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私たちのうちに働く神の力は計り知れない、驚くべきものです。パウロはこの神の力の絶大さを説明するため、イエスがどんな業を成し遂げたかを明らかにしています(19、20 節)。
(1)神はキリストを死者の中から復活させられました。
(2)神はキリストを天において御自分の右の座に着かせられました。
キリストの復活は、人間のいかなる行為も神の目的の実現を阻止することができないことを証明しています。罪の世にあっても、神がすべてを支配しておられることを知っているので、私たちは動揺することがありません。
詩編110:1はこのことを予告しています。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう」。これを1コリント15:24、25、ヘブライ1:3と比較してください。パウロの言うすべての支配、権威、勢力、主権とは神の敵、サタン、この世に属するもろもろの悪の勢力を含んでいます(エフェ6:12)。パウロはローマの暴虐に苦しみましたが、イエスはそれを超越しておられました。軍隊を震え上がらせたネロの名も、イエスの御名に比べれば「張子の虎」にすぎません。
神はすべてのものの頭であるキリストを、その体である教会にお与えになりました。キリストが高めらるとき、その体である教会も高められます。キリストが天で座に着かれるとき、その体である教会もキリストと共に座に着きます。パウロは、さらに驚くべきことに、教会はキリストの満ちておられる場所であると言っています(エフェ1:23)。教会の栄光を理解するためには特別な啓示が必要であるのも不思議ではありません(17 〜19 節)。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。