イエスさまもお酒を飲んでいたんじゃないの?

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イエスさまもお酒を飲んでいたんじゃないの?

イエスさまもお酒を飲んでいたんじゃないの?

結論から言ってしまうと聖書はお酒を飲むことに対してネガティブです。

酒はあかく、杯の中にあわだち、なめらかにくだる、あなたはこれを見てはならない。箴言23:31(口語訳)

もしかすると「え?でもイエスさまは飲んでなかった?」とか「酒は飲んでものまれるな」という話じゃないの、という声があがってきそうですね。ここをしっかりと学んでいきましょう。

その前にいくつかお伝えしてから先に進みたいと思います。

ライフスタイルを考えるときに注意しなければならないのは、原則は原則としてしっかりと理解しておくこと、その上でどこにいるかではなく、どこを見ているのかを意識することが大切です。聖書の約束をひとつ見てみましょう。

「あなたがたに新しい心を与え」る、「そこであなたがたは自分たちの悪の道と善くない行いを思い起こし、過ちと忌むべき行為のゆえに、自分を嫌悪するようになる」エゼキエル36:26,31(口語訳)

解説

聖書に出てくる「ワイン」の意味

英語辞書から見る「ワイン」の意味

聖書に登場する「ワイン」はすべて「発酵したグレープジュース」であり、飲酒を聖書が肯定しているのだという意見もありますが、それは時代背景を少し無視してしまっています。

現代の辞書では「アルコールが含まれている発酵したグレープジュース」が「ワイン」とされています。しかし、1955年版の辞書では「ワイン」を次のように定義しているのです[1]

1. ぶどうの発酵したジュース、広義では発酵した、または発酵していないぶどうのジュース。

つまり、1955年時点では「ワイン」は明らかに「発酵していないぶどうジュース」の意味を含んでいたのです。この二重の意味は古い英語の辞書には、はっきりと示されています。

興味深いことに1748年の辞書には次のように「ワイン」は定義されています[2]

1. ぶどうのジュース。2. ぶどう以外の果物から抽出されたアルコール性飲料。3. ワインが人の理性を乱す場合のワインの蒸気。

つまり、「ぶどうジュース」を指す「ワイン」がいつの間にか「アルコール」を指す言葉へと変化していったのです。このワインを指す英語「ワイン」はラテン語の「ヴィヌム」から派生したものですが、このヴィヌムも発酵および未発酵グレープジュースの両方を指していました。1740年のラテン語語彙集にはこの「ヴィヌム」のさまざまな定義が書かれていて、「甘いワイン」、「煮沸したワイン」と定義されています。これらはともに未発酵グレープジュースなのです。また「ぶどうそのものさえワインと呼ばれる」とも説明しています[3]

ギリシャ語とヘブライ語から見る「ワイン」の意味

またワインはギリシャ語では「オイノス」、ヘブライ語では「ヤイン」です。この2つの単語はワインとグレープジュースのどちらをも指す二重の意味をもっていました。1つだけ例を見てみましょう。

ネブカドネザルのエルサレム包囲によって起きた大飢饉のときに、ユダの民を襲った苦しみの生々しく描写が哀歌の中に登場し、そこで子どもが次のように訴えています。

幼な子や乳のみ子が町のちまたに息も絶えようとしているからである。彼らが、傷ついた者のように町のちまたで息も絶えようとするとき、その母のふところにその命を注ぎ出そうとするとき、母にむかって、『パンとぶどう酒< ヤイン>とはどこにありますか』と叫ぶ。哀歌2:11-12(口語訳)

ここで子どもたちが母にぶどう酒「ヤイン」を求めているのです。国が包囲され、飢饉の時に、息も絶えようとしている時に幼な子がアルコールを欲しがるでしょうか。

聖書の時代のぶどう酒

グレープジュースは祝福の象徴

聖書を見てみると、一方ではワインの使用を禁止していながら、他方では喜びの祝福として認めていることがわかります。

創世記27章28節ではイサクがヤコブを祝福して次のように言っています。

どうか神が、天の露と、地の肥えたところと、多くの穀物と、新しいぶどう酒とをあなたに賜わるように。創世記27:28(口語訳)

この創世記27章28節では「多くの穀物と、新しいぶどう酒<ティーローシュ>」という表現で豊かさが表現されています。

ここに出てくる「ティーローシュ」はイザヤ書65章8節でも出てくる言葉です。

「主はこう言われる、『人がぶどうのふさの中に、ぶどうのしる<ティーローシュ>のあるのを見るならば、『それを破るな、その中に祝福があるから』と言う。そのようにわたしは、わがしもべらのために行って、ことごとくは滅ぼさない』」。イザヤ65:8(口語訳)

ここでは文脈的に明らかに未発酵のぶどうの汁、つまりグレープジュースを指していることがわかります。またヘブライ語の学者たちの間でも「ティーローシュ」は「(ワイン発酵前の)ブドウジュース[液]」の意味であるとされています[4]

未発酵のグレープジュースは神の祝福の象徴であり、また救い主到来時の祝福の象徴でもありました(アモス9:13-14)。

礼拝の中でのぶどう酒

民数記18章12節には祭司とレビ人の取り分としてぶどう酒が登場します。

「すべて油の最もよい物、およびすべて新しいぶどう酒<ティーローシュ>と、穀物の最も良い物など、人々が主にささげる初穂をあなたに与える」民数記18:12(口語訳)

ここでは「新しいぶどう酒」とありますが、民数記18章27節には「あなたがたのささげ物は、打ち場からの穀物や、酒ぶねからのぶどう酒と同じように見なされるであろう」とあり、穀物ならば打ちたて、ぶどう酒ならば絞りたてであったことがわかります。つまり、発酵の段階を経ていない未発酵のグレープジュースが「新しいぶどう酒」だったのです。

ラビ・ホセのタルムードに関する記述によってもこれは支持されます[5]

誰でも感謝のしるしとして、どんな種類の果物を神殿に持ってきてもよい。しかし、酔わせる酒を持ってくることは許されない。

過越の祭りの中でのぶどう酒

キリストが最後の晩餐をされたのは過越の祭りの時でした。そのとき、キリストはぶどう酒を飲まれていますが、ここもワインではなく、グレープジュースでした。過越の祭りで未発酵ワインを用いる習慣はユダヤ人だけでなく、数世紀に渡って教会内で定着していたことがわかっています[6]

秋のぶどうの収穫時から春の過越の祭まで、聖書の時代の人々はグレープジュースを保存できなかったので、過越の祭は発酵したワインで祝われていたという考えがありますが、正確とは言えません。煮つめることによってジュースを濃縮し、シロップ状にすることによって、未発酵のまま保存する方法は一般的によく用いられていました[7]

発酵しているワインの方が保存しやすいというのは現代の感覚で、当時の状況は異なっていました。発酵したワインはカビが生じたり、酢に変わってしまったりすることも多くあったのです。

民数記13章では、この濃縮ブドウジュースを指していると思われる「ダバシュ」という単語が出てきます。民数記13章23節で斥候はその地の肥沃の証拠として大きなぶどう一房を持ち帰ってくる様子が描かれ、そして民数記13章27節で次のように報告しています。

わたしたちはあなたが、つかわした地へ行きました。そこはまことに乳と蜜<ダバシュ>の流れている地です。これはそのくだものです。民数記13:27(口語訳)

この「蜜―ダバシュ」は「蜂蜜」以外にも「デーツやグレープからつくる蜜」という意味があります[8]

その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。イザヤ7:15(口語訳)

ユダ王国の農作物と畑は、敵国であるアッシリアに荒らされていました。そこで人々は遊牧民の食事に戻らざるを得なくなったのです。その時の様子を「凝乳と、蜂蜜とを食べる」と表現しているのです。

ここで用いられているヘブル語は、アッシリア語やバビロニア語版の聖書では『ギー』に相当し、これは他の食べ物のように簡単には腐らない精製されたバターのような食べ物を指しています。当時の人々はまだ蜂蜜を飼っていませんでしたので、ここでの蜂蜜とは、野生の蜂の巣から採取されたものか、さもなければ、この用語はデーツか、いちじくから作られたシロップを指すと考えられます[9]

わかりにくい聖書の箇所

カナの婚礼(ヨハネ2:10)

どんな人でも、初めによいぶどう酒<オイノス>を出して、酔いがまわったころ<メソスコー>にわるいものを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました。ヨハネ2:10(口語訳)

現代の感覚で良い悪いを決めると、ここの箇所もズレてしまいます。歴史家のプレニーは「ワインは、濾過器によってすべての成分を除いてしまった時に、最も有益であり、美味しい」と述べ、同様にプルタークはワインのキツさが何回もの濾過によって除去されたために、脳を興奮させたり心や感情を乱さなくなった時」に飲んで心地よいものとなると指摘しています[10]

タルムードにこのことは記述されており、19世紀のラビ.S.M.アイザックの証言によっても確認されます。

ユダヤ人は、結婚式の祝宴を含め、聖なる目的の祭に、いかなる種類の発酵飲料も用いない。私的公的奉納物や献酒の際、彼らはぶどうの木の実―つまり新鮮なぶどう―、未発酵グレープジュースやレーズンを祝福の象徴として用いた。発酵は、彼らにとって常に腐敗の象徴である[11]

このことから聖書の時代のユダヤ人たちが結婚祝宴の席では発酵したワインを用いず、未発酵グレープジュースを用いた可能性が十分にあることがわかります。

また「酔いがまわったころ<メソスコー>」と訳されているギリシャ語の動詞メソスコーは、酩酊の意味合いを少しも含まず、十分に飲むことを意味しています。そのため、RSVでは「だれでも、初めに良いワインを出して、十分に飲んだころに悪いのを……」と訳されているのです。

大酒飲みと呼ばれるキリスト(ルカ7:33-34)

ルカによる福音書7章33節―34節では「大酒飲み」とキリストは言われていますが、その前を見てみるとバプテスマのヨハネが「悪霊につかれている」と非難されています。ここから、これは根拠なき批判であることが明らかです。

また、弟子たちは「新しい酒<原語グレコース:sweet new wine>で酔っている」(使徒2:13)つまり、未発酵の甘い新しいグレープジュースで酔っていると言われているのです。ここからキリストが何を飲み、食べたとしても、批判者たちは大酒飲みと批判した可能性があるとわかります。

胃のために少量のぶどう酒を用いなさい(テモテへの手紙Ⅰ5章23節)

「これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒<オイノス>を用いなさい」1テモテ5:23(口語訳)

ここでのオイノスが仮に発酵したワインだったとしても、ここでは「少量」のものが「いたみを和らげる」医療目的で用いられていることがわかります。さらに「水ばかりを飲まないで」とあることから、テモテは発酵および未発酵ワインを慎み、常用していなかったことも読み取れます。

ただパウロが同じ手紙の中で(1テモテ3:3,8)で酒を慎むように言及していることからも、飲酒を肯定しているとは考えにくいです。さらにここで勧められている「少量のぶどう酒<オイノス>」が発酵したワインであると断言はできません。

原語的にも未発酵を指しますが当時、未発酵ワインは医療目的で使用されていました。『バンケット』の中にも、甘いグレープジュースを水と混ぜるか温めるかして飲むと胃のために良いと書かれています[12]

「濃い酒」について(申命記14章26節、民数記28章7節)

「その金をすべてあなたの好む物に換えなければならない。すなわち牛、羊、ぶどう酒、濃い酒<原語シェカール:酔わせる飲み物、ビール>など、すべてあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない」申命記14:26(口語訳)

この「濃い酒<シェカール>」は「酔わせる飲み物、ビール」という意味があり、旧約聖書には23回登場しています。また聖書の中でも「発酵した酒」というニュアンスで否定的なものとして使われています。

たとえば箴言20章1節を見てみましょう。

酒は人をあざける者とし、濃い酒<シェカール>は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。箴言20:1(口語訳)

また、この部分を聖書協会共同訳は「ぶどう酒は嘲り、麦の酒<シェカール>は騒ぎこれに迷わされる者が知恵を得ることはない」と訳しています。

しかし、申命記14章26節ではこの濃い酒<シェカール>を神の前で飲んでいます。この規定を詳しく見てみると「主がその名を置くために選ばれる場所」「主が選ばれる場所」(申命記14:23,25)で食べるようにと命じられており、さらには「嗣業を持たないレビびと(中略)を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない」(申命記14:29)とされているのです。

レビ人や祭司は「会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない」(レビ10:9)と定められていて、聖なる場所に飲酒をした状態で入ってはいけないとされていました。この矛盾は一体なのでしょうか。

このヒントは民数記6章1節から4節にあります。

イスラエルの人々に言いなさい、『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、身を主に聖別する時は、ぶどう酒と濃い酒<シェカール>を断ち、ぶどう酒の酢となったもの、濃い酒の酢となったものを飲まず、また、ぶどうの汁を飲まず、また生でも干したものでも、ぶどうを食べてはならない。ナジルびとである間は、すべて、ぶどうの木からできるものは、種も皮も食べてはならない。民数記6:1-4(口語訳)

この民数記6章の規定では「ぶどう」に関連するものをすべて禁止していますが、その中に「濃い酒<シェカール>」が含まれているのです。このことから、シェカールという言葉はヤインと同じように、アルコールだけでなくグレープジュースを指す可能性があるとわかるのです。他にも民数記28章7節の規定や申命記14章の文脈、そして礼拝に用いられていた「ワイン<ヤイン>」は未発酵のグレープジュースだったことから、ここで出てくる「濃い酒<シェカール>」がグレープジュースである可能性は十分考えられます。

保存のために「濃縮されたぶどうジュース」が「濃い酒<シェカール>」と書かれているのではないかと考えられるのです。

多くの解説者は、この例では『シェカール』とは高貴で最高のワインのことだと主張しています。ユダヤ人の解説者の多くは、この例では、水で薄めたワイン、あるいは搾ったばかりのワインのようなものを含んで、シェカールを使用していると述べている[13]

いくつかの標準的な英語辞書と聖書百科事典は、ヘブライ語の『シェカール』から英語単語の『シュガー』と『サイダー』を導き出す。もしこれが本当であれば、もともと『シェカール』が甘さが際立った飲料を意味していた仮説をサポートするもっともらしい理由となる[14]

まとめ

聖書はお酒を飲むことに対してネガティブであり、キリストは飲まれていなかったことがはっきりとしたのではないでしょうか。

聖書にはネガティブであるいくつかの理由が挙げられています。その理由は認知を歪ませる(イザヤ28:7,箴言23:33)、責任ある決断力をそこなわせる(レビ10:9-11)、道徳的感性や抑制力を弱める(創世記9:21,19:32,ハバクク2:15,イザヤ5:11:-12)、病気を引き起こすからです(箴言23:20-21,ホセア7:5,イザヤ19:14,詩篇60:3)。

その上であらためて最初に確認した、このライフスタイルを考えるときに注意しなければならないことを確認して、この学びを終わりたいと思います。

1つ目、原則は原則としてしっかりと理解しておくこと。2つ目、その上でどこにいるかではなく、どこを見ているのかを意識することが大切です。

もう一度、あの聖書の約束を見てみましょう。

「あなたがたに新しい心を与え」る、「そこであなたがたは自分たちの悪の道と善くない行いを思い起こし、過ちと忌むべき行為のゆえに、自分を嫌悪するようになる」エゼキエル36:26,31(口語訳)

[1]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、23頁。

[2]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、24頁。

[3]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、25頁。

[4]Koehler, L., Baumgartner, W., Richardson, M. E. J., & Stamm, J. J. (1994–2000). The Hebrew and Aramaic lexicon of the Old Testament ( electronic ed., p. 1728). Leiden: E.J. Brill.

[5]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、42頁。

[6]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、84頁。

[7]SDA世界総会『アドベンチストの信仰 セブンスデー・アドベンチスト教団信仰の大要』セブンスデー・アドベンチスト教団、1995年、352頁。

[8]Koehler, L., Baumgartner, W., Richardson, M. E. J., & Stamm, J. J. (1994–2000). The Hebrew and Aramaic lexicon of the Old Testament (electronic ed., pp. 212–213). Leiden: E.J. Brill.

[9]ジェラルド・ウィーラー『悲しみの人 イザヤ書における神と救い』セブンスデー・アドベンチスト安息日学校部、2004年、38頁。

[10]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、69頁。

[11]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、69頁。

[12]サムエル・バキオキ(新名友子)『聖書の中のワイン』新教出版社、1995年、94頁。

[13]Nichol, F. D. (Ed.). (1978). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 1, p. 925). Review and Herald Publishing Association.

[14]Samuele Bacchiocchi, Wine in the Bible: A Biblical Study on the Use of Alcoholic Beverages (Unabridged) (English Edition),Chapter7,p.199

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そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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