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大淫婦バビロン(迫害する宗教組織——黙17:1〜6参照)が滅ぼされるとき、大いなる喜びがあります。なぜなら彼女は小羊の花嫁の敵だからです。神の民が淫婦に従っている間は、小羊の婚礼は行われません。それゆえに、神の民は彼女から離れ去るように求められています(黙示18:4)。
聖なる者たちは歓喜します。ついに小羊の婚礼の日が来たからです。小羊の花嫁は用意を整えました。
ある地方では(天国の場合もそうですが)、花婿は花嫁に婚礼の衣装を贈ることになっています。イエスは聖なる者たちにご自分の義という完全な衣をお与えになります。これは神との完全な関係を表します。この婚礼の衣はまた花嫁の品性を表します。それは神から与えられる「正しい行い」です。花嫁は小羊の血で自分の衣を洗わなければなりません。黙示録7:14は、私たちが信仰によって救われる方法を描写しています(イザ1:18、ロマ3:21 〜26 参照)。
◆大いなる婚礼の日はまだ来ていませんが、私たちは現世でその喜びにあずかることができます。どんなことでしょうか。「私はその婚宴に招かれる」という確証はどこにありますか。
黙示録はなぜ被造物が神と小羊を賛美するかという理由を述べています。主は私の創造主、血をもって贖われたお方、花嫁を迎える夫、そして今も生きておられる神です。やがて天の聖歌隊とともに神を賛美する前に、私たちはこの地上でコーラスの練習をしておきましょう。「モーセの歌と小羊の歌」「ハレルヤコーラス」の歌詞は黙示録にあるとおりです。賛美は私たちの永遠の祈りでもあります。その祈りはキリストご自身のみもとで永続的に答えられることを信じます。
*本記事は、『聖書に見る偉大な祈り』からの抜粋です。