ソロモンに与えられた神の霊感
ソロモンの自伝を何げなく読むと,彼がはたして「聖霊に感じ,神によって語った」人のひとりであるのか疑問に思われてくるかもしれません(Ⅱペテ1 : 21)。ソロモンは壮麗な神殿を建てた人,それに伝道の書,蔵言,雅歌(頌詠,ソロモンの歌とも言われる)の著者として知られています。しかしその一夫多妻の, 放縦な生き方, きらびやかな宮殿, 国民に対す強制課税,偶像崇拝, 神との契約の不履行もまたよく知られているところです。このような人物によって書かれた記録は信頼に値するのでしょうか。そのような書物はほんとうに神の霊感を受けていると言えるのでしょうか。
ソロモンにも一時期,心から神に従っていたときがありました。聖書によれば,神はそのとき彼に特別な知恵と人の心を見抜く力とを与えられました。彼はたしかに多くの妻をめとり,偶像崇拝におちいりましたが,その生涯をふりかえると,主がご自分の光と真理を私たちに伝えるために彼を用いられたことがわかります。
Ⅰ. ソロモンの家族関係
ソロモンの家族関係に注目してください。
・サム下11:26,27 両親の結婚
・サム下12:1〜14,詩51 父の罪に対する神のさばきとゆるし
・サム下12:15〜23 兄の死
・サム下12:24,25
悲劇と勝利 ソロモンは罪の悲劇と神の恵みによる勝利を知る家庭で育ちました。バテシバとの姦淫、その夫、ヘテ人うりやの殺害というダビデ王の二重の罪は、王の家族に一連の危険をもたらします。しかし,神はダビデの第二子であるソロモン(平和の人)を愛されました。彼の別名である「エデデア」は「主に愛される者」という意味です。
しかしながら,ダビデの罪に対する神のゆるしも彼の不道徳の結果である数々の災難を防ぐことはありませんでした。聖書は驚くべき率直さをもって,ソロモンの家庭に起きた戦い,兄弟間の抗争,さらには犯罪を詳しく記録しています。
青年時代のソロモンはまた,神に対する父の深い愛を目撃しました。父のダビデはエルサレムに,永遠にわたって礼拝の中心となる神殿を建造しようとしていました。「ダビデは,非常に堕落はしたが,深刻に悔い改めて,心をこめて愛し,信仰を堅く保った。彼は多くの罪をゆるされたので,多く愛した」(『人類のあけぼの』下巻468ページ)。
質問1ダビデは臨終において息子のソロモンにどんな信念を伝えましたか。ソロモンへの個人的な言葉(列王上2:1〜9)をその公の命令(歴代上28: 9, 10, 20, 21, 29: 1〜5)と比較してください。-
父の願望 ソロモンは神から神殿を建てるように命令されました。息子ソロモンに対するダビデの最後の言葉は,神に対する彼の信仰と献身をよく反映しています(列王上2:3参照)。
多くの親がそうであるように,ダピデも自分の果たしえなかった務めをその子に託しています。不幸にも,その中には自分を傷つけた者たちに対する報復行為が含まれていました。
Ⅱ. 新しい王への特別な賜物
新しい王の関心は,著作、文学、自然科学、行動科学にまで及びました。彼はまた,人間の感情や思いを理解する能力にも恵まれていました。こうした能力は彼の評判を広めるうえで,またその著作の質を高めるうえで大いに役に立ちました。
ソロモンは神の助けの必要を認め、悟りと知恵の真のみなもとである神に信頼しました。
「ソロモンは,『わたしは小さい子供であって,出入りすることを知りません』と告白したときほどに富み豊かで,賢明で,真に偉大だったことはなかったのである」(『国と指導者」上巻6ページ)。ソロモンの祈りは「主のみこころにかなった」のです(列王上3 : 1 0 ) 。神はこのような信頼,自発的な学び,へりくだった態度を祝福されます(ヤコ1:5参照)。
広い心 神はソロモンに「広い心」をお与えになりました(列王上4:29)。「心」と訳されているヘブル語は理性や感情を表すこともあります。「広い心」とは,いわば感性の大きさを示しています。ソロモンは自分自身の深い感情を理解し,また他人の思いを理解す
ることができました。
ソロモンの深い知性と広い心は,自分の民と周辺の諸国民が神の道,人類に対する神の公平と正義,調和のとれた人間関係の重要性を理解するうえで大いに役に立ちました。
ソロモンに与えられた神の霊的な賜物を,今日の神の教会に約束された神の賜物と比較してください(列王上4:34,ロマ12:3〜8-1コリ12:4〜12,エペ4:7〜16比較)。これらの賜物は人々の心をキリスト教に引きつけるうえでどんな役に立ちますか。
あなたは自分の子供や部下などから「広い心」の持ち主と思われていますか。
Ⅲ. 繁栄の時代
「ソロモンの治世の初期に,主のみ名は大いにたたえられた。王が示した知恵と義は,彼が仕える神の優れた特性をすべての国々にあかししたのである。しばらくの間,イスラエルは世の光となり,主の偉大さを示したのである」(『国と指導者』上巻9ページ)。
ソロモンの王国は,北はユフラテ川まで,南はガザまで広がっていました(列王上4 : 24)。そして,その王国中に国際的な交易路があちこちにのびていました。こうしたイスラエルの地理的条件は,ソロモン王の知恵と彼の仕えていた神についての知識とを全世界に伝える機会を提供しました。
ソロモンの真の愛 ソロモンの伝記作者は,彼が外国の政府と同盟を結び、その女たちをめとったと記しています(列王上3:1,11:1)。しかし, ソロモンがその生涯においていちばん愛したのは、おそらく北部イスラエルの田舎地方、あるいは南レバノンから来た自国の愛らしい女性であったと思われます。その求愛と結婚における愛の物語が彼の最も有名な詩歌である雅歌のテーマとなっています。
ソロモンの60人の王妃と80人のそばめ(雅6: 8)は,のちには700人の妻と300人のそばめにふくれ上がります(列王上11: 3)。当時のそばめは,いわゆるめかけではなく,正妻よりも一段下の位にある,結婚によって合法的に結ばれた女性でした。
「ソロモンはその生涯において最も愛した女性に惜しみない賞賛を贈っている。雅歌は,彼女に対するソロモンの愛についての劇的な記録である。その愛の描写はこれまでに書かれたものとは全なっている」(ジョージ.T・ディキンソン『雅歌の美しさ」13 ページ)。
◆ 自分の夫,妻,親,子供,友人を正直にほめ,愛することはどんな良い結果をもたらしますか。
Ⅳ. ソロモンの罪と悔い改め
「自分自身を最も強いと考えるときこそ、自分の品性が最も弱いときであることがよくある。人格の基本であるすぐれた品性の特徴は,ある意味で木の木目に似ている。木の美しさはその木目にあるが,その木を割るためには木目にそってたたくだけでよい。同じように,人間の品性がたやすく割れるのもそのすぐれた特徴の木目にそってである。自分の長所を誇りにする者はそれを無防備なままにしがちである。また,自分の長所を誇るときに,その高慢さが長所をだめにしてしまうのである」(ジョージ.A・バトリック編『インターフ°リターズ・バイブル』第3巻102ページ)。
神はソロモンを見捨てられなかった 「主は謂責の言葉と厳しい刑罰によって,王の行為の罪深さを彼に自覚させようとなさった。
ソロモンは……夢からさめたかのように,本心に立ち返り,彼の愚行の真相を見始めた。彼は神の懲らしめを受け,精神も体も衰弱して疲れ果て,かわき切って,世の水がめから離れて,もう一度生命の源の水を飲むために帰ってきた。……ソロモン王は霊感を受けて,後世の人々のために,彼の浪費した年月の記録を残し,警告の教訓を与えているのである」(『国と指導者」上巻51〜53ページ)。〔『教育』172,173ページ参照〕
これらの聖句に示された言葉は,「機会と適当な時期がくるまで, 愛の交換行為を始めてはならない」という意味です。(G・ロイド・カー『雅歌』95ページ)。ソロモンは青年たちに対して結婚まで守るべき愛があることを,また細心の注意をもって純潔を守るように厳粛に警告しているのです。「愛がそれを望むまでは,愛をかき立てたり目ざめさせたりしてはなりません」(新国際訳)。
◆ どうしたらソロモンのような道徳的堕落から魂を守ることができますか。イエスに対する信仰を守るためにはどうしたらよいですか。
V. 完全な真理, 不完全な人間
聖書は不完全な人間を通して完全な真理を教えています。批判的な目で見る人たちにとって,聖書の偉人たちの堕落した生活は神と神を信じる者たちを批判する格好の材料となります。しかし,そのような人たちは聖書と神の力を正しく理解していません。「真実が曲げられず,登場人物の罪が隠されていないということは,聖書が信じるに足る書物であることの最高の証拠の一つである」(「教会へのあかし』第4巻9ページ)。
罪は弁解でなく征服すべきもの 「霊感の筆は,ノア,ロト,モーセ,アブラハム,ダビデ,ソロモンのおちいった罪について,またエリヤの強い精神でさえ恐るべき試練のときに誘惑に屈したことを忠実に記している。ヨナの不従順とイスラエルの偶像崇拝が忠実に記録されている。ペテロがキリストを拒んだこと,パウロとバルナバの激しい対立,預言者や使徒たちの欠点と弱点がすべて,人間の心を読まれる聖霊によって明らかにされている。彼らの失敗と愚行がすべて私たちの前に示されているのは,彼らに続くすべての世代に教訓を与えるためである。もし彼らに欠点がなかったならば,彼らは人間以上の存在であり,私たちの罪深い性質は高い境地に到達するのをあきらめてしまうだろう。しかし,彼らがどこで戦い,倒れ,どのようにして立ち上がり,神の恵みによって勝利したかを見るとき,私たちは勇気を与えられ,堕落した性質から生じる障害を乗り越える力を与えられるのである」(『教会へのあかし』第4巻12ページ)。
神はきよめられた人間を通して語られた イスラエルの賢明で富んだ,しかし不完全な王,ソロモンは私たちを救う力をもった神によって救われました。私たちは今期、雅歌を学ぶにあたって、著書ソロモンも私たちと同じ欲望をもった人間, 恵みによって救われた罪人であったことを覚える必要があります。雅歌の中の彼の言葉は堕落した人間を通して語られる神の声です。そのメッセージは著者の罪のゆえに信用を落とすものではありません。神の霊感を受けた深く,かつ実際的なその洞察は,善と悪の両方を知る人間によって書かれたものです。ソロモンに知恵を与えられた神は,そのみことばを通して私たちにも知恵を分け与えてくださるのです。
◆ 主は罪の中にある人を用いられますか。それとも神の力によって罪が取り除かれたあとで用いられますか。
まとめ
ソロモンは多くの争いと堕落に満ちた家庭で育ちましたが,全面的に神の知恵に導かれることによって国を治めようとしました。その彼が恵みからそれてしまったのは,高慢,肉欲,偶像崇拝,富と権力への欲求のためでした。しかし,彼にはほかのだれよりも愛した真の妻がいました。雅歌は彼女との関係を記念するものです。
*本記事は、1992年第4期安息日学校教課『雅歌 愛の歌』からの抜粋です。