エルサレム包囲攻撃【ヒゼキヤ—窮地の中の祈り】#38

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ヒゼキヤは死との戦いに勝利しましたが、アッシリア軍はなおもエルサレムを除くユダの全土を支配していました。なぜ主はこのような災いが国家的リバイバルの後にご自分の民に降りかかるのをお許しになったのでしょうか。リバイバル後の繁栄の日々が民の品性を弱めていました。先に学んだように、逆境のときよりも順境のときに神を見いだすことのほうが難しいのです。

ヒゼキヤはどんな品性の弱さを現しましたか。

イザ39:1〜4

ヒゼキヤは神よりも自分の持ち物を誇りにしました。ユダから偶像崇拝を排除した王自身が、自分の偶像を捨てていなかったのです。彼はまた、イザヤの警告にもかかわらず、エジプトと同盟を結び、人間の力に頼りました。「災いだ、助けを求めてエジプトに下り/馬を支えとする者は。/彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし……主を尋ね求めようとしない」(イザ31:1)。

民は神よりも都の防備体制に信頼しました。そして、包囲が一時的に解かれたとき、彼らは饗宴に酔い、「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」と言いました(イザ22:12、13)。

アッシリアの将軍ラブ・シャケの挑戦的な言葉の攻撃は城内の人々に恐怖感を与えました。どんなことを言いましたか。

イザ36:4〜7、13 〜20

ラブ・シャケの嘲笑の言葉は自然な成り行きでした。周辺の国々はユダヤの王や民が繰り返し自分たちの神に背いていたのを知り、異教徒は恐れることなく平気で彼らの神をあざけったのでした。

◆ギュンター・グラス(ドイツの作家)は「自分が知っているのは見、聞き、感じたものだけ」と言いました。なぜ私達は見えるものだけに頼り、目に見えないものを信じないのでしょうか。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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