マリアの勝利【ハンナとマリア—勝利の祈り】#20

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サムエルを用いてイスラエルを救おうとされた神は、まずその母をお選びになりました。同じく世の救い主としてみ子を世に遣わされるとき、その母となる特別な女性を神はお選びになりました。

女の「子孫」が蛇の頭を砕くと神が約束されて以来(創世3:15)、イスラエルの女性の誰もが約束された救い主の母となることを願いました。カインが生まれたとき、エバは「わたしは主、男子を得た」と叫びましたが(同4:1、原語直訳)、悲しい誤りでした。年月の経過とともにメシアへの期待は薄れていきました。

しかしついに一人の天使が「塔」「芽」「根」「枝」を意味するナザレの町にやってきます。そこから、エッサイの株から生え出た枝、イエスが生まれることになっていました(イザ11:1、マタ2:23)。この町にメシアの母となる若い女性がいました。

マリアもハンナも、子を与えられるという栄誉にあずかりました。神は二人のために奇跡を行われました。ハンナは不妊、マリアは処女であったのに子を産んだのでした。二人とも神のなさった大いなる業を心から感謝しました。

マリアは聖書をよく知っていました。彼女の祈りは旧約聖書からの引用に満ちています。聖書を熟知していたことは、イエスの最初の人生教師としての母の役目を果たす上で大いに役立ちました。

マリアの賛歌(ルカ1:46 〜56)を注意深く読んでみましょう。この中の旧約聖書の詩編の引用は次の通りです。

詩編34:2、3
詩編71:19
詩編98:1
詩編138:6
詩編103:17
詩編98:3

◆マリアは「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」と言いました(ルカ1:49)。あなたも同じ賛美を祈れるでしょうか。

ハンナは子に恵まれず、またライバルの嘲笑という苦しみに耐えましたが、これがイスラエルの歴史の中で彼女が果たす大きな役割の準備となりました。マリアの謙虚さは神の子を生み、育てるという人間にとって最高の責任を委ねられる準備となりました。二人が人生体験の中で捧げた力ある祈りは、今も神の民を教え、霊感を与えます。私たちが経験するすべてのことは祈りの言葉となって、さらに神に近づけ、また他者との親しい関係に導くことでしょう。 

マリアとハンナは神を賛美することによる恵みを体験しました。この二人の女性の経験は、私たちの祈りに賛美を加えることの大切さを教えてくれます。エレン・ホワイトは次のように記しています。

真心から神をたたえることは、祈りと同様の義務である。罪におちいった人類への神の驚くべき愛を感謝するとともに、神の無限の富の中から、いっそう大きな祝福を受けることを待望していることを、わたしたちは世界と、そしてすべての住民たちに示さなければならない。わたしたちは今より以上に、もっと自分のとうとい体験を語る必要がある。聖霊が特別に注がれると、主にある喜びとその奉仕における能力とは、神の子らに対する神のいつくしみと驚くべきみわざをわたしたちが語ることによって、著しく増大するであろう

『キリストの実物教訓』278、279ページ

ハンナの祈り(サム上2:1〜10)とマリアの祈り(ルカ1:46〜55)を復習してください。それらを比較するとどんなことがわかりますか。『人類のあけぼの』下巻220 〜229 ページ(幼児サムエル)を読んでください。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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