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イスラエルの男子は年に3度、神殿における宗教的祭礼に参加するように求められていました(申命16:16)。エルカナとその家族もこうした巡礼に参加して神に対する献身を表しました(サム上1:3)。その頃、神殿には二つの相反する動きが見えました。一つは堕落した祭司たちの収賄の罪、大食、女性礼拝者への性的いじめといった主に敵対する行為で、エリの息子のホフニとピネハスはその恥ずべき行為によって神の御名を汚していました(サム上2:12 〜17、22)。その一方でハンナのように全身全霊をささげて祈る敬神の人たちもいました。
息子たちの泥酔姿をよく見て知っていた祭司エリは、ハンナにも同じ疑惑の目を向けました。ハンナは夫エルカナからは「飲み食いしない」と注意され、祭司エリからは「飲み食いし過ぎ」と責められました。そのような叱責を受けても、ハンナは悲しみを表すことなく、静かに対応しました(15、16 節)。状況を知ったエリは彼女に祝福の言葉を与え、ハンナも神が祈りに答えてくださるとの信仰に慰めを得て、食事をして元気を取り戻し、祭りに参加しました(17 〜19 節)。やがて祈りの答としてサムエルが生まれました(20 節)。
神は不妊と思われた女性を選び、特別な子を賜ることがあります。サラ、リベカ、ラケル、ハンナ、エリサベトなどがその例です。長く待ち望んでいた子供が与えられると、とかくかわいがりすぎる傾向がありますが、ハンナのように子供を主に捧げる人はきわめてまれです。ハンナやアブラハムが息子を捧げたことは、ある意味で神がみ子を犠牲として捧げられた救いの計画を反映するものでした。
◆あなたは自分の子を捧げるように求められているでしょうか。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。