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モーセの生涯は波乱に満ちたものでした。エジプトの王位継承者であった彼は、気がついてみると砂漠をさまよう羊飼いになっていました。王宮で学んだ科学、政治、帝王学、軍学などの輝かしい教育もすべて無駄、自分に課せられた使命はすべて挫折と思われました。そして神は自分に対して怒っておられるのではと恐れました(詩90:7、9、11)。何年たってもイスラエルの惨めな奴隷状態は変わらず、自分にも変化がありません。試練が長引くことは信仰者には大きな打撃です。そんな場合、神は私たちのことを気にかけておられないのではないかとさえ考えます。幸いなことにこの思いは正しくありません。神はいつでも私たちを心にかけておられるのです。
ミディアンに追放されてからも、この罪の記憶はモーセの脳裏から離れませんでした。彼は自分の力でイスラエルを解放できると考えたのですが、この誤った判断のために自分は任務を達成できず、不遇な境遇に追いやられたと考えるのでした。
モーセは「悲しみと苦しみの夜のあとに、神が喜びと平安の朝を与えてくださるように祈りました(詩143:8参照)」(『SDA 聖書注解』3巻842 ページ)。「朝にはどうか、聞かせてください/あなたの慈しみについて。/あなたにわたしは依り頼みます。/行くべき道を教えてください/あなたに、わたしの魂は憧れているのです」(詩143:8)。
◆罪を悔い改めてもなお、神から遠く離れていると感じることはありませんか。そのように思っている人をどのように助けたらよいでしょうか。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。