ただ真実だけを語る【ダビデ—悔い改めの祈り】#23

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罪の告白はダビデの心に平安をもたらしましたか。

詩32:5、51:6(口語訳、4)

ナタンから罪を責められたとき、ダビデは公に罪を告白しました。彼は自分の行った善行を強調することによって罪を帳消しにするようなことはせず、むしろ生まれながらの罪人として神の憐れみを求めました(詩51:7[口語訳、5])。彼は罪に対する神の厳しい裁きさえ支持しています(サム下12:13、詩51:6[口語訳、4])。

ダビデの罪の自覚と告白を読んでみましょう。

詩51:6〜9

真の告白は罪の弁解も、他人への責任転嫁もしません。罪を逃れ、法律の抜け道を探すことを弁護士に依頼する人もあります。罪ある者が罰せられず、無実の人たちが罰せられることがあります。世に多くの不正があるのは、人々が真実を語ろうとしないからです。

ハリー・オーチャードは自分を守ろうとしませんでした。取引によって判決を軽くしたり、仲間に頼んで有利に証言してもらったり、労働組合の資金で弁護士を雇ったりもしませんでした。彼は自分のことを次のように記しています。「事実を少しもゆがめたり変えたりすることなく、結果がどうであれ、正直で真実な告白をする以外に心の解決を見いだすことはできませんでした」(ルロイ・フルーム『神によって造り変えられた人』103ページ)。高名な弁護士

クラレンス・ダロウから「自分の罪を正直に話そうとした真の動機は何か」と尋ねられたとき、ハリーは答えました。「自分の力の及ぶかぎり神と人に対して和解したいと願ったからです」。

「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。/打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」(詩51:19)。

◆「罪の告白は神様にはできるが、人にはとても言えない、勇気がない」という人がいます。あなたも同じですか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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