【エズラ記とネヘミヤ記】神と契約【解説】#8

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聖書が「契約」について語るとき、それは何を意味するのでしょうか。聖書のこの種の契約を最も簡単に説明するなら、それは神と神の民の関係を法的に規定するものです。「あなたは私の民、そして私はあなたの神」と、神が言っておられます。これ以外にも、古代世界のほかの民の間で、(しばしば支配者と彼らの臣下との間で、)書かれた契約が使われていたことを、私たちは知ることができます。

このような契約が結ばれたのは、契約が両者にとって有益だったからです。支配者は民の面倒を見、民は貢ぎ物(税)を納めました。しかし、神との契約は異なります。神は契約によって何も手に入りませんが、それにもかかわらず、人々が忠実でないときでさえ、御自分は契約に忠実であり続けると約束されたのです。確かに、その契約には祝福と呪いが伴っていたので、イスラエルの人々は、悪いことが起こり始めたとき、彼らが契約を破っていると気づくことができました。

私たちは今回、ネヘミヤ10章においてイスラエルの人々が神と更新した契約に目を向けるとともに、聖書の中で結ばれた契約の歴史と重要性に関する一般的な情報について考察します。

契約に対する考え

問1

ネヘミヤ10:1~30(口語訳9:38~10:29)を読んでください(また、ネヘミヤ9:36、37を読んで記憶を呼び起こしてください)。この契約(誓約)を結んでいるのはだれですか。なぜ彼らはこの契約を結んだのですか。

指導者たちだけが契約書に捺印していますが、聖書は、「その他の民(も)……おきてと、定めとを守り行うために、のろいと誓いとに加わった」(ネヘ10:28、29、口語訳〔新共同訳10:29、30〕)と明白に記しています。この契約に関して、全員が神と契約を結びたいと願ったことは、なぜ重要なのでしょうか。この質問に答えるためには、最初へ戻って、契約というものに対する聖書の考えを理解しなければなりません。

契約が重要だったのは、それが、罪深い人類への対処における神の物語の一部であったからであり、またそれが、人間との関係を神が切望しておられたことを具体的に示していたからです。契約はまた、神に献身したいという人々の願いを行動で示すことができるようにもしました。

創世記1章、2章における天地創造の物語は、最初の人間の創造を明らかにしているだけでなく、人間と神の関係や、人間同士の関係をも明らかにしています。しかし、やがて罪が侵入し、それらの関係をすべて壊しました。罪は創造とは正反対であり、代わりに破壊(死)をもたらしました。

やがてアダムの系図は、カインが悪を選び(創4:8~19)、セトが神を受け入れ(同5:3~24)、二つに分かれます。カインの系図は、アダムから七代目のレメクで頂点に達しました(同4:17~19)。レメクは一夫多妻制を取り入れたのです。カインの側の暴力と復讐が、セトの忠実な一族と対照的に並べられています。セトの系図も列挙されていますが、その家系の七代目はエノクで、彼は「神と共に歩み」(同5:24)、天に取られました。

残念なことに、この世は神を受け入れるよりも悪を多く受け入れ、忠実な者たちの一族が非常に少なくなってしまいました。そしてまもなく、人間を救うために約束された子孫を送ることで神が約束を果たすことのおできになる家族がいなくなったのかもしれません。その時点で、神は洪水によって介入されました。しかし、洪水はさらなる破壊、命の逆転、命を死滅させることでした。が、神は、人間がすでに損なってしまったものだけを滅ぼされたのです(創6:11~13)。

歴史上の契約

洪水ののち、神はノアとそのあとに続く人たちとで一からやり直されました。神は彼らとも関係を持ちたいと望まれましたが、その関係の中心となるものが契約という考えでした。聖書は、神が人々と結ばれた七つの大きな契約を明らかにしています。

第一の契約:アダム(創1~3章)

第二の契約:ノア(創6~9章)

第三の契約:アブラハム(創12:1~3)

第四の契約:モーセとイスラエルの民(シナイの契約、またはモーセの

契約として知られるもの、出19~24章)

第五の契約:ピネハス(民25:10~13)

第六の契約:ダビデ(サム下7:5~16)

第七の契約:新しい契約(エレ31:31~34)

問2

次の聖句を読んでください(創9:16、17:7、イザ55:3、ヘブ:13:20)。「永遠の契約」とは何を意味していますか。

英訳聖書には“everlastingcovenant(永遠の契約)”という言葉が16回出てきます。そのうちの13回は、アブラハムとの契約、シナイでのイスラエルとの契約、ダビデとの契約に具体的に当てはまります。上記の契約はそれぞれ、独自であるものの、「永遠の契約」の痕跡をとどめていました。永遠の福音は、創世記3:15で初めて告げられ、やがて聖書全体を通じて漸進的に明らかにされましたが、同じことが永遠の契約にも当てはまります。それぞれの連続的な契約が、救済計画の中に最も完全にあらわされている永遠の愛の契約に対する私たちの理解を広げ、深めるのに貢献しています。新しい契約と古い契約はしばしば区別されますが、同じ要素を含んでいるのです。

①聖化―「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」(エレ31:33、さらにヘブ8:10と比較)。

②和解―「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレ31:33、ヘブ8:10)。

③宣教―「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである」(エレ31:34、ヘブ8:11)。

④義認―「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(エレ31:34、ヘブ8:12)。

契約の構造

聖書学者たちは、聖書の契約に典型的な構造があることを認めています。それは、古代ヒッタイト人が結んだ契約の中にも見られるものです。言い換えれば、神は、人々が彼らの文化の中でとりわけ理解できるような方法で話しかけてくださるということです。

古代イスラエルの時代に一般的であった契約には、次のような部分が含まれていました―前文(神がどのようなお方であるかということ)、歴史的導入部(過去の関係の明示)、規定または立法、祝福と呪い、証人(証拠)、特別規定または契約のしるし。それゆえ、神が当時の御自分の民に話しかける際に同様のものを用いられたことは、驚くに当たりません。神は、彼らになじみ深いものを使われたのです。

例えば、申命記は書巻全体が契約の形式で書かれています。なぜなら、モーセが、神との新しい契約関係を結ぶようにと神の民を招いているからです。申命記は契約を次のような方法で表現しています―①前文(申1:1~5)、②歴史的導入部(同1:6~4:43)、③規定または律法(同4:44~26:19)、④祝福と呪い(同27章~30章)、⑤証人(証拠)(同30:19)、そして最後に、⑥特別規定(同31:9~13)。

問3

ヨシュア記24章を読んでください。この章の中にも、上記の契約様式がいかにあらわれていますか。

ヨシュアによってなされた再契約にも、同じことが当てはまります。

まず前文が述べられ、そこでは神が「イスラエルの神、主」(ヨシュ24:2)であるとされています。次に長い歴史的導入部が続き、そこではヨシュアが人々に、神がかつて彼らのために成し遂げてくださったことを思い出させています(同24:2~13)。この歴史のあと、規定または律法が列挙され(同24:14、15、23)、祝福と呪いが言及され(同24:19、20)、証人(証拠)が特定され(同24:22、27)、特別規定が述べられています(同24:25、26)。ここにおいても、契約の基本的な形が用いられていました。イスラエルに理解してもらい、彼らに、神が過去において彼らを導いてくださったことを示すだけでなく、契約の目的を支持するために彼らに要求されることを示すためです。

誓い

問4

ネヘミヤ10:31~40〔口語訳30~39〕を読んでください。更新された契約の一部として、イスラエルの人々が行うと誓った四つのことは何ですか。

人々は次のことを誓いました。

①異民族間の雑婚をしないこと(偶像礼拝に誘い込む可能性のある人と結婚しない)。

②安息日を正しく順守すること(商取引によって気を散らさない)。

③貧しい人たちを守り、彼らに自由を与えるために負債を免除し、安息年を順守すること。

④初物や初子、十分の一を携えて行き、神殿、神殿の務め、神殿の働き人を経済的に支え、真の礼拝が継続できるようにすること。

最初の三つの誓いは、ほかの人との関係(結婚と負債免除)や神との関係(安息日)に関連していますが、最後の誓い(ネヘ10:32~39)は神殿の規則を扱っています。

共同体の目標は、彼らが契約を真剣に守ろうとしていることを実証することであり、それゆえ、神と他者との関係を築く具体的な方法を実行するのです。たとえいつも完全に契約を守っていなくても、彼らは、正しい習慣が未来に影響することを理解していました。もしイスラエルの民が正しい道を進もうとしているのであれば、彼らは、自分たちの目標を実現するのに役立つ習慣を身につけなければなりませんでした。もし彼らが神と親しく歩みたいと望むのであれば、安息日を大切にし、神殿の世話をすることは、そうした方向への重要な歩みでした。

残念なことに、彼らは誓いをしっかりとは守りませんでした。それはネヘミヤ記のこれまでの章で明らかなとおりです。しかし、たとえすべての人が契約を守ったのではないとしても、幾人かの人、あるいは多くの人は守りました。神の助けと、私たちの目を神に向け続けることで、私たちは正しい習慣を身につけ、正しい道を歩み続けることができます。

神殿

問5

ネヘミヤ10:33~40〔口語訳10:32~39〕を読み直してください。「わたしたちは決してわたしたちの神殿をおろそかにしません」(ネヘ10:40〔口語訳10:39〕)という言葉に示されているように、神殿の日々の働きは、なぜイスラエルの人々にとって不可欠だったのですか。信仰全般にとって、なぜ神殿は重要だったのですか(ヘブ8:1~7も参照)。

イスラエルの人々は、神殿の世話をすることを誓いました。彼らは王たちによって経済的に虐げられている小さな集団でしたが、神殿が単に生き残るのではなく、繁栄するためには、自分たちのわずかな持ち物からささげる必要があると考えたのです。それゆえ彼らは、律法が命じていたように人口調査が行われるときだけでなく、毎年、神殿の務めのために三分の一シェケルをささげることにしました。民は、要求されたものを超える必要を感じたのです。加えて彼らは、祭壇の薪を納める責任を特定の家族に割り当てました。組織なしには、神殿の日々の働きがすたれてしまうと気づいたからです。

初物、初子、十分の一と献げ物は神殿の務めの側面であり、祭司やレビ人の奉仕に対して、それらから必要なものが支給されました。すべての物の十分の一は、レビ人に与えられなければなりませんでした。また、初子はお金で贖われ、レビ人が受け取った金額に加えられました。しかし、レビ人の十分の一の十分の一は、祭司に与えられました。

神殿は、イスラエルの民の心臓部としての役割を果たしました。神殿が彼らの信仰の中心であったので、ネブカドネツァル王が神殿を打ち壊し、聖なる器などを運び去ったとき、最大の悲劇が起こったのです。

神殿が適切に運営されていたころ、民は活気あふれる霊的生活を送っていました。なぜなら、神殿が人々に、小羊の死による罪の問題の解決策を指し示していたからです。それが提供されたのは、イエスが十字架で亡くなられたときでした(ロマ5:5~10)。さらに、年1回の贖罪日の儀式を通して、人々は、最終的に神が悪と罪を永遠に取り除く計画を持っていることを学びました。言い換えれば、神殿は救済計画全体を人々に明らかにする舞台装置としての役割を果たしました。神殿の務めを学ぶことによって私たちが手に入れられる教訓は、神の御品性を大局的に捉え、救済計画を明らかにするうえで多々あり、かつ必要なものです。

さらなる研究

参考資料として、『キリストへの道』の「献身」の章を読んでください。

「地上の聖所の務めは、2つの部分から成っていた。すなわち、祭司たちは毎日聖所で務めを行っていたが、大祭司は1年に1度、聖所を清めるために、至聖所において贖いの特別な働きを行った。毎日、悔い改めた罪人が幕屋の入り口に供え物を持って来て、手を犠牲の頭において自分の罪を告白し、こうして自分の罪を象徴的に自分自身から罪のない犠牲へと移した。それから動物はほふられた。『血を流すことなしには』罪のゆるしはあり得ない、と使徒は言っている。『肉の命は血にあるからである』(レビ17:11)。破られた神の律法は、罪人の生命を要求した。罪人の失われた生命を表す血、すなわち犠牲が彼の罪を負って流したものが、祭司によって聖所の中に運ばれ、幕の前に注がれた。幕の後ろには、罪人が犯したその律法を入れた箱があった。この儀式において、罪は、血によって、象徴的に聖所に移された。ある場合には、血を聖所に持って入らず、モーセがアロンの子らに命じて『あなたがたが会衆の罪を負(う)……ため、あなたがたに賜わった物である』と言ったように、祭司は、そこで肉を食べなければならなかった(レビ10:17)。どちらの儀式も同様に、悔い改めた者から聖所へと、罪が移されることを象徴していた」(『希望への光』1797、1798ページ、『各時代の大争闘』下巻131、132ページ。)

*本記事は、安息日学校ガイド2019年4期『エズラ記とネヘミヤ記─忠実な指導者を通して神がなしうること』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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