼らを誘惑して不従順に陥らせ、それによって彼らと神との仲を引き裂くことです(民数25:1〜3)。罪が人を神から引き離す最大の証拠はキリストの死です。キリストが父なる神から引き離された(マタ27:46)のは、私たちの罪をその身に負われたためでした(Ⅱコリ5:21)。

一方、主は「悔い改めさせ」ることにも熱心です(使徒5:31)。神の民が自分と神との仲を引き裂くことをやめるならすく’に、神は彼らを助けてくださいます(士師10 : 16)。ギデオンの改革後、ミディアン人とその同盟軍が再びヨルダンを渡って来た時、ギデオンは主の霊に満たされて、イスラエル人を解放戦争に召集しました(士師6:33〜35)。

まとめ

ギデオンは神に対する信頼を深める必要がありました。しかし、神が彼を用いられたのは、彼が自分に信頼していなかったからです。ギデオンは神が共におられるという確証をもっと必要としていましたが、自分の家族を改革することから始めて、神の要求されることを忠実に実行しました。私たちも信仰によって神の約束を受け入れる時、神は私たちに御心を成し遂げる力と知恵を与えてくださいます。

*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書学科、旧約聖書・古代中近東言語学教授のロイ・E・ゲイン(英Roy E. Gane)著、1996年第1期安息日学校教課『堕落と救いー士師記』からの抜粋です。

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