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この祈りは11人の弟子たちのためでしたが、イエスは後の時代に主を信じるすべての人々(ヨハ17:20)のためにも祈りました。
父なる神と御子は密接な関係にあり、決して別々には行動されず、つねにすべての業において一致しておられます(ヨハ5:20 〜23)。共に堕落した人類を愛するゆえに、父なる神は御子を犠牲にし、御子はご自身の命を犠牲にされました(3:16、10:15)。どちらも自分の栄光を求めることはなく、互いに相手の栄光を求めておられます(17:1)。一方を知ることはもう一方を知ることです(14:7、9)。主がご自分の教会である私たちに望まれるのはこうした関係です。
イエスが語っておられる一致は「三位一体の神のうちに見られる創造的な多様性の現れです。父なる神、御子、聖霊という異なった機能を通してご自身を現される、唯一の『まことの神』がおられるように、愛による信者の一致も多様な賜物と働きによって現されます。神の家族全体は多様な文化と気質、人種と賜物の美しい写真であって、礼拝と働きによって神の栄光を現すように神にささげられています」(『コミュニケーターズ・コメンタリー』4巻248ページ)。
愛はクリスチャンを一つに結ぶ「きずな」です(ヨハ17:26)。愛、一致、栄光は密接な関係にあります。愛は世界を一つに結びますが、利己心は世界を分裂させます。キリスト教の愛は1コリ13:4〜7に定義されています。そこを読んで、瞑想してください。
◆一致は大切なことです。世の人々は美しい兄弟愛で結ばれた信仰者たちを好意的に見ているでしょう。愛し合うことが主に対するあかし、伝道です(ヨハ13:35)。不幸にして教会に不満を抱き、批判的な教会員がいたとします。一致を守るために何を大事にし、何を犠牲にしたらよいと思いますか。教派やクリスチャン同士の不仲は社会にどう映っていると思いますか。
十字架にかかる前にイエスは祈りをもって、弟子たちと彼らに続く信仰者たちを父なる神に捧げました。神の愛の絆は不信仰なこの世をキリストに惹きつける力です。毎日、自分自身に、また教会にこの愛が注がれるように祈りましょう。
ヨハネ17 章にあるイエスの祈りは、「救い主が聖所の垂れ幕の内側でなされる執り成しについて教えています。それは、ご自身を捧げるという、人間のための大いなる犠牲が完了するときでした。私たちの仲保者イエスは、利己心を捨て、救いの力を信じ、柔和と謙遜の精神をもって主に来るすべての人のため、天の聖所で働かれることを弟子たちに例示されたのでした(原稿29、1906 年)」(『SDA 聖書注解』5巻1145 ページ、エレン・ホワイト注)。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。