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ヒゼキヤの治世の第14 年、アッシリアの王センナケリブはユダ方面への軍事行動を開始しました(歴代下32:1)。ヒゼキヤはエルサレムを要塞化します。彼は当時の土木工学の技術をもってギホンの泉からシロアムの池までトンネルを掘り、敵に包囲攻撃されてもエルサレムに十分な水を確保することができるようにしました。さらに城壁も強化しました(『SDA 聖書辞典』465 〜467 ページ)。
やがてアッシリア軍はラキシュの城塞都市を含めて周辺46の町を征服しました。ヒゼキヤは多くの金銀の贈り物をもってセンナケリブをなだめようとしましたが、無駄でした(列王下18:14〜16)。センナケリブはその年代記の中で次のように豪語しています。「余はユダの大部分を滅ぼし、横柄で高慢なヒゼキヤを屈服させた」(『インタープリターズ聖書辞典』2巻600 ページ)。
ヒゼキヤは外的にはアッシリアの侵略と戦い、自分自身は不治の病と戦っていました。問題は続いて起こることがよくあります。
39歳のヒゼキヤはまだ死ぬ用意ができていません。涙ながらに嘆願するヒゼキヤに、イザヤは神のメッセージを伝えます。「わたしはあなたの寿命を15 年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く」(イザ38:5、6)。
「ヒゼキヤは祈ることが無益とは考えませんでした。私たちが祈らないためにおできにならなかったことも、祈ったために神はおできになることがあります。いやしを求める嘆願は服従の精神をもってなされなければなりません。祈りに答えることが当事者の利益になるのか、神の栄光を現すものとなるのかは、神だけがご存じです」(『SDA 聖書注解』2巻966 ページ)。
◆私達が祈るまで神が行動を起こされないことがあるのはなぜですか。あなたは今絶望的な状況に直面していませんか。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。