針のむしろ【ハンナとマリア—勝利の祈り】#16

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偉大な人物の陰に母親 牧師の妻であったスザンナ・ウェスレー(1669 〜1742)は信仰的な女性でした。彼女は19 人の子を生みましたが、9人は幼い時に亡くしました。スザンナは家で子供たちを教育し、創世記1章を教科書にアルファベットを教え、毎日の礼拝と子供たちとの信仰カウンセリングを欠かしませんでした。あるとき牧師館が放火されましたが、6歳のジョンは危機一髪のところで救われました。そんなことから彼女は日記に次のように書いています。「私はこの子に真の信仰と高潔の原則を教え、その魂に特別な注意を払って育てます」

ルツ・ショート『愛を込めて、ジョン・ウェスレー』37 ページ

このすばらしい母の教育の中でメソジスト運動を起こしたジョンとチャールズ・ウェスレー兄弟が現れました。ジョンは生涯を通じ、牧師として信仰覚醒を熱く迫る説教を続け、チャールズは6000もの賛美歌を作ってキリスト教会に貢献しています。

今回からは敬神の母といわれるハンナ、マリアが困難と試練に遭いつつも捧げた勝利の祈りについて学びます。

相思相愛のエルカナ・ハンナ夫婦の家庭にどんな苦しい状況があったのでしょうか。問題点を3つ挙げてください。

サム上1:1、2
サム上1:4、5
サム上1:6、7

当時、女性は子供を生み、母となることによって女性としての役目と価値が認められるという社会の風潮がありました。ハンナの時代の人々は不妊が神からの恐ろしい災いと考えていました。

妻として夫の愛情を独り占めしたいと願うのは自然なことです。2番目の地位に満足する妻はいません。ハガル、レア、ペニナのような第2の妻も、夫が自分の好きな妻だけに愛情を抱くことに不満を感じたはずです。ペニナもねたみと恨みの心からハンナを軽んじました。ペニナによるこのようないじめが何年も続いたため、ハンナは失望しきっていました。その上、ペニナは子供があることでハンナに対して優越感を持っていました。

ハンナには失望と恨みを抱く充分な理由がありました。彼女は不妊であり、夫を同じくする女からは苦しめられ(サム上1:7)、愛する夫は問題を解決する力量がなく(1:8)、祭司からも誤解される有様でした(1:1 4 )。それでも仕返しすることも、希望を捨てることもなく、ハンナは祈り続けました。彼女は悩みを正直に神に打ち明けました。

「私たちはしばしば懸命に働き、奉仕しても実を結ぶことのない空しさに遭遇します。全く効果ないと感じるときは信じて祈ることさえ難しく思います。しかしハンナが発見したように、祈りは神が働くための道を開くものです」(『ライフ・アプリケーション・スタディ・バイブル』434 ページ)。

◆「何をしても空しい、人生は不毛」と思っている人にどんな助言を与え、祈ることの意味をどのように説明してあげられるでしょうか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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