【士師記】忠誠と反逆【8章、9章解説】#7

目次

中心思想

神に対する人々の関係はその人の他人に対する態度のうちに反映されます。従って、主なる神に従うことは親切につながり、主なる神を拒むことは忘恩、利己的高曼、冷酷な無慈悲につながります。

王政の代価

ルシファーがいと高き者になろうと考え(イザ14:14)、人類を欺いて自分の哲学を吹き込んで以来(創世3:5参照、「神のように……なる」)、人間は神になりすまし、他人の上に君臨してきました。太古の昔から、王権は神の権威と同等に見なされてきました。たとえば、エジプトのファラオ、メソポタミアの王たち、ヒッタイトの皇帝たちは、神々として崇められてきました。恐るべき権威を持っていたこれらの王たちは、自らを人民の「保護者」と称し、彼らに保護と平安を約束しました。しかし、そのためには高い代価を払わねばなりませんでした(サム上8:10〜18)。

ギデオンに与えられたイスラエルの王位は、今日の多くの国に見られるような立憲君主国(議会政治を行う君主国)のそれではありませんでした。ギデオンは、この地位が専制的な人間の支配を神の権威に置き換えること、つまり神の役割を演じることであることを知っていました(士師8:23)。しかし、神も人も敬わない彼の息子は、どんな代価を払ってでも王になろうとしました。これは人々に高い代価を要求し、ついには自分自身にも高い代価を要求することになります。

Ⅰ.「主があなたたちを治められる」(士師記8章22節、23節)

ギデオンはイスラエルを王たちに対する勝利に導いたので、自分も王のように見えました(士師8:18)。イスラエル人は感謝のあまり、彼に自分たちの王になってくれるように求めました(22節)。

ギデオンに対するイスラエル人の言葉は神に対する彼らの態度についてどんなことを示していましたか。

士師8:22

神に対するイスラエル人の感謝はどこに行ったのでしょうか。彼らは敵から自分たちを守るために部族を統一し、組織してくれる永続的な指導体制を望みました。周囲の抑圧者たちは王によって統治されていたので、彼らも王を望んだのでした。彼らはいとも簡単に、自分たちを抑圧した王たちが神と人との協力によって打ち破られてきたことを忘れてしまっていました。

王朝によって統治するようにという申し出(「御子息、そのまた御子息が」、士師8:22)は魅力的なものだったに違いありません。エフライムとの危機に際してもそうであったように(士師8:1〜3)、ギデオンはここでも自制と知恵と謙そんを示しています。この申し出を断ることによって、彼は理想的なイスラエルの指導者としての主の王権を高めたのでした(23節)。

イスラエルは後に王を持つことになりますが、ギデオンが王になることにはどんな問題がありましたか。

サム上8:7

イスラエルの部族は、聖所に住み、ヨシュアやギデオンのような指導者を立てられた主によって統一されることになっていました。しかし、この計画には強い信仰が要求されました。イスラエルの民はもっと永続的で、力強い人物、自分たちが税金を払うことのできる人物を求めました。彼らは神の力を誤解していました。彼らは神を救助者と見ないで、神によって立てられた人間を自分たちに自由と独立を与えてくれる者と考えました。神は後に彼らに王をお与えになりますが、それは神に対する彼らの信仰の足りなさゆえの譲歩でした(サム上8章)。サウルによる悲惨な統治の後に、主は「御心かなに適う人」(サム上13:14)であるダビデを選ぶことによって、最も有効に王権を利用し、彼と特別な契約を結ばれました(サム下7 章、詩89編)。しかし、ダビデ以後の王たちはイスラエルの霊的生命を絶滅させます。唯一の望みは主の導きに立ち返ることでした。主は「ダビデのひこばえ」(黙示22:16)であって、神の国はまさに主のものでした(創世49:10)。主の権威はこの世のものではありません(ヨハ18:36)。

Ⅱ.ギデオンの過ち(士師記8章24節〜28節)

王になることを丁重に断った直後(士師8:23)、ギデオンは生涯で最大の過ちを犯します。彼はミデイアン人(24節では、イシュマエル人と呼ばれている-創世37:25、27、28比較)から奪った耳輪を集め、その金で祭司の身につける肩かけ(マント)であるエフオド(エポデ)を作りました(24〜27節)。

ギデオンがそのようにしたのはなぜですか。
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。

1.ギデオンは金を手に入れて、それで自分を豊かにしようとしました。

2.ギデオンは金を手に入れると同時に、主の救いを記念する物を金で作り、それを主にささげようとしました。

3.主の御使いがオフラで自分に現れたことから(士師6:11〜24)、ギデオンはそこに礼拝所を建てるべきだと考えました(8:27)。

4.将来、マナセ族が指導的な政治的役割を果たすことができるように、マナセ族の町に礼拝所を建てようとしました。

5.別の答え

6.上の答えすべて

士師記8 :2 4 〜2 7 に記されたギデオンの行為はどこが間違っていましたか。

イスラエルの大祭司が身につけるようなエフオド(出エ28:6〜14)を、多くの金を用いて作ることによって、ギデオンは主を礼拝しようとしました。しかし、聖所と優位を競い、主が認めておられない祭司による礼拝儀式を確立することは誤りでした。神はギデオンのエフォドと共におられなかったので、エフォドそのものが神を表し、礼拝されるようになりました(士師8:27)。

列王記上12:25〜33には、ヤロブアム(ヤラベアム)がエルサレムの神殿に対抗してベテルとダンに、認められていない金の子牛を造った時のことが記されています。これらの子牛は、イスラエル人をエジプトから導き出された主を表すためのものだったようです(列王上12:28-出エ32:4、5参照)。しかし、これらの物的表現は事実上、偶像でした(出エ20:4〜6、申命4: 15〜18参照)。

Ⅲ.忘恩(士師記8章29節~35節)

金のエフォド(エポデ)を作った時のギデオンの意図は、それほど悪いものではなかったかもしれません。しかし、以前は神の導きに従っていたのに、今回は自分自身の考えにのみ頼っています。その結果は自分の一族にとっても、民族にとっても悲惨なものでした。

ギデオンの死後すぐに、イスラエルの民がバアル礼拝に陥ったのはなぜですか。

士師8:33

ギデオンのエフオドは本来、主を礼拝するために用いられるはずでした。しかし、次第にエフォドそのものが重要視されるようになり、ついには礼拝されるようになります(列王下18:4比較)。主ご自身の代わりに、ひとたびエフォドが礼拝されると、主は忘れられてしまいました。そのようなわけで、イスラエル人はいとも簡単に、ギデオン(エルバアル)が戦ってきたバアルを再び礼拝するようになります(士師8:33〜35-6:25〜32比較)。

イスラエル人がギデオンの死後、主を覚えなかったことと、彼らがギデオンの一族に示した忘恩との間には、何か関係がありますか。

士師8:33〜35


ミデイアン人からの救いは、主がギデオンを通して働かれることによって達成されました。それは協力の賜物でした。イスラエル人は、恩知らずにも「彼らの神、主を心に留めなくな」り(士師8:34)、主が彼らのためになされた救いを忘れると同時に、ギデオンらの救助者たちが自分たちのためにしてくれた貢献を忘れてしまいます。こうして皮肉にも、ギデオンがもたらした背信が、イスラエルの民にギデオンの一族に対する親切心を忘れさせる結果となったのでした。

士師記8:34には、イスラエルの民が「主を心に留めなくなった」とありますが、これは彼らが自分に責任のない健忘症にかかっていたことを意味するのではありません。それどころか、主が彼らのためにしてくださった尊いわざを心に留めなかった、つまり大事にし守らなかったことは、彼らの責任でした。この「心に留め」という言葉は同じ意味で出エジプト記20:8にも出てきます。「安息日を心に留め、これを聖別せよ」。これと同じ戒めが申命記5:12では次のようになっています。「安息日を守ってこれを聖別せよ」。

Ⅳ.王政の試み(士師記9章1節〜22節)

ギデオンは次のように言っていました。「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない」(士師8:23)。しかし、ギデオンが死ぬと、アビメレクはシケムの住民を説得して、自分が王となります。

ギデオンによって与えられたアビメレクという名(士師8:31)は、「わが父は王」という意味です。この名はおそらく、天の父なる神が王であることを意味していました。それは、「主があなたたちを治められる」というギデオンの言葉とも一致します(23節)。しかし、アビメレクは自分の名前が持つ深い意味に注意を払いませんでした。

シケムの住民がアビメレクを支持したのはなぜですか。

士師9:1〜6
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。

1.アビメレクは、70人のギデオンの嫡出の息子たちがシケムの民を支配していると言いました。これはある程度真実でした。アビメレクはこの好ましくない外からの権威を取り除こうとしました(士師9:2)。

2.ギデオンの他の息子たちはオフラに住んでいる妻たちの子でしたが、アビメレクはシケム出身の妾の子でした。そこで、彼は自分がシケムの人間であると主張しました。

3.ギデオンとオフラの住民はマナセ族の出身でしたが、シケムのイスラエル人はエフライム族の出身でした。高慢なエフライム人は先にギデオンの指導の下で不愉快な思いをさせられていました(士師8:1〜3)。彼らは今、自分たちの町の出身者であるギデオンの子を指導者に立てることによって、北部で優勢な部族になる機会を迎えようとしていました。

4.別の答え

5.上の答えすべて

イスラエル人がギデオンの死後、主を覚えなかったことと、彼らがギデオンの一族に示した忘恩との間には、何か関係がありますか。

士師8:33〜35

士師記9:7〜20に記されているヨタムのたとえは何を意味していますか。

ヨタムのたとえはアビメレクとシケムの住民の反逆と裏切り(士師9:1〜6)に対する非難であり、同時に彼らがお互いに滅ぼし合うという預言です(23〜57節参照)。

V.堕落と危機(士師記9章23節~57節)

アビメレクは3年間支配しました(士師9:22)。しかし、主はヨタムの預言した通り(20節)、アビメレクとシケムの住民が互いに殺し合うのをお許しになりました(23〜57節)。この物語は、神の正義が悪事にふさわしい刑罰をもたらすことを立証しています。「悪事身にかえる」です(士師9:57参照一「それぞれ報復を果たされた」)。

この物語には、どんな偶発事件が出てきますか。偶発事件がやみ、神の介入が始まるのはどこからですか。神がこれらの「偶発事件」を支配しておられたことはどこから明らかですか。

士師9:23、24

9:23を7:22と比較

9:26〜29を9:1〜3と比較

9:32、34を9:25と比較

9:34、43を7:16と比較

9:48、49を9:20と比較

9:53を9:57と比較

アビメレクは父と同じく勇敢で、有能な軍事指導者でした(士師9:34〜49)。しかし、彼の生涯は次のような時に悲劇が起こることを示しています。(1)人々が神と人に背き、感謝しない時、(2)行為が神と神の原則によらずに、無情な人間の野望によって支配される時、(3)人々が誤った理由から指導者を選ぶ時。

アビメレクはヨタムの言うように「茨」でした(士師9:14、 15)。非嫡出子である彼は神から見れば非正統的な王でした。イスラエルの最初の正統的な王はサウルでしたが、神は彼を不従順のゆえに拒まれました。サウルと同じく、アビメレクは神からの「険悪な空気」(士師9:23、口語訳では「悪霊」-サム上16:14比較)によって悩まされます。またサウルと同じく、アビメレクは致命傷を負った時、武器を持つ従者に自分を殺すように命じています。サウルの従者は命令を拒否しますが、アビメレクの従者は命令に従いました(士師9:54-サム上31:4比較)。

まとめ

ギデオンは王になる名誉を拒んだ時、神に忠実でしたが、認められない礼拝を始めることによって神に背きました。この反逆は多くのイスラエル人を迷わせ、偶像礼拝と一族への反逆の道を備えました。ギデオンの息子、アビメレクの物語は、神と人とに対する正しい関係を無視することが自己破滅につながることを例示しています。

*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書学科、旧約聖書・古代中近東言語学教授のロイ・E・ゲイン(英Roy E. Gane)著、1996年第1期安息日学校教課『堕落と救いー士師記』からの抜粋です。

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