この記事は約2分で読むことができます。
ルカ11:9 ここにあるギリシア語は不屈の祈りを強調しています。「求め続けなさい」、「探し続けなさい」、「門をたたき続けなさい」、そうすればあなたの天の友である神は戸を開け、あなたに必要な物を与えてくださるというのです。
*他の人のために祈ることを神はお喜びになるでしょうか。
*たゆまずに祈る必要があるのはなぜでしょうか。私たちが努力しなくても、神は求めるものを何でも与えてくださるとす れば、どれほどの価値があるのでしょうか。
*祈りの答えに時間がかかるのは、神が状況を整えておられるからでしょうか。
*神はこのしぶしぶ要求を受け入れた隣人のようなお方なのでしょうか。それとも、私たちがそのように思い込んでいるだけなのでしょうか。
「ときどき私たちは、神は人間のトラブルに煩わされるのを好まないお方と考えるかもしれませんが、思いやり、愛に満ちた父なる神のご性質はルカ11:9〜13に明示されています。いやいやながら起きて、必要なものを与える隣人は、決して神を表していません。……このたとえが教えている教訓は面倒がった人と同等に神を見ることでなく、どんな時も優しいお方であるという対照の強調です」(『SDA 聖書注解』5巻789 ページ)。
◆「なぜ神は同じことを何度も繰り返して祈るように求めるのだろう。一度聞いてわかっておられるなら、すぐに答えて下さればいいのに」という人がいます。何と説明しましょうか。
祈りは弱い私たちに天の力を与えてくださる電力線のようなものです。また、祈りは友だちと語るように神と交わり、喜びも悲しみもお話しすることができる電話線のようなものです。たえず神とのつながりを維持することによって、私たちは試練に耐え、誘惑に勝利することができます。また、天の祝福を他の人々にお伝えすることができます。
キリストの祈りの研究から学んだ祈りの原則を整理してみましょう。私たちは——
*どんな祈りの習慣を身に付けたらよいですか。
*どんなときに祈ればよいですか。
*何のために祈るのですか。
*神に対してどんな思いをもって祈ればよいですか。
*人に対してどんな思いをもって祈ればよいですか。
*祈りは神との関係を深める上でどんな助けになりますか。
「救い主は御自ら、私どもと同じように、欠乏と弱さをおぼえたもうて、義務と試練に耐えうる新しい力を天父より受けるために、熱心に祈り求める者となりたまいました。……イエスは、父なる神と交わって慰めと喜びをお受けになりました。もし人類の救い主である神の子でさえ、祈りの必要をお感じになったのであるならば、弱い罪深い人間には、どれほど熱心な絶えざる祈りがなければならないことでしょう」(『キリストへの道』127、128ページ)。
『各時代の希望』中巻94 〜102 ページ(さあ、しばらく休みなさい)、『キリストへの道』126〜144ページ(祈りの特権)を読んでみましょう。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。