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イエスはわたしは「ぶどうの幹」あなたがたは「その枝」と言われませんでした。イエスは「ぶどうの木」そのものであり、枝である私たちはイエスの一部なのです。キリストはご自分の民と一つです。それは夫と妻が一つであり、神殿とその土台が一つであり、頭と体が一つであるのと同じです(エフェ5:31、32、2:19、20、1:22、23)。
ハドソン・テイラーの人生を変えたのはぶどうの木とその枝についての教えでした。彼の親友が回心直後のテイラーの言葉を記録しています。
『神は私を新しい人にしてくださった!』。『“主はぶどうの木、私は木につながる枝”と聖書にあります。私はぶどうの木の枝になろうと努力する必要はありません。私は主の一部であって、そのことを信じ、行動するだけでよいのです。もし私が上海(シャンハイ)銀行に行き、自分の口座から50ドルの払い戻しを求めれば銀行はそれを拒むことはないでしょう。行員は私に50ドルを手渡して“ハドソンさんのものですよ”と言います。ハドソンのものは私のもので私の一部。そして私はキリストのものであってキリストの一部。私は必要なものをすべて豊かに受けることができます』。……ハドソンは今や喜びに満ちた、明るい、幸せなクリスチャンになりました。以前の彼は重荷を負っていて魂に平安がありませんでした。しかし今はイエスにあって平安であり、イエスによって生かされています。ここに大きな違いがあります
『ハワード・テイラー著『ハドソン・テイラーと中国伝道』より
ヨハネ15章にあるぶどうの枝についての聖句は「あなたがた」とすべて複数で表現しています。信仰者相互の関係は、各自の心がイエスに対する愛で結ばれているときに最も親密なものとなります。
◆イエスと交わる目的はイエスと一つになり、ぶどうの木なるイエスにあって大きく成長することです。ぶどうの枝が木によって養われるように私たちも木そのものから養われます。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。