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ソロモンの祈りはいくつもの要求を含んでいます。その一つは、祭壇の前で偽りの誓いをした者たちに対して、神が正義を実行してくださるようにというものです。金持ちや権力者に有利な判決をすることでなく、ただ真実を明らかにすることだけを目的とするなら、今日の裁判制度ははるかに良くなるはずです。
エルサレムの神殿は「すべての民の祈りの家」(イザ56:7)となるはずでした。人種や階級によって人々を差別しようとする傾向が教会にあるとすれば、私たちは何を学ぶべきでしょうか。
エリヤは、自分が告げるまで露も降りず、雨も降らないと宣言して、その実行を神に求めました(列王上17:1)。イスラエルがたびたび戦いに負けたのは罪の結果でした。町が敵に包囲されると、住民は飢餓と疫病と死に倒れました(8:37)。神に反抗し続けるなら民は異国の捕囚となるとも書かれています(レビ26:27、28、33)。神は長年にわたってご自分の民に忍耐してこられました。しかし、ついに恐るべき刑罰のくだる時が来ました。北のイスラエル王国は紀元前722 年にアッシリアの捕囚となり、南のユダ王国は紀元前586 年にバビロンの捕囚となりました。
◆あなたの周囲に、個人的な災難が神による裁きの結果だと思っている人がいませんか。どうお助けしたらよいでしょう
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。