神の怒りのむち、アッシリア【ヒゼキヤ—窮地の中の祈り】#36

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ある国のことです。農夫たちは去年の夏のように今年もまたイナゴの大群が襲ってくるのではないかと不安でした。同じ災害が来れば、多くの家族が食べ物を得ることができず、死ぬでしょう。村の男、女、子供たちまで4月26日を断食と祈りの日に定めていたのはそのためです。祈りを捧げたその日、大地は静まり返っていました。翌朝、雲ひとつない空に太陽が昇りました。温度計は真夏の暑さに跳ね上がり、人々は恐れていた虫たちが地にうごめいているのを見て驚きました。

次の3日目、大地は羽化したイナゴの大群で埋め尽くされました。これが祈りの結果なのでしょうか。ところが4日目に気温が急に下がって地面は霜でおおわれ、イナゴはみな死んでしまいました。その年の小麦は驚くほどの豊作でした。

古代オリエントの軍事大国アッシリアは、北の国イスラエルを破り、勢いをかって南の国ユダに迫りました。センナケリブはエルサレムを完全に包囲し、ヒゼキヤは閉じこめられました。絶体絶命です。ヒゼキヤが神に必死に祈ったのはこの時でした。今回は人生の窮地にあって捧げる祈りに神はいかに応えられるかを学びます。

アッシリアは150 年以上にわたってイスラエルとユダを苦しめてきました。彼らは征服民を母国から外国に移住させ、民族の独自性を抹殺しようとしました。アッシリアは紀元前721 年に北の国イスラエルを征服し、彼らを捕囚としました。

ユダの王ヒゼキヤは父アハズからアッシリアの問題を受け継ぎました。アハズは主に背いてアッシリア人と手を結びました。その結果はアッシリアがユダを支配して貢物を強要し、事態を悪くしただけでした。アハズはまた主の神殿を閉鎖し、エルサレムと全土に偶像の祭壇を築きました(歴代下28:19 〜21、24、25)。

ヒゼキヤは王になったとき、どんな改革をしましたか(歴代下29:3〜5、10、30:1)。ユダに臨んだ災いの理由を彼はどう説明しましたか。

同30:6〜9

神の民にとって神を敬うとは抽象的な事柄ではなく、心から正しく礼拝することを意味しています。ヒゼキヤは即位したとき、神殿が軽視され、誤用されているのを知って衝撃を受けました。……国に二つの改革が必要でした。一つは神殿を復興すること、もう一つは民を神に和解させる儀式のために神殿を用いることでした

『コミュニケーターズ・コメンタリー、歴代誌』10 巻370 ページ

ヒゼキヤの治世、民は平和と繁栄の日々を過ごしました。エルサレムにやって来た人々は心から「キャンプ・ミーティング」を楽しみ、1週間祭りを延長したほどです(歴代下30:23)。神に仕えることは喜びです。しかし、ついにアッシリアの王がエルサレムに攻め上ったため、平和の時代はすぐに終わりました(列王下18:17)。

◆ヒゼキヤのように主のために懸命に働いたのに物事がうまくいかなかった経験はありませんか。神のため献身的に奉仕しても、必ずしも平和と繁栄が来ないのはなぜだと思いますか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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