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モーセは1節で神が私たちの永遠の「すみか」(口語訳)と言いましたが、「すみか」はどんな意味があるでしょうか。
創世記の著者モーセは、創世以来の父祖たちの「代々」を何度も回想しています(創世5、10 章ほか)。彼らの住まいは神のうちにありました。人は幾世代にわたって家の中で生まれ、住み、死んでゆきましたが、同じように神の民にとって神は故郷なのです(詩91:1)。詩編90 編でモーセは天の家郷に思いを向けています。他に行くべき場所はありませんでした。
放蕩息子を迎える愛情深い父親のたとえは、私たちを喜んで歓迎してくださる神を美しく例示しています(ルカ15:11 〜20)。
「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(20 節)。
ミディアンの野にあって彼を囲む「永遠の山々」(『人類のあけぼの』上巻284 ページ)を仰いだとき、モーセは永遠の昔から永遠の未来に至る偉大な神を認め、畏敬の念に打たれたに違いありません。無限の神の偉大さに比べて人間の命はなんとはかないものでしょう。時間を超える神は、アダムに「塵に過ぎないお前は塵に返る」(創世3:19)と宣告されましたが、神は私たち人類に土に返ることを厳かに命じます(詩編90:3、4)。
◆永遠の神、時を創られたイエスは人となり、人間の時間の中で33年の生涯をお過ごしになりました。あなたに対する神の愛がわかるでしょうか。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。