脅迫状を「主の前に広げて」読む【ヒゼキヤ—窮地の中の祈り】#39

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ラブ・シャケが神や自分を軽蔑して、挑発的な言葉を投げた時のヒゼキヤの反応はどうでしたか。

イザ37:1〜4

神に祈るということは、神の存在を信じることであり、神がヒゼキヤを助けられたように私たちも助けてくださると信じることです。主はイザヤを通してヒゼキヤに次のように言われました。

「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」(イザ37:6、7)。神の約束は強力な軍隊よりも力があります。

ティルハカ指揮のエジプト軍進撃の知らせを聞いたとき、センナケリブは大急ぎでエルサレムから引き上げました。これがヒゼキヤの祈りに対する神の回答でした。それでもセンナケリブはヒゼキヤに使者を遣わし、「神はユダを救うことができない」と脅します。(イザ37:9〜13)。

ヒゼキヤはラブ・シャケからの手紙を読み、どこに行き、何と祈りましたか。

イザ37:14 〜17

イエスは「わたしのもとに来なさい」と言われます。あなたの悩みや試練を「主の前に広げ」なさい。耐える力が与えられ、悩みや困難を乗り越える道が開けます。自分の弱さと無力さを知れば知るほど、神の力によって強くなります。荷が重ければ重いほど、イエスにある平安も満ち足りたものとなります。

「たとえ心配したとしても将来をみわけることができない。だがイエスは、始めから終りまで見通される。……天の父なる神は、われわれのために無数の道を備えてくださるが、われわれはそのことを何も知らないのである」(『各時代の希望』中巻50、51ページ)。

◆今、主の前にあなたの悩みを打ち明け、これまでの神の守りと導きを感謝し、将来を主に委ねて平安を得てください。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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