実を結ぶ方法【祈り:イエスの言葉を聴く】#50

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実を結ぶには何が必要でしょうか。

ヨハ15:5、6

イエスは私たちをぶどうの木の中でも最もすばらしい部分、つまり花と実を結ぶ枝として造ってくださいました。枝が実を結ぶのは自分で努力することによってではなく、ぶどうの木につながっていればそれでよいのです。

主につながることと、主の言葉、愛の関係を読んでください。

ヨハ15:7、9

「若枝が生きたぶどうの木につがれて、繊維は繊維と、木目は木目とつながって、木の幹へと生長するのである。ぶどうの木の生命は枝の生命となる。……罪人は自分の弱さをキリストの強さに、自分のむなしさをキリストの充実に、自分のもろさをキリストの耐久力に結合させる。そのとき彼は、キリストの心を持つのである。キリストの人性はわれわれの人性に触れ、われわれの人性は神性に触れたのである」(『各時代の希望』下巻163 ページ)。

 私たちの思いが神の思いと一つになり、私たちの心が神の心と一つになるとき、私たちは信仰と確信をもって主に近づくことができます。「彼らが神のみ名の栄えをあらわすために、神に最高の要求をするときに神はよろこばれる。神の約束に対して信仰を持つときに、大きなことを期待できるのである」(『各時代の希望』下巻150 ページ)。

 私たちの最高の望み、神の最大の期待は、私たちが永遠に残る実を結ぶことです(ヨハ15:16)。神の御座のそばに立ち、私たちが導いた人々、また彼らが導いた人々を見ることは何という喜びでしょう。

◆神は私たちの祈りに答えて下さるとの約束があります(ヨハ15:7、16)。祈りを怠るとクリスチャンはどうなると思いますか。

イエスはこの地上から離れましたが、私たちから離れ去っておられるわけではありません。三位一体の神は聖霊のご人格をもって私たちのうちに住んでくださることを主は約束されました。私たちの最大の責任と特権はいつもイエスにつながっているということです。そうする一つの方法は「2階の広場」に行ってイエスにお会いし、人生の騒音に対して戸を閉ざし、主の仰せになることを静かに聞くということです。

神の訓練を受けているすべての者のうちには、世とその慣例や習慣に一致しない生活があらわされる。だれでもみな、神のみこころを知るために、個人的な経験をする必要がある。われわれは、神が心に語られるのを個人的に聴かねばならない。ほかの声がみな沈黙して、静けさのうちに神の前に待つとき、魂の静寂は神のみ声を一層明らかにする。神は、『静まって、わたしこそ神であることを知れ』とわれわれに命じておられる(詩篇46:10)。ここにだけ真の休息がみいだされる

『各時代の希望』中巻101、102 ページ

 「静まって 語源によれば『かまうな』、『やめよ』、『あきらめよ』を意味し、神ご自身がこれらの荘厳な言葉を語られます。この聖句[詩46:11、口語訳46:10]の前半の句は、次のように言い換えられます。『静まれ! 騒ぐのをやめて、わたしが神であることを知れ』。私たちは話すことが多すぎ、聴くことが少なすぎます」(『SDA 聖書注解』3巻745 ページ)。

*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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