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たとえバビロンに捕囚となっても、神はご自分の民をお忘れにはなりませんでした。神は新しい民を創り出そうとの新たな目的をもって、彼らを再出発させる計画を立てておられました。深い悩みのとき、神は私をお忘れになったと思うかもしれません。しかし、ユダの民の場合と同様に、神を中心とした新たな出発のために、神はあなたを準備しておられるのかもしれないのです。神の賢明なご計画によれば、神の民には希望と将来が約束されていました。ですから彼らは確信をもって神に信頼することができました。捕囚の民は困難な場所と時代におかれていましたが、失望する必要はありませんでした。なぜなら、彼らには神の臨在と祈りの特権、また神の恵みが与えられていたからです。真心から探し求めるとき、私たちは神を求め、見いだすことができます。異境の地、悲しみ、挫折、肉体的問題も神との交わりを絶つことはできません
『ライフ・アプリケーション・スタディ・バイブル』1339 ページ
ダニエルの祈りの中で(9:4〜19)、捕囚に陥った罪を要約しています。民はどんな特別の罪(6節)を犯したのでしょうか。
イスラエルの歴史は神の預言者を軽んじることの危険性について教えています。今日の私たちは預言者を軽んじていないでしょうか。神はエレン・ホワイトを通して私たちにすばらしい真理を示しておられます。私たちは、それらがどのように与えられたかだけを議論し、何を教えようとしているかという大事なメッセージを見逃してはいないでしょうか。勧告を読むのを怠ってはいないでしょうか。自分たちの罪を指摘するという理由から、証しを読むのを拒んではいないでしょうか。
◆ダニエルの祈りの言葉を注意深く読んでください。人々の罪を告白し、赦しを求め、神の恵みに頼る信仰者の姿勢が感じられます。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。