楽天主義──幸福といやし【健康と癒し】#11

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今回の記事のテーマ

二人の男が牢獄(ろうごく)につながれていました。一人の男の目はビロードのような夜空の美しい星々に注がれていました。彼はこの美しい、荘厳な光景を見るたびに、楽観と希望で満たされるのでした──牢獄を出れば、きっといいことがある! もう一人の男の目は独房を取り巻く土の壁に注がれていました。そこには彼を力づけるものは何もなく、彼はだんだん悲観的になっていきました。両者の違いは、じつは視線の向きから来ていました。

聖書は今日の私たちが直面するさまざまな現実的な問題について描写しています。たとえ主に忠実に従っていたとしても、私たちは失望に満ちた経験を免れるとは限りません。しかし、神の御言葉は豊かな励ましと希望と楽観で満ちています。

希望は人生のあらゆる局面において私たちの将来への展望に影響を及ぼします。希望は困難な状況にあっても私たちを楽天的にしてくれます。このような楽天主義は私たちの心の状態や肉体的な健康に影響を及ぼし、ひいては免疫力と幸福感を高めてくれます。

天に向けて両手を差し出しているイメージ画像

私たちは外部環境を変えることはできないかもしれませんが、外部環境に対する自分の態度は変えることができます。今週は、この原則に目を向け、聖書の観点から私たちに与えられている豊かな希望について学びます。

うつ病と絶望

うつ病は今日では一般的な病気です。うつ病になると、気分が落ち込み、それまで楽しかったことが楽しくなくなります。疲労感や無力感、失望感、脱力感が見られます。ほかにも不眠や食欲減退、頭痛、腰痛といったさまざまな症状が現れます。早期に気づいて治療しないと、自殺につながります。うつ病はあらゆる年代に見られますが、一部の地域では、特に24 歳未満の若者によく見られます。

うつ病には、大きく分けて2 種類あります。一つは、死や病気、失業、失恋といった人生の不幸が引きがねとなって起こります。このようなことはだれもが経験することです。もう一つは中枢神経系における化学的な平衡失調と関係があります。これはしばしば遺伝的なもので、ほかの病気と何ら変わりありません。私たちはこれらの問題をかかえた人たちを受け入れ、決して裁いたり、差別したりしてはなりません。

問1
聖書の中にも、うつ病の症状で苦しんだ偉人が何人か出てきます。たとえば、だれですか。どんな症状に苦しみましたか。

・詩編42 編
・王上19:2 〜18

旧約聖書に登場するこれら二人の勇士は、その人生が圧倒的な絶望の影におおわれたとき、何度も苦しみました。ダビデは昼夜、涙を流しました。エリヤは自殺したい願望にかられましたが、自分で自分の命を取る代わりに、主が取ってくださるように願いました(王上19:4)。今日風に言えば、彼は標準を高く掲げているアドベンチストが自分だけであることを嘆いたのかもしれません。

神はいつもの恵みに満ちた方法で、ダビデとエリヤを優しく扱われます。ダビデは神に望みを置くべきことを悟り(詩編42:11)、それからは賛美に満ちた生涯を送ったことでしょう。エリヤは神の静かな声によって養われ、自分の使命を思い起こし、それによって力を受けます。エリヤはその後、自分の後継者であるエリシャを召し出し、現職教育を始めます。

人生の思い煩い

楽天主義や希望はしばしば多忙な生活によって隅に押しやられています。たとえ有意義で必要なことであっても、この世の問題や仕事に没頭するあまり、私たちはイエスとの関係を見失いがちになります。イエスとの関係は、私たちが人生のあらゆる面において成長する上で欠かせないものです。

人が迷路で迷っているイメージ画像

問2
次の聖句は、私たちのあるべき生き方について何を教えていますか。これらの模範からどんな教訓を学ぶことができますか。

 ・ミカ6:8
 ・ルカ8:14
 ・ルカ10:38 〜42
 ・ルカ12:16 〜21

私たちは成功を追い求めます。この目的を達成するために多くの時間を費やします。私たちはしばしば、最も重要なことを追い求めないで、成功ばかりを追い求めています。私たちのすること、言うこと、考えることは真に重要なことでしょうか。それとも、突然最後の責任を問われて、「愚か者」とされた、あのたとえの中の「成功した」農夫(金持ち)のようでしょうか(ルカ21:34 参照)。

マルタは来客の食事と飲み物を用意するという大事な仕事に没頭していました。私たちと同様、彼女は主の働きに没頭するあまり、働きの主との、生命を与える関係を軽視していました。イエスは彼女に、マリアが賢明な選択をしたことを告げ、それによって関係の重要性が働きの成功に優先することを教えられました。

私たちはときどき、たとえの中の種のように、生き延びようと懸命に努力しながらも、人生の思い煩いに押しつぶされそうになることがあります。そのような中で、私たちは家族を養い、子供を教育し、さらには騒然としたこの世の生活に遅れないようにしなければなりません。イエスとの関係を養うことは、悩みと苦しみに満ちた時代にあっても、私たちの生活のあらゆる面に作用し、将来に対して楽天的で希望に満ちた展望を抱くことを可能としてくれます。

いつも喜んでいなさい

問3
テサロニケIの5:16 と17 を読んでください。これらの聖句にある二つの勧告はどんな点で関連していますか。

30 年ほど前のことですが、どのような状況においても神を賛美することに関してさかんに書かれた時期があります。それは原則としては素晴らしいことです。ところが、これらの著書の多くは死や喪失、悲劇、障害、心痛などを受け入れらないで苦しんでいる人々の罪悪感をかき立てるものでした。というのは、そのような苦境にあっても喜び、楽しみ、感謝しないのは不信仰であり、真のクリスチャンにふさわしい生き方ではないとされたからです。

私たちはどのような状況においても喜ぶわけではありません。イエスもそうでした(マタ26:38、ヨハ11:35)。だからといって、イエスを不信仰だと責めることはできません。主に忠実であったヨブも、ヨブ記の大部分において、必ずしも心から喜んでいたとは思われません。むしろ、彼はみじめで、憐れむべき状況にありました。

しかし、人生のあらゆる苦しみや悲しみの中にあっても、私たちにはなお喜び、将来に希望を抱くに十分な理由があります。たとえそれらの理由が私たちを襲う災難や思い煩いに圧倒されそうに思われるときにでも、です。というのは、これらの災いが一時的なものであること、それらが神にとっては予想されたものであること、そしてどのような困難で理解しがたい苦しみの中にあっても、神が私たちを愛し、心にかけてくださることを、私たちが知っているからです。たとえ苦難の中で生きねばならないにしても、私たちはこれらの約束と希望を信じ、将来に喜びと希望を抱くことができます。

問4
次の聖句は私たちにどんな希望と楽観を与えてくれますか。

 ・ロマ8:31
 ・ロマ8:35 〜39
 ・Iヨハ3:1
 ・黙21:4

笑いといやし

問5
コリントII の12:9、10 を読んでください。パウロはここで何と言っていますか。私たちは、特に困難なときに、どうしたらこの原則に従うことができますか。

『疾病(しっぺい)の解剖学』という本を著したノーマン・カズンズは約30 年間、アメリカのある有名な雑誌の編集長でした。彼は1964 年に、身体の結合組織であるコラーゲンに影響を及ぼす病気にかかりました。彼は激しい痛みに襲われました。指や手足、あごを動かすこともできなくなりました。ベッドの上で寝返りを打つことも困難でした。そのうち、体中に腫れ物ができてきました。医者は彼にアスピリンやコデインといったあらゆる種類の鎮痛剤や鎮静剤、それにさまざまな睡眠薬を含む麻薬を処方しました。すると、彼の身体は薬に反応し、病気そのものよりも苦しい蕁麻疹(じんましん)性丘疹を発症しました。この病気は500 人に1人しか治らないと聞いたとき、彼は目の前が真っ暗になりました。

ある日のこと、薬物療法から来る副作用に苦しんでいた彼は、ふとしたことから「キャンディド・カメラ」(どっきりカメラ)というテレビの人気番組を見るようになりました。彼はベッドの上で、ふざけたいたずらを見て大笑いしました。すぐに変化が現れ始めました。笑えば笑うほど、病状がよくなるように感じられました。看護婦がときどき読んでくれる愉快な話も、彼を大笑いさせました。検査の結果、病状が回復していることがわかりました。そのうち、身体の吹き出物が消え始め、仕事に復帰するまでに回復しました。やがて、寝返りも打てなかった男がテニスやゴルフ、それに乗馬やピアノに興じるまでになりました!

笑いがあらゆる病気に効果があるとは言えないにしても、人生に対する正しい態度が健康によい効果を及ぼすことは確かなようです。

親子が楽しそうに笑っているイメージ画像

喜びを抱く心──実際的楽天主義

「喜びを抱く心はからだを養うが 霊が沈みこんでいると骨まで枯れる」(箴17:22)。

笑いと楽しい思考は肉体的な恩恵をもたらします。笑いは肺を働かせ、循環系を刺激します。結果として、より多くの酸素が血液の中に取り込まれます。笑いは緊張を和らげ、ひいては血圧降下につながります。笑いは、心を静め、苦痛を和らげ、気分を高揚させ、免疫細胞の働きを強める化学物質エンドルフィンの生成を高めます。ここにあるこのような楽天主義と喜びを抱く心は全く理にかなったものです。なぜなら、それらは神が私たちの人生を支配しておられるという知識にもとづいているからです。

いつも幸せで、笑ってばかりいるわけにいかないことは、私たちも知っています。しかしながら、積極的な態度を持ち続けようとすることは可能です。

問6
イザヤ書26:1 〜4 を読んでください。どうしたらこれらの聖句を生活に実践することができますか。

私たちの心が堅固で、主に信頼しているなら、豊かな恩恵を受けます。他人を積極的で、寛大な目で見ることは感染症に対する抵抗力を高めてくれることがわかっています。キリストとの関係を深め、養うことは私たちの肉体的健康を増進します。感情的、霊的いやしはまた肉体的いやしにつながります。

箴言17:22 は私たちに一つの選択肢を示しています──喜びを抱く心は祝福をもたらしますが、霊が沈みこんでいると、心と体に悪影響を及ぼします。ダビデはこの選択の重要性について学びました。彼は、この選択をめぐる闘いの中で神が重要な役割を果たされることを悟りました。

問7
詩編27 編を読んでください。ここに、どんな希望が述べられていますか。どうしたらこれらの言葉を実践することができますか。

今回の記事のメッセージ

「感謝と賛美の精神ほど心身の健康を増進するものはない。憂鬱(ゆううつ)、不満な気持ちや思想に抵抗することは祈ることと同じように積極的な義務である。もしわたしたちが天に向かって歩いて行っているなら、わたしたちの父の家に行く道すがらを、どうして会葬者の一隊のように嘆き、つぶやきながら歩いたりできよう」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング2005』240 ページ)。

「十字架がなければ、人は神と和合することができなかった。われわれのすべての望みは十字架にかかっている。そこに救い主の愛の光が輝いている。罪人が十字架のもとで、彼を救うために死なれたおかたを見上げるときに、彼は満ちたりたよろこびを味わうのである。それは彼の罪が赦されたからである。信仰をもって十字架のもとにひざまずくとき、彼は人が到達できる最高の場所に到達しているのである」(『希望への光』1435 ページ、『患難から栄光へ』上巻226 ページ)。

「新しくされた地で確かに資産を受け継ぐというこの望みを抱いて、初期のクリスチャンたちは、厳しい試練や苦難に遭っている時でさえも、喜んでいた。『今しばらくのあいだは、さまざまな試練で悩まねばならないかもしれないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変わるであろう。あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども……言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである』と、ペテロは書いた」(『希望への光』1553 ページ、『患難から栄光へ』下巻217 ページ)。

*本記事は、『健康と癒し』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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