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パウロは神が教会に与えてくださる豊かな恵みだけでなく、神の民自身がいかに幸いであるかを描写しています(エフェ1:15 〜23)。エフェソの信徒たちがイエスを信じ、互いに愛していることを聞き、パウロは心から感謝しました(15、16 節)。彼は毎日、祈りの中で彼らを覚え、彼らが神の助けによって霊的に成長するように祈りました。人は主に近づくことによってのみ彼に似る者となるからです。
パウロは私たちに次の3点を理解するように求めています。
(1)どのような希望が与えられているか(18 節)ということ 同じ頃に書かれたコロサイ1:27 によると、「栄光の希望」とは「あなたがたの内におられるキリスト」のことで、現世においてキリストを持つことは将来の栄光をこの世で前もって味わうことです。
(2)聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか(18 節)ということ パウロはエフェソ1:14 の中で二つの相続財産について述べています。一つは私たちの、もう一つは神のものです。私たちが受け継ぐものとは神からのすべての祝福のことですが、逆に言えば、私たちは「神のもの」(英文では贖われた所有物)(1:14)であり、イエスがお受けになる資産です。イエスは私たちを「豊かな栄光に輝く資産」としてご覧になります。
(3)わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか(19節)ということ 「神の偉大な力は、罪人が聖なる者に造り変えられることのうちに現されます。この驚くべき変化は、心理学や教育、善行によってなされるのでなく、神の恵みと力による業です」(『SDA 聖書注解』6巻1004 ページ)。
◆教会に与えられた約束と教会の現実の姿との間に大きな隔たりが見られます。この問題をどう理解したらよいでしょうか。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。