イエスの模範【エリヤ—改革を求める祈り】#35

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約束されたメシアはイスラエルに救いをもたらすはずでした(ルカ1:32、33、71、74、2:32)。しかしイスラエルの指導者たちはイエスを神の遣わされた救世主として受け入れませんでした。それでも主は落胆されませんでした。「キリストの心の中は、神との完全な調和に支配されていたので、完全な平安があった。彼は称賛に得意になったり、酷評や失望に落胆したりなどされなかった。最も激しい反対と最も残酷な仕打ちのただ中にあっても、イエスは勇気を失われなかった」(『各時代の希望』中巻51 ページ)。

主の働きは民衆の拒絶、そして十字架で終わり、生涯の使命は失敗に終わったかのように見えました。それでも主はわずかな頼りない弟子たちのために祈り、やがて彼らが主の働きを継続して福音を全世界に広めることを見通しておられました。

自分ただ一人と思っていた孤独の中のエリヤにどのような励ましが与えられましたか。

列王上19:18

「落胆をいやす方法の一つは忙しくすることです。神がホレブ山における劇的な対決の後でエリヤにまず『行け』と言われたのはそのためでした。ハザエル、イエフ、エリシャが油を注がれたのはバアル礼拝に対する戦いが続くことの保証であり、ヤーウェを礼拝する忠実な残りの民が生き残ることの保証でした」(『コミュニケーターズ・コメンタリー、列王記』9巻224 ページ)。

「わたしたちが自分を全く神にささげて、神の指導に従うならば、その達成については、神が責任を負ってくださる。わたしたちが、忠実に働くならば、これが成功するかどうかを気にすることを神は望まれない。失敗のことは一度でも考えてはならない。わたしたちは、失敗することのないお方と協力しなければならない」(『豊かな人生の秘訣』260 ページ)。

神のみ業は各時代の忠実な信仰者たちが再臨という完成に向けて引き継いで進めます。失望することなく神の力に頼りましょう。

個人であれ、団体であれ、改革という働きでは、力ある敵と戦わなければなりません。私たちは知恵、勇気、機知、神に堅くすがることを祈る必要があります。

サタンが最も激烈な攻撃をしてくるのは、魂が最も弱っている時である。……サタンはこのような方法によって、多くの人々に勝利したからであった。意志の力が弱まり、信仰がくじけたときに、長く勇敢に正義のために立った人々が誘惑に負けたのである

『国と指導者』上巻142 ページ

「カルメル山で雨を求めて祈ったとき、エリヤの信仰は試されました。それでも、彼は忍耐強く神に願い続けました。……6度目で失望してあきらめていたなら、彼の祈りは聞かれていなかったでしょう。しかし、彼は答えられるまで忍耐しました。……神は必ずしも私たちの1回目の祈りで答えてくださるとは限りません。もし神がすぐに答えてくださるようなら、私たちは神からのすべての祝福と恵みを当然のものと考えてしまうでしょう。心に悪を抱き、罪をほしいままにしていないかをさぐる代わりに、不注意になり、自分が神に依存していること、神の助けを必要としていることを忘れてしまうでありましょう。

エリヤは自分自身を誇ることができなくなるまでに心を低くしました。これが、主が祈りをお聞きになる条件です。そのとき、私たちが主を賛美するようになるからです」(『SDA 聖書注解』2巻1034、1035 ページ、エレン・G・ホワイト注)。

詩編51編は、神が霊的改革を求める私たちの祈りと努力に報いてくださることについてどんな確信を与えてくれますか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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