「もしわたしの民が……」(歴代下7:11―12)【ソロモン—神の内住を求める祈り】#30

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ソロモンの願いに神はどう答えられましたか。

歴代下7:1、2、12 〜16

神殿の献堂式が終わると、イスラエルの民は天幕で生活しながら荒野をさまよった年月を記念して仮庵祭を祝いました。彼らは神が民と共にお休みになる場所をエルサレムに持ちました。平和のうちに神と共に住むことは喜びに満ちた経験でした。この「安息」が永遠に続けば、言うことがなかったのですが。

民は献堂式に感動して自分たちの天幕に帰りました。「彼らは、主がダビデとソロモンとその民イスラエルになさった恵みの御業を喜び祝い、心は晴れやかであった」(歴代下7:10)。

神はソロモンに神殿に関わるどんな忠告をお与えになりましたか。

歴代下7:17 〜22

ソロモンの生涯は人間性の弱さを驚くほどよく描写しています。この世の富、名誉、交わりは少しずつソロモンを神から引き離していきました。人は逆境には耐えられます。品性が本当に試されるのは、実は繁栄のときです。中身のいっぱい入ったコップを運ぶより空のコップを運ぶ方がずっと楽です。

ソロモンは「罪を犯さないように」と祈ったまさにその罪を犯しました。彼は長く神から離れたところで生きました。のちに自らの生涯を振り返り、すべてが「空しい」(ヘブライ語で「空気」、「息」の意)と言っています。富も快楽も、労苦も業績も、彼を満足させませんでした(コヘ1、2章)。彼は成功の頂点に登りつめましたが、気がつくとそれは違う山でした!

◆年老いたときに満足して振り返ることのできる生涯を送るためにはどうしたらよいでしょうか。永続的な喜びをもたらすものは何ですか。富ですか。奉仕ですか。友情ですか。名誉ですか。親しい家族関係ですか。犠牲ですか。神と共に歩むことですか。

自分自身を神に捧げること、教会を捧げること、自分たちの家庭を神の住みたもう場所として捧げることは私たちの特権です。私たちもソロモンと同じく「神なる主よ、立ち上がって、あなたの安息所にお入りください」(歴代下6:41)と祈りましょう。

ソロモンの神殿は、神がお住みになる場所のひとつの例に過ぎません。罪が人を神から引き離したとき以来、神は人のうちに「宿る」ことを求めておいでになります。

聖書は私たちの体を「神の宿る宮」と述べています(1コリ3:16、17、6:19、20)。神が特にお住みになりたいと願っておられる神殿は私たちの家庭です。私たちの家を神の臨在される聖なる場所、平和と愛の住むところにしようではありませんか。

すべてのクリスチャンの家庭から、清い光が輝き出なければならない。愛は、行動に現されるべきである。愛は、家庭のすべての交わりにあふれ出て、思いやりとおだやかさと、自分を忘れたやさしさとなってあらわれるべきである。この原則が実行されている家庭がある。それは、神が礼拝され、真の愛が支配している家庭である。これらの家庭から、朝夕の祈りはこうばしいかおりのように、神のみもとにのぼり、神の恵みと祝福は朝露のように祈る者の上に降るのである

『人類のあけぼの』上巻148、149ページ

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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