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この祈りは世界の多くの人々が飢餓に苦しんでいる今日、意味深い祈りです。天の父は助けを求める叫びに耳を傾けておられます。クリスチャンは喜んで自分たちの食べ物を分け与え、この祈りに協力するでしょう。「日ごとの食物」(口語訳)には私たちのすべての必要、特に日ごとの霊的な糧が含まれています(ヨハ6:35)。
この祈りは7年ごとの負債免除というユダヤの習慣にもとづいています(申命15:1、2)。重い負債に苦しんだ人にとって、この制度は救いと解放を意味しました。安息年は、イエスが恵みによって私たちの罪を赦し、私たちを負債から自由にしてくださる「主の恵みの年」(ルカ4:18、19)の予型でした。イエスによって罪を赦されるとき、私たちも同じ自由と解放の感謝を体験できます。
イエスはマタイ18:23 〜35 で、神の赦しと隣人への赦しの関係を教えてくださいました。私たちの罪が赦されるためには、他者の罪を赦すことが交換条件というのではなく、神より罪を赦された者は“習慣的に他者の罪を赦す”のです。“私たちの罪が赦されたように”という聖書訳もあります(『SDA聖書注解』5巻348ページ)。
ピューリタン作家、トマス・マントンは次のように言っています。「自ら憐れみを受けたことのある人ほど他人に優しい人はいません。彼は神がいかに優しく自分を扱ってくださったかを知っているからです」(ジョン・マッカーサー『新約聖書注解』395 ページ)。
「真心から罪の赦しを乞い願う人は、再び罪を犯すことがないように求めます。彼は自分の弱さを知っているので、誘惑にさらされるような状況から自分を導き出してくださるように神に祈ります」(ノーバル・ゲルデンハイス『ルカによる福音書注解』321ページ)。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。