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ミディアンにおける40年は無駄だったのでしょうか。モーセは神の怒りのもとで生きていたのでしょうか。いいえ、そうではありません。荒野の40 年は彼の後半生に大きな貢献を与えました。
モーセは、山々の岩壁にかこまれ、ただひとりで神と交わった。……永遠の山々の壮大なながめに、モーセは至高者の威光を仰ぎ、それとは対照的にエジプトの神々がいかに力なく、むなしいものであるかを認めた。……モーセは、年月の経過とともに、羊の群れとさびしい場所を放浪しつつ、民の苦しい状態について考え、……日夜イスラエルのために祈りをささげた。……モーセがただひとりで、長い年月を荒野で過ごしたことは、彼と彼の民族ばかりでなく、後世の人びとのためにも豊かな祝福となった」
『人類のあけぼの』上巻284、285 ページ
荒野での長年の歳月は、モーセに書く時間を与えました。彼はここで創世記から申命記まで、またヨブ記を書いたと考えられます。この地で彼は自分と同じアブラハムの子孫で、エドムやミディアンで真の神を礼拝する人たちと知り合いました。詩編90編は創世記やヨブ記と深いかかわりがあり、これら三つの書は、天地創造と堕落、神の怒りと憐れみに対する嘆願といった思想を含んでいます。
モーセがミディアンで得たもうひとつの恩恵は羊飼いの経験です。「自分を忘れてやさしく羊の群れをいたわって、世話をする習慣が養われて、彼はイスラエル人への心やさしく忍耐強い羊飼いとなることができるのであった」(『人類のあけぼの』上巻283 ページ)。
モーセは、今こそ神が民のために行動を起こすべき時だと考えましたが、彼は神のご計画についても、自分の果たすべき役割についてもほとんど理解していませんでした。
◆あとで振り返ると、あれは神の摂理だったと理解したような経験がありませんか。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。