何を言って、何を言っていないのか【マルコによる福音書12章13節—17節】

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マルコによる福音書12章13節―17節(口語訳)

12:13さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした。 12:14彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。 12:15イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい」。 12:16彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えた。 12:17するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。

目次

背景

この話の背景を見てみましょう。

AD6年にクレニオがシリア総督として赴任し、人口調査の上で人頭税を課しましたが、その際にこの政策に反対したガリラヤ人のユダという人物が反乱を起こします。

彼の主張はロ—マに税金を納めるということは、ロ—マの奴隷になることと等しいので、独立のために戦おうというものだったのです。

ここでキリストがロ—マに税金を納めるべきだと主張すれば、独立を願わないものとされ、納めるべきではないと主張すれば、反乱分子としてロ—マに引き渡されました。

さて、律法学者たちはこの税金については律法に反すると教えていました。その上で、自分たちの弟子をキリストのもとにつかわして、罠にかけようとしていたのです。

しかし、キリストの答えは白か黒かではありませんでした。

所属する国やコミュニティ—のル—ルに従うべきとした一方、神への忠誠を第一とすべきと答えたのです。

この問題はキリストの時代だけでなく、19世紀を生きた信仰の先駆者であるエレンホワイトの時代にも起きていました。そして、終わりの時代にも起こることなのです。

アメリカにおける日曜休業令

「南部の伝道地に関しては、働きは出来るだけ賢明にまた慎重になされなければならない。そしてそれは、キリストが働かれた方法でなされなければならない。人々が質問してくるようになるので、やがて日曜日や安息日についてあなたが信じていることを、彼らは知るようになるであろう。その時、彼らに伝えることができる。が、それはあなたの働きに注目を引くような方法であってはならない。自らの日曜日の労働によって、あなたの働きをさえぎる必要はないのである。

日曜日に働くことを控えることは、獣の刻印を受けることではない。迫害を引き起こすほどに反対が強い場所において、日曜日に働きがなされるとするなら、我々の兄弟たちにその日を純粋に伝道の働きをする機会とさせなさい」

エレンホワイト,SW 69,70(1895年)

聖書から見て、安息日が土曜日であることをエレンホワイトが主張していたとき、アメリカでは律法主義的な風が吹き荒れていました。

この当時、アメリカの一部の地域では日曜休業令が厳格に敷かれていたのです。状況は違えど、国の方針と聖書の指針の間で神の民が揺れ動いていたことには変わりはありません。

キリストもエレンホワイトも共通して、聖書が何を言っているのかを正確に見ていきました。何を言っていて、何を言っていないのかを見極めていったのです。

わたしたちも正確に聖書から日常生活に適用するために、深く聖書を学んでいく必要があります。何が書かれていて、何が書かれていないのかの理解を深めていく必要があるのです。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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