突破口【ヨブ—絶望の祈り】#10

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どこに彼は神を見いだしたのでしょうか。

ヨブ38:1

神は嵐の中からヨブに語りかけました。私たちも苦しみに直面しますが、その嵐の中で神を発見することができるのです。

ヨブ記38章で神はヨブとの議論に決着をつけようとせず、ご自身を啓示しようとされました。神はヨブにその苦しみの理由を説明することもしておられません。神の導きの理由を知るより神ご自身を明確に知ることの方がはるかに大事なのです。神は悪人の栄える理由も、義人の苦しむ理由も説明されません。神は現世の不平等に代わる未来の報酬についても語られません。神はただご自身の慈愛、力、知恵のみを啓示し、これをもってヨブへの解答とされたのでした」(『SDA 聖書注解』3巻598 ページ)。

私たちはこの世で苦難の理由を知ることができなくても、神に信頼しなければならないのではないでしょうか。ヨブは神を見ることさえできれば満足でした(42:5、6)。

今日、魂の敵は私たちから神との親しい交わりを奪おうとしています。私たちを神より引き裂こうと、罪悪感、悲しみ、苦しみがしばしば襲いますが、信仰に対する最も恐るべき敵は疑いです。多くのクリスチャンは現代科学や神学を学んだあとで次のように叫びます。「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」(ヨハ20:13、口語訳)。神が見えなくなることが人生の土台を揺るがします。

神との関係維持のために必要なのは何ですか。

ロマ10:17

◆今日、信仰者たちは神の沈黙を経験することはありません。神は聖書を通して私たちに語りかけておられるからです。危機のときのために、私たちは神が近くにおられる約束を心に蓄えることができます。暗黒の中でも偉大な信仰の歌を賛美できます。これらの約束と賛美も偉大な祈りとなります。

心に神のご臨在が感じられないような、長く、暗い夜にも、神は私のそば近くおられます。そのようなときこそ、み言葉の約束についての信仰を持ち、祈りの中に神にすがりましょう。

「キリストが光の中におられるように、私たちも光の中を歩みましょう。ヨブが祈ったとき、主は彼のためだけでなく、彼に反対する者たちのためにもヨブを束縛から解放してくださいました。ヨブが、自分に敵対する者たちに助けが与えられるように心から願ったとき、彼自身も助けを受けました。私たちも自分自身のためだけでなく、自分を苦しめ、悩まし続ける人たちのために祈りましょう。祈りましょう。心をこめて祈りましょう。主に休みを与えないほど祈りましょう。なぜなら主はみ前に心低く真摯に、熱心に求める祈りに耳を傾けてくださるからです」(『SDA 聖書注解』3巻1141 ページ、エレン・G・ホワイト注)。

◆ヨブは祈りの人でした。祈りの内容は感謝や賛美のときもあり、また不平、つぶやき、疑い、絶望、遺憾、後悔の思いをぶつける祈りもありました。彼は自分の気持ちや心をそっくりそのまま神に告げています。個人の祈りにおいては、よいこともつらいことも素直に打ち明け、神と語り合ってよいのではないでしょうか。私たちの祈りはあまりにも“よそいき”で、形式的な場合が多いと思います。

ヨブ記の最後は友だちのための執り成しの祈りで終わっています(42:7〜10)。ヨブが友だちのために祈ったとき、長く失われていた祝福が戻ってきました。私たちに赦し、恵みを教える祈りです。『教育』173~177 ページ、『国と指導者』上巻130~135 ページを読んでください。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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