正義を求めるヨブの叫び【ヨブ—絶望の祈り】#8

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族長であったヨブは裁判や法的手続きに慣れていました。これまで弱い立場の人たちを弁護してきた彼ですが(31:21、22)、今は自分の訴えを聞いてほしいと求めます(13:3、22、23、23:3〜5)。彼は正義が報いられ、悪が罰せられるべきであると言い、でも神はこの原則を守ってくださらないとつぶやき(9:22 〜24)、申立書に署名して自分の正当性を主張します(31:35)。しかしヨブには、神に勝てない、神は答えてくださらない、神の圧倒的力の誇示の前に自分は負けるしかないという不安がありました(9:14 〜20、40:1〜9)。

ヨブは誰を求めましたか。

ヨブ9:32 〜35

調停者、仲裁者 「ヨブは神との論争において頼るべき仲裁人がいないと感じます。彼は二つの条件のうち一つでも満たされるなら、神と五分五分になると考えました。一つは神が神性を捨てて人となること、もう一つは勝敗を決める審判か仲裁者が与えられることでした。しかしどちらの条件も満たされないことがヨブには不満でした。福音はこのどちらの条件も満たすものです。イエスは「神と人類の間にあって、両方に手を置いておられる仲保者」です(『各時代の希望』上巻12ページ)。イエスは人間と神との論争の調停人でなく、神でありながら人の側に立って助ける弁護者、仲保者なのです。ヘブル2:17、18 参照(『SDA 聖書注解』3巻525 ページ)。

人が神に受け入れられる根拠はなんですか。

ロマ3:23、24

神はヨブに時を経て恵みを報われましたが、彼の善行が神に受け入れられたからではありません。私たちはみな、罪人として神の前にひれ伏し、罪のための犠牲であるキリストを求め、キリストの血の功績に頼るのみです。

◆「自分は罪深いから神は祈りを聞かれない」と言う人を信仰義認の教えは助けることができるのではないでしょうか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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