イエスの祈りの生活【キリスト—模範的な祈り】#1

イエスは祈りの人でした。主は私たちにいつ、どのように、なんと祈るべきかを教えてくださいます。主ご自身、天の神と交わり、日々の力をお受けになりました。祈りとは何でしょうか。それは「魂の呼吸」(『福音宣伝者』254ページ)、「全能の神の無限の資財が蓄えられてある天の倉を開く信仰の手に握られた鍵」(『キリストへの道』129 ページ)、「友だちに語るように、心を神に打ち明ける」(同126 ページ)ことです。「わたしたちの祈りは、ちょうど友人と語るように、神との会話のかたちになり、神は、わたしたちに個人的に……語りかけてくださるのである。……神がわたしたちに近づかれると、わたしたちの心中も燃えるのをおぼえる」(『キリストの実物教訓』109 ページ)。

今回はイエスの祈りの生活を学び、教訓を受けたいと思います。 

イエスは公生涯の初めのどのような場面で祈り、どのような声を聞きましたか。

ルカ3:21、22 

四福音書は、イエスが十字架にいたる旅路の各場面で祈りを捧げられたことを記録しています。主は毎日祈りによって力を受けたのでした。私たちも同じように祈りによって、神より力と勇気をいただくことができます。

イエスの祈りの生活を調べてみましょう。

マル1:35 
ルカ9:18、28 〜31 
ヨハ17:1〜26 

ヨハネ17章にあるイエスの祈りは最も長いもので、弟子たちに語られた別れの言葉の最後にあり、主はこのあとゲッセマネに向かわれました。ドイツ敬虔派の聖書学者ベンゲル(18 世紀)は、この章を“聖書の中で最も深遠な章”と言いました。このイエスの祈りはご自身のため、弟子たちのため、信仰者たちのための祈りに分かれています(『SDA 聖書注解』5巻1051 ページ参照)。

祈りの中で、キリストは神を「父」と何度も呼んでおられます。……これは祈り全体に独特の雰囲気を与えています。この祈りを読むとき、私たちは祈りがいかに自然なものであるべきか、またいかに素直に神に頼ることができるかを知ります。神が私たちに関心を寄せ、慈しんでくださること、また私たちのために喜んで、自発的になんでもしてくださることを確信することができます。キリストは人がその友と話すように、子が父親に語るように、敬意を持って、謙虚に、また率直に神とお語りになりました。

『インタプリターズ・バイブル』8巻742 ページ

◆朝早く父と語るイエスのお姿に、あなたは何を学ぶでしょうか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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