詩編90編全体【モーセ—嘆願の祈り】#11

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後悔先に立たず 私たちは過去を振り返って失望することがあります。ある宣教師夫婦は「自分たちの奉仕の年月は無益だった」と悲しそうに言いました。子育ても大変な仕事です。育児書通りに育てば言うことがありません。「あの子さえいなければ……」とある父親が嘆きました。私たちはしばしば「〜でなかったら」と後悔することがあります。「結婚前にもっと彼の性格がわかってさえいれば」「彼女に愛していると言っておけばよかった」「借金さえしてなければ」「人生をやり直すことさえできれば」「あの時、神の召しに応えてさえいれば」など、私たちには反省がつきものです。

モーセは詩編90編で人生の反省をこめて、「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80 年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」(10 節)と書きました。

モーセの歌は出エジプト記15章、申命記32章、黙示録15章にもありますが、今回からは詩編90 編から永遠の神と限りある人間とを勉強します。

ほとんどの聖書学者は、モーセが詩編90編を書いたと信じており、各種聖書は前書きに「神の人、モーセの祈り」と書いています(申命34:10 比較)。もしそうであれば詩編90 編は詩編の中で最も古いものということになります。

詩編90 編は次の3部で成り立っています。注意して読んでください。

無限の神
有限の人間
救いを求める祈り

「詩編90 編は……ミディアンでの放浪の終わりごろの[モーセの]思想を反映しているでしょう[出エ2:11〜3:3]。そうであれば、次のような解釈は適切と思われます。詩編90編の最初の部分で彼はシナイの山々の静寂、荘厳なる神とは対照的に、自分の過ちと人間の弱さを描写しました(7、8)。モーセは神からの使命と思って(使徒7:25)、性急にエジプト人を殺したものの、かえって神の目的を阻み、神の計画を妨げてしまった、と反省しました。彼はすでに人生『70年』を越えて『80年』に近づき(90:9、10)、失意のうちに『生涯の日を数える知恵の心』を祈りました(12)。それでも彼は神が先祖たちに約束されたことを信じ、その成就を願いました。彼はエジプトの地で苦しんでいる兄弟たちに思いをめぐらせ(13、14)、彼らの救出を祈っています(15、16)。最後に神が手の働きを確かなものにし、自分の生涯が空しく終わらないように嘆願したのでした(17)」(『SDA 聖書辞典』763 ページ)。

◆自分に残された「生涯の日」を後悔しないために、あなたはどう生きたらよいでしょうか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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