【士師記解説】誤った献身【17章、18章】#12

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中心思想

神がお受け入れになる礼拝は、神の規定に従ってささげられた礼拝で、それは神を正しく理解させてくれます。真理と偽りの入り混じった礼拝は、人間にとっては魅力的であるかもしれませんが、神には受け入れられません。

王の規則

イギリスの女王に会うためには、ただバッキンガム宮殿の扉をたたくだけではだめです。女王は戸口には出てきてくれません。彼女は女王であって、あなたはただの他人だからです。たとえ女王に会うことを許されたとしても、女王とその側近によって定められた外交儀礼に従う必要があります。女王は規則を作り、あなたはそれに従います。女王の規則以外の規則では役に立ちません。

イギリスの女王と同じく、主は国王です。それどころか、主は地上のどんな国王よりも偉大な神です。主は王の王であって、「人間の王国を支配し、その御旨のままにそれをだれにでも与えられ」ます(ダニ4:22、口語訳4:25)。したがって、人間は主の規則に従って主に近づかなければなりません。主は規則を作られます。主の規則によってではなく、自分の規則によって主を礼拝する者は、主をあがめるのではなく、主を侮辱するのです。昔のイスラエル人は偶像を用いて主を礼拝しましたが、それは主を侮辱する行為でした。

偶像礼拝(士師記17章1節〜4節)

サムソンは士師記の中心部分(士師3:7〜16:31)に描かれている一連の「士師」・救助者の最後の人物です。士師記のこの部分を見ると、この時代のイスラエル人の歴史が、背信と抑圧と解放によって特色づけられていることがわかります。

士師記の最後の部分に描かれている二つの出来事は、「士師」期のイスラエル人がいかに無法であったかを示しています。無法がこの部分の主題であることは、その初めと終わりの部分にある次の言葉を見れば明らかです。「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」(士師17:6、21:25 ——18:1、19:1比較)。

この二つの出来事とは、(1)ミカが偶像礼拝を始め、それをダンの町に持ち込んだこと(士師17、18章)、また(2)ベニヤミン族が罪を犯し、その結果、内戦が起こったことです(士師19、21章)。士師記18:30、20:28には、これらの出来事が起こったのが、先に記されている出来事以前の、モーセとアロンの孫の時代であったことが示されています。

士師記17:1〜5に記されているミカと、その母親についての物語はどんな意味を持っていますか。

この物語はミカの偶像礼拝の背景、つまり彼がどのようなわけで偶像を所有するようになったかを説明しています。彼は母親の銀を盗んでいました。自分の銀がなくなったことを知った母親は、盗んだ者にのろいを宣言します。そののろいを聞いたミカは恐ろしくなり、母親に告白します。母親はすぐ、に彼をゆるします。

しかし、問題が残りました。のろいは取り消すことができませんでした。ミカの母親は不注意から自分の息子をのろってしまったようです。エフタが、不注意から自分の娘を犠牲としてささげると誓ってしまったのと同じです(士師11:30、34、35)。その後の母親の言葉と行為は、彼女が息子を祝福することによって、のろいを帳消しにしようとしたことを示しているようです。彼女は主の命令に背いて(出エ20:4)、主に銀をささげ、主を礼拝するための偶像を造り、それを息子に与えます。

サムソンの母親と異なり、ミカの母親は神の命令に従いませんでした。彼女は1100枚の銀を持っていました。これは、ペリシテ人の領主たちがサムソンを倒すのを助けたデリラに約束した金額と同じ額です(士師16:5)。ミカの母親は、その銀によって自分の息子を霊的に堕落させることになりました。

雇われた祭司(士師記17章5節〜13節)

ミカは母の計画によって神殿を造り、そこにエフオド(エポデ、祭司の外套、出エ28:6〜8)とテラフイム(テラピム、家庭の偶像、創世31:19、34)を納めていました。そして、自分の息子の一人を立てて(字義的には「手を満たして」)、自分の祭司としていました。これは明らかな偶像礼拝でした。ギデオンは、主を礼拝するために認められていないエフオドを作り、やがてそれを礼拝するようになりましたが(士師8:27)、ミカとその母親は、明らかに初めから偶像を作りました。士師記はミカの礼拝が神の前に不法なものであることを認めて、この時点で「それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」と述べています(士師17:6)。

ミカがレビ人を自分の祭司にしようとしたのはなぜですか。

士師17:13

神はレビ族を選んで、特別な方法で、聖所でご自分に仕えさせられました(出エ32:26〜29)。アロンとその子孫は、この部族から祭司として奉仕するために聖別され(出エ28:1、民数3:2、3)、聖所で儀式を執り行う権限を与えられていました。レビ族の他の者たちは聖所に関連した雑務に従事しました(民数3:5〜39、4:1 〜33)。

ミカのレビ人となったヨナタンは、アロンではなくモーセとその子ゲルショムによるレビの子孫でした(士師18:30-出エ2:21、22比較)。ヨナタンには正式の祭司として仕える資格がありませんでした。しかし、ミカは正当でない自分の神殿を、レビ人を用いて正当なものに思わせようとしたのでした。

ミカの動機は、レビ人を任命した後の次の言葉によく表されています。「今や主がわたしを繁栄させてくださることがわかった」(士師17:13、英語新改訂標準訳)。ミカの本当の目的は、愛の関係によって主をあがめることではなく、物質的繁栄にあずかることでした。彼は祭儀用の器物が、神による祝福と自分の幸福を保証してくれると考えました(サム上4:3〜11参照)。

偵察隊(士師記18章1節〜10節)

士師記17章の、ミカとその偶像礼拝についての物語の後に、18章では、ダン族のイスラエル人についての新しい物語が始まるように見えます。しかし、読者はすぐにダン族とミカとが出会うことに気づきます。実は、二つの物語は互いに関連しているのです。

ダン族が居住地を捜していたのはなぜですか。彼らはヨシュアの時代に、他の部族と共に領地を割り当てられていたのではなかったでしょうか。

ヨシ19:40〜48

ダン族の元の相続地はユダのすぐ北の、パレスチナの南西部にありました。この地域にはサムソンの住んでいたツォルア(ゾラ)とエシュタオル(エシタオル)が含まれていました(ヨシ19:41- 士師13:2、25比較)。しかし、この地域はペリシテ人の土地に隣接していて、絶えずペリシテ人の侵略を受けていました。ヨシュア記19:47には、だれがダン族の領地を奪ったか明示されていませんが、おそらくペリシテ人だろうと思われます。

士師記18:30には、士師記18章の出来事が「士師」時代の初めに起こったと暗示されていますが、ダン族の一部は、サムソンの時代まで元の領地の一部に住んでいました(士師13:2、25)。

居住地を征服するに先立って、ダンの人々は偵察隊を送って適当な地を捜していました(民数13章、ヨシ2章比較)。偵察隊はエフライムの領地を通過するに際して、ミカの家に泊まります。このことがその後、重要な意味を持ってきます。

ダン族の成功に関する若いレビ人の予言は、どれほど真実でしたか。

士師18:6

ダン族の斥候たちは、自分たちの企てが成功するという保証を求めました。そこで、若いレビ人が祭儀用の器物を持っていたので、それを用いて主に伺いを立ててもらおうと考えました。レビ人は回答を与えましたが、その礼拝形式が神に受け入れられないものであったので(出エ20:4、5)、神は彼を通してお語りにはならなかったはずです(サム上28:6、詩66: 18比較)。偽りの保証を与えられた斥候たちは、神が共におられると信じて進んで行きました。彼らに征服できるのは、自分たちと同じく偽りの保証を与えられた、弱く、人を疑わない民だけでした(士師18:7)。

盗まれた神々(士師記18章 11節~26節)

ダンの人々はツオルアとエシュタオルから兵を送り、偵察隊が見つけていた土地を占領します。彼らが最初に陣をしいた場所の一つは「マハネ・ダン」(「ダンの陣営」の意)と呼ばれました。士師記13:25には、サムソンが「ツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンにいた」と書かれていますが、もしこれが同じマハネ・ダンであって、その名がサムソンの時代にすでにあったとするなら、ミカとダン族の物語は、サムソンの物語よりも前に起こったことになります(士師18:30比較)。サムソンの物語とミカ・ダン族の物語との間には、いくつかの共通点があります。(1)母親が重要な役割を果たしています。(2)1100 枚の銀が出てきます(士師16:5、17:2)。(3)サムソンはダン族の出身した(士師13:2)。(4)士師記18章のダン族はサムソンと同じ場所から出ています。

ダンの人々がミカの祭儀用の器具を奪ったのはなぜですか。

士師記18:14〜20

斥候たちは兵の先導をして、以前のようにミカの家にやってきます。しかし、今回は大事な祭儀用の器具を盗んでいます。それによって主に近づくことができると考えたからです。彼らは主にお伺いを立てることだけでなく、自分たちの礼拝所を設けることを望みました(士師18:19、30、31)。彼らもミカと同じこと、つまり神殿を持つことは繁栄をもたらすと考えたのでしょう(士師17:13)。何という偽善でしょう。彼らは盗んだ偶像によって主を礼拝しようとしたのです。

斥候たちは何と言って若いレビ人を説得し、自分たちに協力させましたか。

士師18:18〜20

斥候たちは、レビ人に昇進を約束しました。彼がダン族の祭司になることができるというのです。ラバンがラケルに奪われた家の守り神を取り返そうとした時のように(創世31:19、22〜25、30〜35)、ミカはダンの人々を追跡しますが、ダンの人々の脅迫と力に屈して引き下がります(士師18:22〜26)。

ダンの町と偶像礼拝(士師記18章27節~31節)

ダンの人々は北方の町、ライシュ(ライシ)を征服し、これを再建し、「ダン」と名づけました。ダンの人々の成功を見ると、彼らが土地を征服し続けたと書かれているイスラエル人のように(士師1 章)信仰深い人たちであったように思われるかもしれません。しかし、彼らが成功したのは、「静かで穏やかな民」(士師18:27)、偽りの神を信じる民(30、31節)に対してだけでした。

ダンの人々が「士師」時代の初めにイスラエル人が持っていた信仰を失っていたことは、どんな点から明らかですか。

士師1:1を18:5と比較
士師1:4〜7、20を18:7、10、27、28と比較

士師記の初めの部分においては、イスラエル人はカナン人と戦うべきか否か、あるいは自分たちが成功するか否かを問題にしていません。神はすでにそれらについて告げておられました(士師1:1 〜9)。彼らが問題にしていたのは、主がどのようにして残りの土地を征服させようとしておられるかということだけでした(士師1:1)。しかし、ダンの人々は自分たちが成功するか否かを、自分たちが主と考える者に問うています。主が自分たちと共におられることに確信が持てなかったからです(士師18:5、6)。彼らに与えられた保証(6節——10節比較)は偽りの保証であって、主は彼らと共におられませんでした。

士師記の初めの部分においては、イスラエル人は強大な軍隊を持つ恐るべき敵、たとえば、自らも征服者であったアドニ・ベゼク(士師1:5〜7)や巨人たち(20節)と戦っています。彼らが成功をおさめたのは、神が共におられたからです。しかし、ダンの人々が成功したのは敵が弱かったからです。彼らはただ、自分自身の力で敵を負かしただけです。

ミカの偶像礼拝は、イスラエル人にどんな影響を与えましたか。

士師18:30、31

一個人による偽りの礼拝が、全部族・宗教によって受け入れられるようになります。この偶像礼拝は誤りであっただけではありません。それは、イスラエル人がシロにある主の聖所で、心からの礼拝をささげる妨げとなりました。ちょうど、ベテルとダンにあったヤロブアム(ヤラベアム)の子牛の偶像が、後にイスラエル人がエルサレムの神殿に行く妨げとなったのと同じです(列王上12:26〜33)。

まとめ

ミカの母親は神の律法を無視して偶像を作り、ミカはそれを主の礼拝に用いました。ミカは自分の家族を、次に若いレビ人を、この偶像礼拝に巻き込みました。負欲なダンの人々がこの偶像を盗み、新たに征服した北方の町のダンにある神殿でそれを用いた時、多くのイスラエル人がこの悪影響に染まりました。一個人による神への背反は、よく状況の連鎖反応を引き起こし、多くの人々を霊的敗北に導きます。

*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書学科、旧約聖書・古代中近東言語学教授のロイ・E・ゲイン(英Roy E. Gane)著、1996年第1期安息日学校教課『堕落と救いー士師記』からの抜粋です。

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